2005年 06月 25日
ウェブの力
今日、見知らぬ方からメールをいただきました。
まだブログに移行する前に勝手に自分のホームページに「ほぼ毎日エッセイ」である「今日のつぶやき」を書いていた頃の去年の6月18日の記事を読んでくださりメールを送っていただいたとのことです。もちろん、物好きに読みあさっていただいたわけではなく、検索で引っかかったとのことです。
それだけでは何のことかわからないと思いますので、最近よくやる全文引用をしてみます。去年の6月も暑かったことを思い出しました。
---------------------------
むし暑い
朝からまったく太陽が出ていないのに、気温はは27℃を越えたようです。むし暑いというのはこういう時に使う言葉でしょうか。
突然ですが「目くじらを立てる」という言葉が気になってしまいました。
目にクジラがいるのか?
そういえばクジラの目って、しわだらけで優しい感じだったなあ。
だけど、目くじらを立てるというのは、目が険しくなる様子だよなあ。
う~ん、それとは違いそうだ。
広辞苑によると「目の端。目角めかど。めくじり。」と書いてあります。とすれば、くじらは鯨とはなんの関係もない「くじり」の変化したもののようです。
くじりは「く尻」だとすれば、目くじらは「目尻」となり、それを立てるというのは目尻をつり上げる様子であることが思い浮かんできます。
大学に入った頃、いわゆる教養部で国語学かなんかを取った時に、似たような話をたくさん聞かされたような気がします。
芽が出るの「芽」は、「萌え」の変化したものであるという話は、明るい春のイメージとともに脳に焼き付けられています。そういう話をしてくださった五十嵐三郎先生は、当時すでにおじいさんでしたから、もうとっくに亡くなられていることでしょう。彼が雑談のようにしてくれた語源の話は好きなテーマのひとつでした。
英語だと、「目くじらをたてる」は not worth getting so mad 「そんなに腹を立てる価値はない」でいいそうです。
---------------------------
検索した言葉は「五十嵐三郎」だそうで、メールをくださったのは五十嵐先生のお孫さんでした。わざわざ、引っ張り出して読むほどの文ではないですが、血縁の方にとっては懐かしいものだったのかもしれません。こんなに時間が経った後でも読んでいただけるというのは、やはりウェブの特徴が良く出たエピソードだと思います。
五十嵐先生はやはり亡くなられているとのことですが、このメールをいただいて私にはすべてが生き返ってきたような気持ちになりました。
ありがとうございました。
まだブログに移行する前に勝手に自分のホームページに「ほぼ毎日エッセイ」である「今日のつぶやき」を書いていた頃の去年の6月18日の記事を読んでくださりメールを送っていただいたとのことです。もちろん、物好きに読みあさっていただいたわけではなく、検索で引っかかったとのことです。
それだけでは何のことかわからないと思いますので、最近よくやる全文引用をしてみます。去年の6月も暑かったことを思い出しました。
---------------------------
2004年06月18日(金)
朝からまったく太陽が出ていないのに、気温はは27℃を越えたようです。むし暑いというのはこういう時に使う言葉でしょうか。
突然ですが「目くじらを立てる」という言葉が気になってしまいました。
目にクジラがいるのか?
そういえばクジラの目って、しわだらけで優しい感じだったなあ。
だけど、目くじらを立てるというのは、目が険しくなる様子だよなあ。
う~ん、それとは違いそうだ。
広辞苑によると「目の端。目角めかど。めくじり。」と書いてあります。とすれば、くじらは鯨とはなんの関係もない「くじり」の変化したもののようです。
くじりは「く尻」だとすれば、目くじらは「目尻」となり、それを立てるというのは目尻をつり上げる様子であることが思い浮かんできます。
大学に入った頃、いわゆる教養部で国語学かなんかを取った時に、似たような話をたくさん聞かされたような気がします。
芽が出るの「芽」は、「萌え」の変化したものであるという話は、明るい春のイメージとともに脳に焼き付けられています。そういう話をしてくださった五十嵐三郎先生は、当時すでにおじいさんでしたから、もうとっくに亡くなられていることでしょう。彼が雑談のようにしてくれた語源の話は好きなテーマのひとつでした。
英語だと、「目くじらをたてる」は not worth getting so mad 「そんなに腹を立てる価値はない」でいいそうです。
---------------------------
検索した言葉は「五十嵐三郎」だそうで、メールをくださったのは五十嵐先生のお孫さんでした。わざわざ、引っ張り出して読むほどの文ではないですが、血縁の方にとっては懐かしいものだったのかもしれません。こんなに時間が経った後でも読んでいただけるというのは、やはりウェブの特徴が良く出たエピソードだと思います。
五十嵐先生はやはり亡くなられているとのことですが、このメールをいただいて私にはすべてが生き返ってきたような気持ちになりました。
ありがとうございました。
by stochinai
| 2005-06-25 17:44
| つぶやき
|
Comments(0)