5号館を出て

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動物園と科学コミュニケーション

 昨日のレッサーパンダ関連記事のエントリーの後、動物園というものは科学コミュニケーションの実践の場として優れたものなのではないかと、考え始めました。

 バッシングされた旭山動物園の副園長さんは、「動物園は見せ物じゃない」とおっしゃってますが、彼に寄せられた非難の中に「所詮、動物園なんて見せ物じゃないか」というものがあったと言います。

 欧米ではしばらく前から動物園は動物を展示する場ではなく、絶滅しつつある種を保存する仕事をするところであるという認識が出来上がっていると聞きます。

 種の保存のためには、できれば自然に繁殖をさせるのが良いのですが、場合によっては人工的な手段での繁殖も必要になります。いずれにしても、前者ならば動物が落ち着いて心地よく繁殖できる環境を整えてやるための生態学や動物行動学の研究が必要になります。後者の場合であるならば動物の生殖生物学の研究をしなければなりません。

 さらに、動物園は教育の場です。これに関しては、日本でも小中学生には動物の多様性や自然環境の大切さを学ぶ場として、認識されているところだと思います。

 今回のレッサーパンダ騒ぎの中で、日本の動物園は、エンターテインメントが占める割合が大きいと感じさせられました。

 もちろん欧米の動物園も観客に動物を見せるということはやっています。見ることを楽しみに来ている人が大多数であるという点においては、日本も外国も違わないと思います。

 そして、日欧を問わず動物園の裏方の現場で働いている方々は多かれ少なかれ見せ物というよりは、動物の保護や教育・研究、そして希少種の繁殖などが自分たちの仕事であると考えておられるように思えるのです。それは、また旭山動物園で恐縮ですがホームページの「園長室」にある園長さんの書いた文章を読むと良くわかります。昨日取り上げた副園長さんの考えも同じだと思います。

 旭山動物園では、この園長さん副園長さんそして多くの職員がそうした使命感を持った上で、一般の人から見たら「非常におもしろい」さまざまな展示法が開発されました。

 おもしろいのだから見せ物である、という思考は短絡的だと思います。旭山動物園の場合は確かにおもしろいという結果にはなっていますが、それは動物たちの行動や生態を調べ上げて、動物たちがリラックスし、ストレスを感じることなくみずから進んで行動してくれるところを見せることができていることが成功の大きな要因だと思います。

 動物を科学的に調べた上で、彼らの行動を見せることは科学的であり、教育的であり、さらに動物愛護的なのだという良いことずくめの結果を導き出すことができたのは、旭山動物園が短絡的なエンターテインメントではなく、科学を理解した上でのエンターテインメントを目指して得られた結果だったと思います。

 ではなぜ昨日書いたようなバッシングが起こってしまったのでしょう。(ここからは、ちょっと飛躍があるかもしれませんが、)その理由のひとつが科学者と一般市民の間の横たわるコミュニケーション不全があると感じます。

 動物園というすばらしい研究・教育そして娯楽機関があります。そこで、働いている人は自分たちは科学的あるいは教育的なプロフェッショナルであると考えている人が多いようですが、市民からみるとただの飼育人くらいにしか思えていないのかもしれません。

 そのギャップを埋めることができれば、動物園という存在自体が生まれ変われそうな予感がします。今、立ち上がろうとしている科学コミュニケーター養成ユニットでは、そんなことについての検討や実践ができるかもしれないと、始まる前からの皮算用を初めてみました。

