2015年 02月 02日
「丸腰」の市民はテロに屈してもいい
生きていたことは確かなのですから、理屈としては救出の可能性もないわけではなかったお二人を失ってしまったことの無力感に、日本中が打ちひしがれているかと思ったのですが、やたらと威勢よく「テロには屈しない」とか「犯人に罪を贖わせる」とか言っている人がいることに驚きました。
私がテロの被害者になったとして、もし生きていたならば「簡単にテロに屈してしまう」と思います。殺されても「テロには屈しない」などという勇ましい大和魂は持ちあわせていないのです。なんの武器も持たない、普通の市民に「テロに屈するな」と言っても、大多数の人は「それは私には無理」という気持ちではないかと、私は思います。
そもそも、人質になって殺されそうな状況にいる人に向かって「テロに屈しない」ということは、テロリストに妥協して命乞いなどしないというメッセージに聞こえます。もちろん今回のような「非戦闘員」(武器を携行していたといっても、湯川さんも軍人としてはアマチュアです)を捕虜にするテロリストになんの正当性もないことは明らかですが、だからと言って、簡単に人質を殺せる立場にいるテロリストを刺激しても、悲劇以外の結果は想像できません。
もちろん、今回のケースはどんなに政府ががんばってたとえ卑屈になってまで交渉したとしても、テロリストたちはひとつの結末しか用意していなかった可能性は高そうですが、テロというのは卑怯なものなので丸腰の民間人を捕虜にしたり、標的にしたりするものなのです。その民間人の一人として私は、テロからはひたすら逃げたいし、テロに屈してもいいから殺さないでくれと言ってしまうと思います。
アメリカのように国家としてテロリスト集団に宣戦布告をして、空爆などで相手を殺しまくっている立場だとテロに屈しようが屈しまいが、もはや全国民がテロリストと殺すか殺されるかの対峙をさせられている状況なのだと思います。そういう国が「テロとの全面戦争」とか「テロには屈しない」と言っているのと、我々のようにともかく人を殺さないことが自分が殺されないことの最大の武器だというポリシーで生き延びてきた国とは立場も意見も違って当たり前ではないでしょうか。
繰り返しますが、多くの場合テロの犠牲になるのは武器を持たない民間人です。つまり、テロリストとの戦争は、相手がこちらの民間人全員を軍隊と同じようにターゲットとなることを前提とした宣戦布告に応じることになるのです。
私はテロでもなんでも痛い思いをさせられて死ぬのは怖いので、日本という国がテロリストに宣戦布告するなどという状況は想像するだけでも恐ろしいのです。臆病な私は、腰抜けと避難されても生きている方を選びたいと思います。「敢えて虜囚の辱めを受けず」ではなく、たとえ虜囚となっても生き延びてさえいれば、限りなく小さかったとしても開放されるチャンスはゼロではありません。私はそちらにすがりたいと思います。
後藤さんや湯川さんの場合は、最悪の自体も想定した上で危険地域に入っていったのかもしれませんが、もちろん死にに行ったわけではなく、生きて戻れる可能性を信じていたはずです。それが、相手の状況や心が変わったせいで悲劇になってしまっただけなのだとしたら、やはり悔しくてなりません。
テロリストがテロをする理由は自分たちの考え方を貫きたいからなのだと思います。そうだとするならば、戦争以外にもそれを実現する可能性はありえます。異なる生き方を認め合う共生・共存の世界を作り上げる以外にテロを撲滅することなどできないと、多くの評論家も語っています。
暗い話題になりましたが、今日のイチョウ並木は真冬に逆戻りしていました。
でも、その道端で外国から来たと思しきカップルが、固まりにくい雪と格闘しながら雪ダルマをつくっていました。
良い光景を見せてもらいました。
テロではなくて、愛が世界を救うのだと思います。
私がテロの被害者になったとして、もし生きていたならば「簡単にテロに屈してしまう」と思います。殺されても「テロには屈しない」などという勇ましい大和魂は持ちあわせていないのです。なんの武器も持たない、普通の市民に「テロに屈するな」と言っても、大多数の人は「それは私には無理」という気持ちではないかと、私は思います。
そもそも、人質になって殺されそうな状況にいる人に向かって「テロに屈しない」ということは、テロリストに妥協して命乞いなどしないというメッセージに聞こえます。もちろん今回のような「非戦闘員」(武器を携行していたといっても、湯川さんも軍人としてはアマチュアです)を捕虜にするテロリストになんの正当性もないことは明らかですが、だからと言って、簡単に人質を殺せる立場にいるテロリストを刺激しても、悲劇以外の結果は想像できません。
もちろん、今回のケースはどんなに政府ががんばってたとえ卑屈になってまで交渉したとしても、テロリストたちはひとつの結末しか用意していなかった可能性は高そうですが、テロというのは卑怯なものなので丸腰の民間人を捕虜にしたり、標的にしたりするものなのです。その民間人の一人として私は、テロからはひたすら逃げたいし、テロに屈してもいいから殺さないでくれと言ってしまうと思います。
アメリカのように国家としてテロリスト集団に宣戦布告をして、空爆などで相手を殺しまくっている立場だとテロに屈しようが屈しまいが、もはや全国民がテロリストと殺すか殺されるかの対峙をさせられている状況なのだと思います。そういう国が「テロとの全面戦争」とか「テロには屈しない」と言っているのと、我々のようにともかく人を殺さないことが自分が殺されないことの最大の武器だというポリシーで生き延びてきた国とは立場も意見も違って当たり前ではないでしょうか。
繰り返しますが、多くの場合テロの犠牲になるのは武器を持たない民間人です。つまり、テロリストとの戦争は、相手がこちらの民間人全員を軍隊と同じようにターゲットとなることを前提とした宣戦布告に応じることになるのです。
私はテロでもなんでも痛い思いをさせられて死ぬのは怖いので、日本という国がテロリストに宣戦布告するなどという状況は想像するだけでも恐ろしいのです。臆病な私は、腰抜けと避難されても生きている方を選びたいと思います。「敢えて虜囚の辱めを受けず」ではなく、たとえ虜囚となっても生き延びてさえいれば、限りなく小さかったとしても開放されるチャンスはゼロではありません。私はそちらにすがりたいと思います。
後藤さんや湯川さんの場合は、最悪の自体も想定した上で危険地域に入っていったのかもしれませんが、もちろん死にに行ったわけではなく、生きて戻れる可能性を信じていたはずです。それが、相手の状況や心が変わったせいで悲劇になってしまっただけなのだとしたら、やはり悔しくてなりません。
テロリストがテロをする理由は自分たちの考え方を貫きたいからなのだと思います。そうだとするならば、戦争以外にもそれを実現する可能性はありえます。異なる生き方を認め合う共生・共存の世界を作り上げる以外にテロを撲滅することなどできないと、多くの評論家も語っています。
暗い話題になりましたが、今日のイチョウ並木は真冬に逆戻りしていました。
でも、その道端で外国から来たと思しきカップルが、固まりにくい雪と格闘しながら雪ダルマをつくっていました。
良い光景を見せてもらいました。
テロではなくて、愛が世界を救うのだと思います。
by STOCHINAI
| 2015-02-02 19:05
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