2005年 08月 28日
ブログは選挙を変えるか
結論から言うと、ブログが今回の選挙結果を変えることはないと思います。しかし、この選挙は確実にブログシーンに大きな影響を与えています。今回の選挙を練習台として大きく成長したブログが、今後の選挙に影響を与えることになるでしょう。
その流れは意識されようがされまいがこの選挙を機に加速していき、インターネットが選挙に対してとてつもない大きな力を持つ存在になると思います。
今回に選挙に関連してみると、R30さんがおっしゃっているように自民党はすでにブログを政治的力を持つ存在として認知していることを先日のメールマガジン発行者・ブロガーとの懇談会で表明していますので、選挙で自民党が勝利した場合にはブログの認知およびその利用が勝利の一因として語られることはあるかもしれません。
しかし、すでに何人かの方が指摘しているようにあの懇談会関連で自民党およびウォッチャーにインパクトを与えることができたのはおそらくGripBlogさんただひとりだったし、彼女は自民党に招待されて参加したのではなく、自分から売り込んで無理矢理に潜り込んだ人でした。彼女の行動は我々の選挙行動に影響を与えることがあるかもしれませんが、各政党や選挙そのものが彼女の行動によって影響されるということは、現時点ではほとんどないと言って良いと思います。(GripBlogさんによる詳細な報告も出ました。)
そういう意味で、まだまだ選挙などの全国民的な大きなイベントにはネットの影響力は大きくなってはいないとは思いますが、おそらくその理由は単にインターネットで情報を得る人の数がまだまだ少ないからに過ぎないということです。今後、それはどんどん大きくなっていくだけですから、それにつれて選挙もネットの存在を前提にするように変わっていくことは間違いありません。
ブログが選挙(にかぎらず、**)を変えるのかという問いが難しいのは、「ブログ」がどういうものなのかということを定義するのが難しいことに関係があります。形式としてのブログがだいたいこういうものであるということは定義することはできても、それは中身と何の関係もありません。
ブログは発信する人と読んでいる人で成立しています。ブログの特徴はその双方向性であると言われることが多いですが、自分で実際に運用していて感じることは、双方向性というものがそれほど機能しているわけではないということです。
ブログ・エントリー(記事)にコメントという形で直接寄せられる意見は、それがない場合に比べるとエントリーの質を維持するという点において非常に有用に働いていることは疑いはありませんが、それを介して書き手と読み手の垣根がなくなるほど活発に双方向のコミュニケーションが実践されているかというとそれほどのことにはなっていません。
ブログの登場によって技術的には発信者と受信者の垣根がほとんどなくなったと言われますが、ブログを書く人と読む人という分化はやはりあります。その結果、やはりブログはジャーナリズムの一種ということになっているのだと思います。
ただし、トラックバックという形式でたくさんのエントリー(記事)がリンクされた形で読者に提供されているということはいままでのジャーナリズムにはなかった特徴です。双方向性はそれほど大きくなっていなくても、トラックバックを介して横に大きく広がった情報源ととしてのブログの世界は、やはりいままでのジャーナリズムとは一線を画する大きな発展だと言えます。
とまあ、形式だけについてみてもブログが新しいメディアであるということはわかるのですが、それが日本を変えるのかということになるとその内容次第であるという陳腐な結論に到達せざるを得なくなります。
つまり、メディアはブログであろうがなかろうがある民主主義国家の未来を決めるものはリーディング・オピニオンとそれを支持する市民の数ですから、ブログがメディアの中で大きな位置を占めるようになれば、ブログが日本を変えるということになるでしょうし、ブログがそういうメディアになれるかどうかはやや未知ですが、少なくとも今回の選挙の中でかなり鍛えられていることは事実で、情報の集約中心として大きく成長しつつあるところも出てきているようですから、大いに期待はできるでしょう。
また、ブログの特徴はその柔軟性ですから、すべてのブログがネット社会の中で同じような位置を目指す必要がないばかりではなく、逆にそれぞれが自分らしい規模(読者数)や、自分らしい取り扱い対象、自分らしい更新頻度を持ってネットの中に残されているすべてのニッチを埋めるようになった時に、「ブログが日本を変える」ことになるでしょう。その時には、おそらくブログが世界も変え始めているのだと思います。
