5号館を出て

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これを機に「博士号」のない社会にするのもいいかも

 早稲田大学の調査委員会(小林英明委員長)が、たとえどんな内容の博士論文であっても「学位の取り消しは一つの法律行為なので、その要件に合致しなければ、たとえ心情的にはおかしいと思っても、取り消すことができない性質がある」ということで、たとえ疑惑の博士論文に
「不正の方法があったとしても、その『不正の方法』によって『学位の授与』を受けたという要件を満たさなければいけない。つまり、『不正の方法』と『学位の授与』との間に因果関係が必要になる。

因果関係というのは、ある事実があった後にある事実がある、ある事実がなければある事実がない、といった関係のことをいう。つまり、それが学位授与に重大な影響を与えたという場合に、初めて因果関係があるといえるレベルになる。

早稲田大学では、査読付きのジャーナルに受理されているということが学位授与に非常に大きな影響を与えている。それが受理されていれば、あとは指導教員が論文を丁寧に指導すれば、ほとんど学位がとれるということが実態になっている。

今回、小保方さんは査読付きのジャーナルに受理された論文を持っており、それに基づいて博士論文を書いている。そういう状況下で、学位の授与に重大な影響を与えたかを検討した。

最終的には、学位の授与に一定程度の影響を与えたという事実はあるけれど、重要な影響を与えるとまではいかない、科学の論文なので、実験結果の部分で盗用がない以上、重要な影響とまでは言えないという結論になった。

このような議論の末、今回の場合、不正の方法により、学位授与の取り消しにはあたらないという結論に至った」
と発表しました。(いずれも弁護士ドットコム トピックスよりの引用)

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(タカノハススキ・ヤバネススキ)

 弁護士さんでもあるこの委員長の詭弁としては、「早稲田大学では、査読付きのジャーナルに受理されているということが学位授与に非常に大きな影響を与えている。それが受理されていれば、あとは指導教員が論文を丁寧に指導すれば、ほとんど学位がとれるということが実態になっている」ので、今回の件もこの条件に関してはクリアしているので、学位取り消しはしなくてもいいだろうということのようです。

 「査読付きのジャーナル」にもピンからキリまであり、中学生の夏休み自由研究のようなレベルでも「査読をした」とした論文をどんどん出しているジャーナルもあります。実際にはかなりの数の「博士」がそうしたレベルのジャーナルへの出版することで、「条件をクリアした」として授与されているという事実があります。これはひとり早稲田に限らず、どこの大学でもそうした条件を付けているところでは見られることだと思います。さらには、この「査読付きジャーナル」での出版を学位授与の条件にしていない大学が(旧帝大でも)あると聞いていますので、博士の学位授与の条件など「有ってなきがごとし」といえるものだと、私は理解しています。

 それでも、「東大の博士号」とか「早稲田の博士号」などはそれなりの品質保証を伴っているものだという世間的理解もまたあると思っていましたので、今回の調査委員会の結論はその「品質保証」の存在を土足で踏みにじるもののようにも思えて、ちょっとびっくりしました。

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(ノウゼンカズラ)

 もちろん今までだって、某帝大とか某著名私立大学の博士号を持っているからといって、それがそのままその人の学問的レベルの保証にはなっていないということは、我々業界内部の人間にとってはいわば「常識」でした。ルールとしては、どんなに博士号授与の審査に関してキツイ条件が課せられていた研究科であったとしても、それを本人の実力を越えた「何らかの方法」で乗り越えてきた「博士」がいることは、その博士としばらく学問的に付き合ってみればたちどころにわかるものです。

 つまり、どこの大学院で授与された博士号を持っているかということが、「品質保証」と直結しないことは誰でもが感じていたことです。しかし、それを表立って公式に表明した例というものはいまだかつてなかったはずです。それが、今回の調査委員会はあまりにも露骨に、「早稲田の博士ってこんなものです」と言ってしまったのであります。

 アカデミアの外にいる人から見るとこれは、「早稲田の博士」だけにとどまらず、「日本の博士」というものがそういうものなのだと、公式に(国際的に)表明することになってしまった事件になってしまいました。

 なんども言ってきたように、どこの大学の大学院の博士号を持っているからといって、品質保証になっていないということは我々は認識して今日に至っているのですが、社会的にはあまり広く公言されてきてはいなかったことだと思います。それが、こんなにあっさりと公になってしまったのですから、それはもう大騒ぎ、というレベルの衝撃がアカデミアに走っています。