 ご意見をお聞かせください。
Commented by kaim at 2005-06-09 22:53
こんばんわ!
同意するところ大だったのでコメントさせてください。
kaimも動物園は研究・教育そして娯楽機関だと考えます。
ただの飼育人ではありません。第一線で活躍されている、科学の実践者です。
そういうスタンスで、kaimんちでは、興味のあるサルに絞って「砥部動物園のサルたち」といういくつかのエントリーからなるカテゴリを構えています。
これは、kaimがミニバスにハマる以前、時間に余裕があるときに学問実践の場としての動物園をエンタとして取り上げられたら!と作ったホームページの残骸をエントリー化したものです。
書き物としては、とべ動物園と、高知県ののいち動物園の一部しかありませんが、当時は徳島動物園、白鳥動物園(私設)、栗林動物園(現在は既に閉園)、ほか関西圏のいくつかの動物園にまで足を伸ばしていました。
科学とエンタは有機的に結びつくべきだと思います。
いわゆる「理系」の方がそこに及ばないとすれば(あくまで仮定です)文型の出番なんじゃないかなぁ、と漠然と考えています。
Commented by ぢゅにあ at 2005-06-09 23:09
NYのブロンクス動物園はZOOではなく、野生動物保護園です。とにかく野生に近い状態での飼育なので、動物を間近に見ることができません。一緒に行った母が「日本で動物がよく見える、本当の動物園に連れて行ってあげるね」と孫達に言ってました(笑)。
Commented by 花見月 at 2005-06-09 23:24
>動物の保護や教育・研究、そして希少種の繁殖などが自分たちの仕事であると考えておられるように思えるのです。

考えているだけでなく、実際に、標榜して活動していらっしゃいます。
横浜のズーラシアなども、開園当初から、希少動物の保護を
目的としていることを宣言していました。

こんなページもあるので、ご参考まで。
http://www.asazoo.jp/kenkyu-hogo/syuhozon.html

Commented by stochinai at 2005-06-10 12:33
>日本で動物がよく見える、本当の動物園に連れて行ってあげる
 笑いました。日本の動物園の特徴を非常に良く表している一言だと感銘もしました(汗)。
 旭山動物園の挑戦は、それらの両立を目指そうとしているのだと思います。

>花見月さん
 情報をどうもありがとうございました。ぢゅにあさんのコメントとともに動物園に関しても科学コミュニケーターの活躍の場があることを確信しました。
 ある意味で、忙しくなりそうな予感もします。
Commented by stochinai at 2005-06-10 12:43
>kaimさん
 サイトのエントリーを読ませていただきました。すごいサル・フリーク(笑)だったんですね。
 私は理系ですが「科学とエンタは有機的に結びつくべきだと思います」というkaimさんのご意見には、とても強く同意します。というか、私のスタンスは科学はそれ自身が十分にエンターテインメントであるとの立場です。
 こんなにおもしろく、しかも時として個々人に生きる知恵を提供してくれるだけでなく、人類の生存にも必須になってきたものを、一部科学者や政治家だけのものにしておくのは、もったいなくまた危険でもあると思っています。
 今、構想している科学技術コミュニケーターがやるべきことのひとつはkaimさんが考えておられるようなことです。おっしゃるように理系ができないのなら文系も手伝おうということ(あるいは文理融合)は当然のごとく、前提とされております。
 うまくいくと、社会が変わるような予感もします。
Commented by riverparade at 2005-06-10 19:47
こんばんは。
ドイツの動物園に行ったとき、ヒョウかなんかの檻のなかはただのジャングル、何も見えませんでした。
ここら辺がお気に入りのポジションだから探してね、という立て看板がたってました。
動物園は動物を見るところだと思うと、とても不満でしょうが、こういうふうに暮らしていることを知る場所だと思えば不思議はありません。

でも、動物を科学的に研究し、飼育する科学者の生き物への気持ちは、人間と同じように暮らすペットを愛する一般市民とは相容れないのかもしれないと思います。
Commented by stochinai at 2005-06-10 20:00
>人間と同じように暮らすペットを愛する一般市民
 動物園をとりまく科学者の中にも、家に帰るとペットのイヌやネコを愛する普通の一般市民になっている人はたくさんいると思います。相容れないと言ってしまうと身も蓋もないですが、ペットと野生動物は違うのだということを受け入れることはできるのではないでしょうか。
 ただ、つりのゲームフィッシュとしてのバスと、環境省が定義する外来生物としてのバスの間に横たわる溝などを考えると、簡単に合意にいたることは難しそうですね。
by stochinai | 2005-06-09 16:09 | 教育 | Comments(7)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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