5号館を出て

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四半世紀の伝記のような推薦書

 夏至からもずいぶん日にちがたって、実感としても日の沈む時間が早くなってきたと感じれられる今日此の頃です。

 札幌でも日の入りの時間がとうとう午後7時を切って、今日は18時59分になっていました。
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 というわけで、ちょっと急かされるように、農場に夕日を見に出かけました。

 立場上からか、最近は研究職に応募する我が研究室関係者の推薦書を書く機会が多くなってきました。文章量自体はA4用紙が1枚か2枚くらいなのでそれほど苦痛ではないのですが、なんだか最近は推薦書を書くたびに被推薦者の「四半生記の伝記」のようになるパターンが多くなったようなことに、自分で気がつきました。良いのか悪いのかはわかりませんが、いろいろと思い出しながら書くと意外とあっという間に書けてしまうものです。

 科学の世界全体が、農場から見た上の夕景のように壮大なものだとしたら、個々の研究者の四半世紀は夕日を浴びてしっかりと立つ、こちらの木々のようなものかもしれません。
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 夕日という世界の潮流の中で、それをしっかりと受け止めながらも自分を見失わない若い研究者の皆さんが首尾よく安定した位置に収まることを願いながら「伝記」を書き綴る日々でもある今日此の頃です。

 それでも、夕日はこちらの意思とはまったく関係なく、着々と沈んでいきます。
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 研究者のコミュニティもこちらの意思を無視するようにどんどんと変化を続けているように思えることもあります。

 見る見るうちに太陽は山の陰に沈んでいき、ほんの数分後にはまったく見えなくなってしまいました。
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 今日は、夕日が沈んだほんの狭い一帯にだけが夕焼けとして染まりました。

 大きな力を持つ太陽でさえ、大きな力を発揮できないことがあるのが現実というものです。我々のような小さな存在が現実に翻弄されるのは無理もないことではあるのですが、夕日を見た帰りに見つけたナナカマドのまだ青い実が来るべき秋に赤く染まる準備を整えているのを見ると、小さな存在だからとあきらめるのではなく、次のステージに備えて着々と準備したものだけが赤く実ることができるのだとも思えるのでした。
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 まだまだ青い実としての存在であ若い研究者たちは、来るべきシーズンに備えて着々と準備を怠らないことを期待します。

 そして、寒い季節が来た時には皆さんが赤く実っていることも確信しています。
by stochinai | 2013-07-30 20:50 | ポスドク・博士 | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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