 とはいえ、我々も一部の博士号なんて信用できないものだというふうには思っていたのも事実なのですから、こうなった以上、ここで一旦「日本の博士号」の存在をリセットすることもアリかもしれないと思っています。

 私の博士号も剥奪していただいても構いません。ただし同時に、博士号を必要とする職種というものからすべてその制限を取り除くことも同時に行ってもらわなければ整合性がとれなくなります(失職する可能性もある)ので、それは必須です。

 そうなれば、人事考査の際に博士号を持っているかどうかで安易にふるい分けすることができなくなり、ちょっと面倒くさくなりそうですが、実は今でも博士号を前提とする人事ではあまりにもたくさんの方が博士号を持っているために、事実上それを持っているということでの選抜は機能していないのが現実ですし、逆に博士号を取るなどということの無意味さを知っている「骨のある」人材を最初にふるい落としているというマイナス面がなくなるという意味では、「一害あれども百利あり」くらいの結果になることと思います。

 というわけで、もしも今回の早稲田の調査委員会の報告が早稲田大学の最終結果として世界に発表されるようなことになったならば、いっそのこと日本の博士号はその時点をもってチャラにして、「日本には博士号というものはありませんので実力本位の人事選考をお願いいたします」と世界に発信するのがもっとも現実的で妥当な着地点だと、私は強く思うのですが、どうでしょうか?

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(ラベンダー)

 結構、本気でそう思っています。
Commented by 学位について at 2014-07-22 12:24 x
寺田寅彦の書いたものです
Commented by stochinai at 2014-07-22 13:08
 さすがに良い文章ですね。日本の学位というものが、80年間「云わば商売志願の若者が三年か五年の間ある商店で実務の習練を無事に勤め上げたという考査状と同等なものに過ぎない」状況が変わらないまま今日に至っていることが実感できました。
Commented by 203 at 2014-07-22 14:49 x
思考実験としては面白いですが、問題は博士号を事実上のアカデミックポストの前提資格として扱っているのは日本だけでないということです。博士号を放棄するということは、科学界から鎖国するということで現実的ではありません。海外でポスドクをやるにも海外で博士号を取らねばなりません。

たとえ東大だろうとハーバードだろうと個々の博士レベルでみたら、「博士」に値しない人がある一定数出るのは仕方ありませんし、それは重要な問題ではないと思います。早稲田の問題は、「不正」を認定した学位を意味不明なロジックで剥奪する気がなさそうだということです。致命的な不良品をリコールしない企業と同じで、そういう大学は存在自体が同業者にとって害悪といえるでしょう。企業の場合は行政が厳しく指導するでしょうが、大学に関しては(余計な事には口を挟むわりには)野放しにするつもりでしょうかね。
Commented by stochinai at 2014-07-22 18:49
私も「思考実験」以上の提案になると思っているわけではありません。今回の件に関しては、皆さん感じておられるようにCDBにしても早稲田にしても「何かおかしい」と思います。当事者が最初にポロリとしゃべったように本当に「なにか大きな力が働いている」のだとしたら、正論での議論は通らないと思ってあえて斜めから球を投げてみました。
Commented by 足りてない at 2014-07-23 18:46 x
草稿と本稿の点が抜けている。

他の学生にたくさんの不正行為が見つかった実態があったのが抜けている。
Commented by stochinai at 2014-07-23 19:43
その点に関しては私が言うまでもなく、たくさんの指摘が日本中でなされておりますので、私の出る幕はありません。

