2016年 05月 18日
もはや風物詩
昨日投函された宛名なしの封筒に入っていました。昨年もらった時にはさすがに「ニッポン死ね」みたいなショックを受けましたが、今年は落ち着いて読ませていただきました。

近くの小学校で今月末の28日に開かれる運動会の練習のために校庭で拡声器を使った練習が始まるので、騒音が出ますので予めご理解とご協力をお願いするという趣旨のお願い文です。



私がここに引っ越してきた時にはすでに小学校はありましたし、小学校といえば運動会やプール学習などは当然やるものだと思っていましたので、むしろ運動会の練習が始まったり、プールで子どもたちの騒ぐ声が聞こえてくるのが当たり前の環境を自分で選んだつもりでいたので、むしろ時折聞こえてくるそうした音(騒音とは思ってもいませんでした)がないほうが心配になります。
ましてや、こちらが嫌がるだろうからとこうしたお願い状などをいただいてしまうと逆に恐縮してしまいますし、それほど子どもたちが歓迎されない社会になってしまったのかと、逆に今の日本をこそ憂い嘆きたくなります。
多少の逸脱があったとしても年に何度もあるわけでもない運動会ではありませんか、自分の家に小学生がいようがいまいが地域全体で支えていかなければ、ほんとうにこの国は終わってしまいます(というか、こういう状況はすでに半分終わっているとも感じますが)。
今からでも遅くないので、なんとかこの風潮は変えていきたいものです。
関係あるようで違う話ですが、我が家の近くには保育園もあり、そこの子どもたちの朝の散歩の時間に我が家の前がコースになることがあります。そんな時には、子どもたちが玄関先にある鉢植えの花や水槽の金魚やメダカを見つけて立ち止まってくれることがよくあります。私がいる時には玄関前にまではいってきてもらって、たっぷり鑑賞してもらうこともあります。そうすると、子どもたちがいつまでも動かなくなることも多いので保育士さん達にはひょっとしたら迷惑なのかもしれないと思ってはいるのですが、小さな子どもたちがはいってくれる庭というのも幸せな存在です。私がいない時でもはいっていただいていいですよとお話してはあるのですが、さすがにそういう時には歩道から見ているだけですが、子どもたちが立ち止まってくれるだけでうれしいものです。
というわけで、私には子どもたちの歓声が騒音になるという発想はあり得ないのですが、世の中にはいろいろな方がいらっしゃいますので、異なる意見の存在も認めたいと思います。
今日は一日デスクワークで写真も撮れませんでしたので、最近の「くらしのこよみ」から古い植物画のクリップを転載させていただきます。まずは、母の日関連でカーネーション。

我が家にも母の日に届いた鉢植えのカーネーションがありますが、これが結構手がかかる存在です。とはいえ、手をかけてやるとどんどん元気に毎日たくさんの花を咲かせてくれるのも楽しいものです。
そして、今が旬のアスパラガス。こちらは英語版のアプリからお借りしました。

冬の間はメキシコ産ばかり食べていましたが、ようやく地物が出てきて少し安くなってきました。これも自分の家で作って収穫してすぐに茹でると信じられないくらい甘いものが手に入るのですが、庭の広さに限りがあるので今は育てておりません。
農家の方が自分の家で消費する分だけと言いながら広い畑を確保している意味が良くわかります。
by STOCHINAI
| 2016-05-18 23:04
| 教育
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