5号館を出て

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意味のある会議

 会議のことが話題になる時、そのほとんどが否定的なものだと思います。

 やたらと会議が多いのは、別に大学に限ったことではないのかもしれませんが、本当の仕事よりも会議にかける時間が長いなどという状況が正しいはずはないという感覚は極めて常識的なものだと思います。

 会議には意味のある会議と意味のない会議があります。

 意味のない会議がなくならない最大の理由は、いろいろなことを会議で決めなければならないとした規則があるせいです。くだらないことまで、いちいち会議で決めなければならないことになっている規則を廃止するのが良いと思うのですが、それを決めるのにはさらに特別な会議が必要であるという規則があることが多く、会議を減らすために一時的には会議を増やさなければならないというジレンマがありますので、すでに会議の数が飽和状態にまで達している現状で会議を減らすための会議を増やすなどということは誰もやりたがらないため、いつまでも事態は改善しません。

 そんな中、今日は日曜日なのに札幌では珍しい猛暑にもめげず、昼の12時から5時過ぎまでの会議がありました。

 日曜日にある会議ですから、もちろん官製の押しつけ会議ではなく、我々が必要だと思って(喜んでとまでは言いませんが)自主的に開いた会議です。

 会議の中では、たくさんの重要なことが次々と決まり、会議の前と後では状況がまったく違ってしまうという、まさに「意味のある会議」だったと思います。

 今日の会議を振り返ってみると、意味のある会議と意味のない会議との違いがいろいろと明らかになります。

 一つは、会議の構成員にとって必要なことを議論するということです。多くの会議では、自分たちとは関係のないことを話し合います。自分たちのことではないですから、無責任なおしゃべりの中で適当に物事が決まって行きます。そういう会議で決められたことで影響を受ける人にとっては非常に迷惑な話です。日本の教育行政がやっている会議のほとんどがこれだと思われます。

 さらに、権限の問題があります。いろいろな会議で議論をしていると、「その件については上部の組織に権限があるので、ここでは決められない」という話がしばしば出てきます。その瞬間に、まじめに議論する気がしなくなります。そんな会議は意味がありません。しかし、恐らく「その件はこの会議では決められません」という言い方は「ウソ」だと思います。もし本当に会議で決められないのなら、会議で承諾を得るというのは矛盾しています。会議の承諾が必要だというのなら、拒否できるはずです。拒否することを拒否するような会議ならば開く意味はありません。昨年まで私が振り回されていた、全学教育の責任者会議がまさにそれでした。反対は許されないけれども、いつも承諾を求められていました。無意味だと思います。

 会議の議論の中で、さまざまな知的刺激を受けて次々と新しいアイディアが湧いてくるのは、非常に有益な会議と言えます。会議以上の会議と言えるでしょう。今日の会議では、様々な人の様々な考えを聞くことができ、思い出すと「これでちょっと成長できたかも」と思えるような瞬間が何度もあったような気がします。会議そのものが勉強になるというのも、意味のある会議の特徴でしょう。

 5時間もかかったので、さすがに肉体的・頭脳的疲労は感じたのですが、終わった時に「時間の無駄だった」という徒労感にとらわれずにすんだのが、この会議が意味のない会議ではなかったことの強い証拠だったと納得しています。

 会議の主催者が、予め議題を整理しておき、適切な資料を用意しておいてくれたということも、会議が短時間で(だらだらとした会議だったら1ヶ月もかかりそうなことを、たった!?5時間で)効果的に進んだということの要因のひとつだったと思います。無意味な時間泥棒会議では、資料不足でもう一回会議をやりますということになることも多いのです。

 また会議の参加者全員の能力が高く、志気も高く、積極的に参加してくれたということも、それと同じくらいの貢献度だったと思います。

 世の中には、元気の出る会議というものもあるのだということを思い出すことができました。

 皆さん、お疲れさまでした。
by stochinai | 2005-07-31 18:06 | 大学・高等教育 | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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