そういうわけで、私は視座を変えてジョン・レノンのイマジン風に「もし博士というものがなかったら、いろんな問題は消えてなくなる」ということを書いてみたつもりです。
Commented by 在米ポスドク at 2014-07-24 00:32 x
ご存知のように、多くの博士課程の学生は、博士号をとるために相当の努力をしますよね。その努力こそが、本人の大きな成長を促すと思うので、ご提案には反対です。
Commented by stochinai at 2014-07-24 06:51
ご意見も、おっしゃることの意味もよくわかりますが、その「努力」なしに取れる博士号も乱発されているという実態があきらかになったところが、いま問題になっているのだと思います。それに、本当の意味で世界と戦う研究者になろうとするなら、博士を取るために努力するのではなく世界に負けないように努力するのではありませんか?
Commented by alchemist at 2014-07-24 12:34 x
大げさな調査などやらなくても、最終審査のために教授会に提出された審査の経緯を記した公文書を公開すれば、かなりのことは判るハズです。例えば、学位論文のコピーすら見たことがないと公言しているバカンテイ氏が審査にどのように関与しているか、など。もし関与している証拠が残っていなければ、学位審査会そのものが成立していないことになります。そんな簡単なことを明示せずに学位を取り消さないという結論を公表して「通る」ような社会なら、学位なんてなくしてみたらという提案かなと忖度します。まあ、上の方も触れておられるように学位があった方が国外で仕事を見つけ易いという、当事者にとっては大きなメリットは無視できませんが。
Commented by GDN at 2014-07-24 14:44 x
博士号等は過去の実績に対する評価であって、それは現在の評価の資料となるという構図をとる。
問題なのは、その現在の評価者の評価の仕方なのであって、博士号それ自体を過大視したりすることそのものが問題。
それを博士号不要論に結びつけるとはなんたる短絡思考。
あなたの博士号は自分で返上しなさい。
Commented by cr at 2014-07-25 07:51 x
いろいろ反対論が見受けられますが、ブログ主さんは、資質の諸運命になっていない博士号の有無で、判別している世の中が問題だと仰りたいのでしょう。
自分の友人にも、博士号無しの差別を感じて後から取った人がいます。彼いわく大学名なんかどうでもよく、博士号そのものが問題だったそうです。
自分も欲しかったなあと思いますが、カネがかかりすぎて人生後半では無理ですね。
Commented by stochinai at 2014-07-25 19:49
 確かにこれだけ博士号を持った人がたくさんになってくると、どんなに優秀でも博士号がないということだけで残念な思いをすることがありますので、「大学名なんかどうでもよく、博士号そのものが問題」というような状況も実際にあるのだと思います。採用する側が「ぜひ君を採用したいから、どこの大学でもいいから博士号を取ってきてくれ」と言うこともあるという話を聞いたことはあります。博士を取ることが幸せの入り口になるならいいですが、トラブルの入り口になるのだったら、なんだか寂しく思います。
Commented by alchemist at 2014-07-26 17:14 x
野口英世が京大に学位申請した時のロックフェラー研究所の同僚の反応は、既にMDなのにどうしてPhDが必要なの?だったと伝わっています。ノーベル賞にノミネートされるような業績を上げながらPhDに拘るところがあったのが明治産まれの日本人ですね。
充分業績のある友達(MD)の姿が見えないなと想ったら、日本の教授になるためにはPhDが必要と云われて、慌てて取りに帰った(半年だったかな)というハナシもありました。
基本的には研究を半人前で行う能力があるという証明書のような意味合いがあるのが博士号(PhD)ですから、PhDと同等と扱われるMDの資格で十分に研究業績を上げたヒトに博士号を求めるのは、ちょっとオカシイと云えばオカシイのですけども。
Commented by stochinai at 2014-07-26 20:54
 たぶん、そのあたりの人による、国による、時代による、あるいは呼び方による(我々が大学院生の頃には日本ではPhDというものがありませんでしたので、アメリカに行く時にはDSciやMDでもPhDと名乗って良いのだ、と教えられていました)。そのあたりの溝を埋めるために文科省がPhDを作ったのですが、学術博士と博士(理学)はどこが同じでどこが違うんだということで逆に混乱を生んだような記憶があります。
Commented by 不肖の娘 at 2015-02-09 17:05 x
日本の大学に就職するにも、自然科学以外の分野では、必ずしも博士号は必須ではありません。


実家の父のように、農学部学士しか持たずに、私大商学部大学院専任教授になった例もあります。しかも、大学院教授選抜の文部科学省審査で、商学部・経済学部の博士号をもつ講師・教授が軒並み落ちているのに、父は通ってしまったのだとか。

我々、人文科学分野では、現在でも、博士号を持たない教授や講師も多いし、日本よりも欧米の大学の博士号の方が評価が高い。

それにドイツの大学では、博士号は研究者の最低基準で、大学講師になるためには、教授資格取得論文を書かなければなりません。


ですから、日本の大学の博士号のレベルが低いのなら、現行の博士号を無くすのではなく、大学講師・教授になるための資格を、博士号の上に創設すればいいのではありませんか?
Commented by STOCHINAI at 2015-02-09 17:27
不詳の娘さんのおっしゃることはある意味で正論だと思いますが、大学の先生あるいは研究者というものは、学問がまだ発展していない未知の領域を切り拓いていくのが仕事ですので、そうした職につくための「資格試験」は未知の領域への能力を判断するものであるべきで、そうなるとその資格審査をできる人がいないということにならないでしょうか。大学の先生に資格試験がないのはそういうことも理由にひとつではないかと、私は思っています。
by stochinai | 2014-07-21 21:37 | ポスドク・博士 | Comments(16)

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