5号館を出て

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国を愛する

 ばかぼん父さんのエントリー「国って愛するもの?」にトラックバックを送ります。

 私も朝刊で、「文部科学省が、教育基本法改正案の要綱素案に「国を愛する」と表現する方向となった」という記事を読みました。

 違和感があります。

 法律に書かれる「愛」というものは、我々が普段使っている「恋愛」とか「情愛」の中にある「愛」とは、ちょっと異なるもののように感じられます。ただし、「自然を愛する」というような場合の「愛」は恋愛感情にも似ている気がするので、対象が人であるかどうかということが理由でもないような気がします。そういう意味では国に「恋愛感情」を抱くことは、あり得ることだと思います。ただし、すべての国民が国に対してある種の恋愛感情を抱くというような状況は、ある意味で理想状態と言えないこともないのかもしれませんが、私はちょっと気持ち悪いです。

 つまり、我々が普段使っている「愛」という概念は、自分で自由にコントロールできるようなものではなく、自然にわき出てくる感情なのだと思います。ですから、それを外から強制することなどもちろんできません。人の行動は強制することができますが、人の心は強制できないものの代表のひとつです。

 それに対して、法律は人々の行動に対する規範(強制力)ですから、「愛する」という気持ちを持つこと求める法律ができた場合、どうやってそれを守らせるのでしょうか。

 基本法には具体的なことは書かないものなのかもしれませんので、基本法の精神を実現するための法律を別に作ることになると思います。どんな法律が作られることになるのでしょうか。心の中を見る方法がない以上、行動で判断することしかできないと思うのですが、「国を愛する行動」とはなんでしょう。

 国旗に敬礼すること、国歌を歌うこと、国民皆兵で国を守ること、国の組織に刃向かわないこと、国(政府)のやることを非難しないこと、、、、、。もちろん愛しているならば誰でもが自主的にそうするであろう行動が、国を愛しているかどうかを示す判断材料(証拠)にされてしまう畏れがあります。

 現に、心には踏み込まないと言って成立した国旗・国歌法と、学習指導要領に「国を愛する心を持つ」「国を愛し、国家の発展に努める」と書かれていることが、卒業式などで国歌斉唱に同調しなかった教員処分の根拠になると文部科学大臣がおっしゃっていることもありますので、あながち杞憂とばかりも言えないと思います。

 いずれにせよ「国を愛する」ことを法律に書かなければならないのは、不幸を抱えた国だという気がします。ダメ親父が、家族に「俺を愛さないと追い出すぞ」と言っているようなものでしょうか。


#道路を汚さないとか、自然を壊さないとか、ものを壊さないなどという「国を大切にする行動」は、国を愛する行動と重なるところもありそうですが、微妙に違うニュアンスです。「国を大切にする」と書こうといっていた公明党が折れたということは、この件に関しての公明党の責任の重さを感じさせます。


追記:TB頂きました「それでも地球は回る」kiyoaki.nemotoさんの、ところのエントリーを見ると、2月6日あたりの時点では公明党は強く反対していたことが良くわかります。ここへきて方針を変えた裏には、いったいなにがあるのでしょう。コメント・TBを歓迎します。

追記2(12日未明):0時のNHKBSニュースによると、公明党の神崎代表は未だに「国を愛する」表記には反対で、教育基本法の国会提出は見送るべきとの見解を発表したということです。当然でしょうね。
Commented by bakabon_chichi at 2005-05-11 22:50
TB,ありがとうございます。「愛する」とは、自然にわきあがる感情であって、強制されるものではないというのは、明快ですね。だから違和感を感じて当たり前なことだったのですね。
Commented by ぢゅにあ at 2005-05-11 23:39
本末転倒ってやつですね。
愛される国をつくろうってのが本当でしょう。
Commented by stochinai at 2005-05-12 16:14
 法律じゃなくて「憲章」とかだと、よくあるのかも知れません。「街と自然を愛しましょう」とか、ありそうです。
 男と女の話にするとわかりやすいと思うのですが、「愛してください」はあり得ると思うのですが「愛さないと殺す」はあり得ない、というか犯罪です。だから法律で「国を愛すること」と書くのは、思想の自由の蹂躙で、違法(違憲)なんじゃないかと思います。
Commented by てん at 2005-05-20 18:04
えーっと、

”国を愛する”という表現をわざわざ入れなければならない現状を憂える
べきで、”国旗に敬礼すること、国歌を歌うこと、国民皆兵で国を守ること、
国の組織に刃向かわないこと、国(政府)のやることを非難しないこ
と、、、、、。もちろん愛しているならば誰でもが自主的にそうするであろう
行動が、国を愛しているかどうかを示す判断材料(証拠)にされてしまう畏
れがあります。”とか、”法律で「国を愛すること」と書くのは、思想の自由の蹂躙で、違法(違憲)なんじゃないかと思います”などと、法律の趣旨とはかけ離れたとんちんかんなことを言ってる場合ではないのでは?

