2012年 09月 09日
旧盛岡藩士桑田北海道支部定期総会
夏の終わりのマイ風物詩となりつつある、桑田(そうでん)の北海道支部総会の日でした。
非常に不安定な天候で、夜半から間歇的に激しい雨が降る最悪の天候で、特に会の始まる10時半を挟んで10時から11時台には記録的な集中豪雨に見舞われた札幌です。
それでも、参加登録者のほとんどが時間に間にあってお集まりくださいました。
総会と銘打ってはいますが、第一には桑田の歴史を学び継承する気持ちを新たにすることと、北海道支部(今や87名に減ってしまいました)会員の親睦の場です。
例によって本部から理事長自ら駆けつけて講演をしてくださいました。今回は「踏み込んだ桑田の歴史」という演題になりました。
これは「桑田共有条約書」と呼ばれるものの冒頭の部分です。第1条には「1732名の共有にして、一人一己の有するものにあらざること」と共有であることと、分割できるものではないことを強調しています。
そして、この条約書の最後にその1732名の署名捺印が並んでいるそうで、これがその一部です。
私の先祖が使っていた「栃」という字の旧字(オリジナル?)である、「杤(木偏に万)」の字を使った同性の方がこのページだけでお二人もいらっしゃり、私の苗字が盛岡藩(南部藩)方面では珍しいものではなかったことがわかります。
そして後半に出てきた衝撃的な数字がこちらです。
発足当初、約33万坪あった土地が現在は26万坪にまで減少しているというのです。
共有の土地で、全員の同意なくしては処分できないはずの土地がさまざまな理由から失われてしまったことに危機感をいだいた現理事長は、ここで初心に戻って1732名(一子相伝なので、残念ながら断絶してしまった家系もかなりありそうですが)の共有であることを再度確認し、今後はいかなることがあろうとも桑田の土地を減ずることができないように、法的ならびに倫理的歯止めをかけようと呼びかけておられます。
北海道支部ではこの理事長の考えに賛同する方がほとんどなので、講演のあとの懇親の場では理事長の講演をめぐって活発な議論があちこちで繰り広げられておりました。
土地から上がる利益などはほとんど無に等しいのですが、その土地を仲立ちに旧盛岡藩士の士族会とでもいうべき組織が上記の条約書が作られた1875年から現在まで続いていることにこそ価値がありそうです。
日本に残る文化遺産ともいうべき藩士の会そのものを維持するためには、桑田の土地の散逸を防ぐということの意味は大きいと言えそうです。
それでも、参加登録者のほとんどが時間に間にあってお集まりくださいました。
総会と銘打ってはいますが、第一には桑田の歴史を学び継承する気持ちを新たにすることと、北海道支部(今や87名に減ってしまいました)会員の親睦の場です。
例によって本部から理事長自ら駆けつけて講演をしてくださいました。今回は「踏み込んだ桑田の歴史」という演題になりました。
そして、この条約書の最後にその1732名の署名捺印が並んでいるそうで、これがその一部です。
そして後半に出てきた衝撃的な数字がこちらです。
共有の土地で、全員の同意なくしては処分できないはずの土地がさまざまな理由から失われてしまったことに危機感をいだいた現理事長は、ここで初心に戻って1732名(一子相伝なので、残念ながら断絶してしまった家系もかなりありそうですが)の共有であることを再度確認し、今後はいかなることがあろうとも桑田の土地を減ずることができないように、法的ならびに倫理的歯止めをかけようと呼びかけておられます。
北海道支部ではこの理事長の考えに賛同する方がほとんどなので、講演のあとの懇親の場では理事長の講演をめぐって活発な議論があちこちで繰り広げられておりました。
日本に残る文化遺産ともいうべき藩士の会そのものを維持するためには、桑田の土地の散逸を防ぐということの意味は大きいと言えそうです。
by stochinai
| 2012-09-09 23:40
| 札幌・北海道
|
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