その流れは意識されようがされまいがこの選挙を機に加速していき、インターネットが選挙に対してとてつもない大きな力を持つ存在になると思います。
今回に選挙に関連してみると、R30さんがおっしゃっているように自民党はすでにブログを政治的力を持つ存在として認知していることを先日のメールマガジン発行者・ブロガーとの懇談会で表明していますので、選挙で自民党が勝利した場合にはブログの認知およびその利用が勝利の一因として語られることはあるかもしれません。
しかし、すでに何人かの方が指摘しているようにあの懇談会関連で自民党およびウォッチャーにインパクトを与えることができたのはおそらくGripBlogさんただひとりだったし、彼女は自民党に招待されて参加したのではなく、自分から売り込んで無理矢理に潜り込んだ人でした。彼女の行動は我々の選挙行動に影響を与えることがあるかもしれませんが、各政党や選挙そのものが彼女の行動によって影響されるということは、現時点ではほとんどないと言って良いと思います。(GripBlogさんによる詳細な報告も出ました。)
そういう意味で、まだまだ選挙などの全国民的な大きなイベントにはネットの影響力は大きくなってはいないとは思いますが、おそらくその理由は単にインターネットで情報を得る人の数がまだまだ少ないからに過ぎないということです。今後、それはどんどん大きくなっていくだけですから、それにつれて選挙もネットの存在を前提にするように変わっていくことは間違いありません。
ブログが選挙(にかぎらず、**)を変えるのかという問いが難しいのは、「ブログ」がどういうものなのかということを定義するのが難しいことに関係があります。形式としてのブログがだいたいこういうものであるということは定義することはできても、それは中身と何の関係もありません。
ブログは発信する人と読んでいる人で成立しています。ブログの特徴はその双方向性であると言われることが多いですが、自分で実際に運用していて感じることは、双方向性というものがそれほど機能しているわけではないということです。
ブログ・エントリー(記事)にコメントという形で直接寄せられる意見は、それがない場合に比べるとエントリーの質を維持するという点において非常に有用に働いていることは疑いはありませんが、それを介して書き手と読み手の垣根がなくなるほど活発に双方向のコミュニケーションが実践されているかというとそれほどのことにはなっていません。
ブログの登場によって技術的には発信者と受信者の垣根がほとんどなくなったと言われますが、ブログを書く人と読む人という分化はやはりあります。その結果、やはりブログはジャーナリズムの一種ということになっているのだと思います。
ただし、トラックバックという形式でたくさんのエントリー(記事)がリンクされた形で読者に提供されているということはいままでのジャーナリズムにはなかった特徴です。双方向性はそれほど大きくなっていなくても、トラックバックを介して横に大きく広がった情報源ととしてのブログの世界は、やはりいままでのジャーナリズムとは一線を画する大きな発展だと言えます。
とまあ、形式だけについてみてもブログが新しいメディアであるということはわかるのですが、それが日本を変えるのかということになるとその内容次第であるという陳腐な結論に到達せざるを得なくなります。
つまり、メディアはブログであろうがなかろうがある民主主義国家の未来を決めるものはリーディング・オピニオンとそれを支持する市民の数ですから、ブログがメディアの中で大きな位置を占めるようになれば、ブログが日本を変えるということになるでしょうし、ブログがそういうメディアになれるかどうかはやや未知ですが、少なくとも今回の選挙の中でかなり鍛えられていることは事実で、情報の集約中心として大きく成長しつつあるところも出てきているようですから、大いに期待はできるでしょう。
また、ブログの特徴はその柔軟性ですから、すべてのブログがネット社会の中で同じような位置を目指す必要がないばかりではなく、逆にそれぞれが自分らしい規模(読者数)や、自分らしい取り扱い対象、自分らしい更新頻度を持ってネットの中に残されているすべてのニッチを埋めるようになった時に、「ブログが日本を変える」ことになるでしょう。その時には、おそらくブログが世界も変え始めているのだと思います。
by stochinai
| 2005-08-28 23:45
| コンピューター・ネット
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