”国を愛する”ということは、良い国を作ろうとする気概を持つことで、
最近の選挙における投票率の低さは、そういう気概の無さ、政治意識
の低さ、民度の低下をよく表しているとは思いませんか?

”国を愛する”=”体制を愛する”ではないのですよ。
Commented by stochinai at 2005-05-20 18:10

>”国を愛する”という表現をわざわざ入れなければならない現状を憂える

 これには完全に同意です!

>”国を愛する”ということは、良い国を作ろうとする気概を持つことで

 それは初めて聞きましたが、内閣か国会議員など提案者のどなたかが発言しておられますでしょうか。

>”国を愛する”=”体制を愛する”ではないのですよ。

 そうなら良いのですが、「である」のほうを危惧しております。

 コメント、ありがとうございました。
 
Commented by てん at 2005-05-20 19:58
>>”国を愛する”ということは、良い国を作ろうとする気概を持つことで

 >それは初めて聞きましたが、内閣か国会議員など提案者のどなたかが発言しておられますでしょうか。

はあ・・・敢えて定義付けはされてませんよ。ただ、自明のことでしょ。
”良い国を作ろうとする気概を持つ”という表現は、一般的に語られて
きた愛国心の定義をすべて包含していると思いますが・・・

ましてや・・・

>>”国を愛する”=”体制を愛する”ではないのですよ。

 >そうなら良いのですが、「である」のほうを危惧しております。

そんな定義は70年代で脳の働きが停止した左翼のような人しか言って
ないと思いますよ。ちなみに、当然のごとく、この中央教育審議会でもそん
な事は否定されてます。文科省のサイトでも見てください。

最近よく見かけるのが、マスコミの報道の一部だけ捉えて、とんちんかん
な解説というか、意見というか、そういったものを堂々と語っているブロガー
なんですが・・・公衆の面前で何か言うのなら、よく調べてから言った
ほうが良いと思いますよ。

Commented by てん at 2005-05-20 19:59
最後に、私が、この中央教育審議会の方針に文句を言うとしたら、
人々のために”国を愛する”の定義を例示しろということぐらいです
かね。そして定義はもちろん”良い国を作ろうとする気概を持つこと”
とうことでよろしく(笑)
Commented by stochinai at 2005-05-20 22:33
 てんさん、丁寧なコメントをありがとうございます。

>自明のことでしょ。

 科学では、「自明のこと」っていうのは基本的にないのです。私は(あまり頭の切れない)科学者なので、自明のことっていうのはどういうことか良くわかりません。どのように自明なのかを、説明をしていただけると助かります。

 あと「一般的に語られてきた愛国心」というのも難しい気がします。我々もそうですが、具体的な証拠を出せない時についつい「一般的」という言葉を使ってしまいますが、相手を説得する力は弱いことが多いです。てんさんは、たとえば中国人の語る愛国心も正しいものとして認められますか。

>70年代で脳の働きが停止した左翼のような人

 これもわかるようで良くわからない表現です。具体的な定義を説明していただけると助かります。当時の社会党や日教組のような「教条的な」ということでしょうか。
Commented by stochinai at 2005-05-20 22:34
>とんちんかんな解説というか、意見というか、そういったものを堂々と語っているブロガー

 私がとんちんかんなブロガーであると言われるのならわからないでもないですが、「最近よく見かける」とはどこでよく見かけるのでしょうか。私には、一昔前よりは教条的ではない的確な批判を述べる人が、ブロガーには多いように感じています。

>人々のために”国を愛する”の定義を例示しろ

 私もこれには賛成です。ただし、「気概」という言葉も「国を愛する」と同じように、法律で使える言葉ではないと思いますが。

 てんさんのおっしゃるように、「国を愛するとは、良い国を作ろうとする気概を持つことである」というのなら、そんなことを言わなくてもすむ国を作ることこそがみんなの願いではないでしょうか。となると、「国を愛するなどということを言わなくても良い国を作ることが、国を愛することである」という定義も可能ですね(微笑)。
by stochinai | 2005-05-11 16:27 | 教育 | Comments(9)

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