2005年 08月 30日
中学生の職場訪問
今日は午前中から札幌の近くにある北広島市のO中学校3年生の生徒さんが、「総合的な学習の時間」職場訪問の一環として、大学の教員である私の働きぶり(?)を取材に来てくれました。
この総合学習の主旨は、「実際に働く方から学び、働くことの意味について考えながら自分の生き方について考える」ということなのでそうで、具体的には自分がなってみたい職種を観察してみよう、ということのようでした。
同級生達はいろいろな職場に散っていったようで、例えば円山動物園の飼育係の仕事ぶりを見に行った人はたくさんいたそうですが、北大の先生の仕事ぶりを見たいなどと思った人はKさん1人だったとのことで、たった1人で乗り込んできてくれました。
私について言うと、今年は高校生だけではなく小学生の相手をさせてもらったこともあったのですが、中学生というのは初めてでしたので、なかなかうまく対応ができなかったのではないかと反省しております。
インタビューを受けることなどなかなかないのですが、あらかじめ質問内容を知らされていました。
・ この職を得るまでにつらかったことはどういうことか。
・ この職業の「つらいこと」「おもしろいところ」、なって「良かった」と思うことはなにか。
・ この職業のがんばりどころはどこか。
・ 生物学の大学教員になるために、今どんなことをがんばっておくべきか。
なかなか難しい問いばかりですが、なんとか答えさせてもらいました。最後の質問をした意図は、やはり生徒さんが将来大学の教員を目指したい、ついてはどういうふうにしていったらそうなれるのか、という質問に関連していますからなかなか答えるにつらいところです。
中学生にもわかるように説明しようとすると、こんなふうになりました。「まずは、高校に入って、大学に入って、その後に大学院に進まないといけません。今は子供が少ないこともあり、高校や大学ばかりではなく、大学院に進むのも思ったよりも易しいかもしれないけれども、その中で大学の教員になれるのは、何十人あるいは何百人に1人しかいないんですよ」という現実を話さざるを得ません。
こんなに若い子の夢をぶちこわすようで申し訳ないと思いながらも、実態を話しておきました。その上で、「生物学の大学教員や研究者になろうと思ったら英語の勉強をしておいてください。科学の共通語は英語なのです」という実用的な話もしておきました。
実験室を見てもらった時にはポスドクの人しかいなかったので、少し話は難しかったかもしれませんでしたが、帰り際に「今日は楽しかったです」と言ってもらえたので、ひとまず責任は果たせたかな、と思いながらもどっと疲れが出たのでした。
中学生くらいの相手が一番難しいかも知れませんね。
この総合学習の主旨は、「実際に働く方から学び、働くことの意味について考えながら自分の生き方について考える」ということなのでそうで、具体的には自分がなってみたい職種を観察してみよう、ということのようでした。
同級生達はいろいろな職場に散っていったようで、例えば円山動物園の飼育係の仕事ぶりを見に行った人はたくさんいたそうですが、北大の先生の仕事ぶりを見たいなどと思った人はKさん1人だったとのことで、たった1人で乗り込んできてくれました。
私について言うと、今年は高校生だけではなく小学生の相手をさせてもらったこともあったのですが、中学生というのは初めてでしたので、なかなかうまく対応ができなかったのではないかと反省しております。
インタビューを受けることなどなかなかないのですが、あらかじめ質問内容を知らされていました。
・ この職を得るまでにつらかったことはどういうことか。
・ この職業の「つらいこと」「おもしろいところ」、なって「良かった」と思うことはなにか。
・ この職業のがんばりどころはどこか。
・ 生物学の大学教員になるために、今どんなことをがんばっておくべきか。
なかなか難しい問いばかりですが、なんとか答えさせてもらいました。最後の質問をした意図は、やはり生徒さんが将来大学の教員を目指したい、ついてはどういうふうにしていったらそうなれるのか、という質問に関連していますからなかなか答えるにつらいところです。
中学生にもわかるように説明しようとすると、こんなふうになりました。「まずは、高校に入って、大学に入って、その後に大学院に進まないといけません。今は子供が少ないこともあり、高校や大学ばかりではなく、大学院に進むのも思ったよりも易しいかもしれないけれども、その中で大学の教員になれるのは、何十人あるいは何百人に1人しかいないんですよ」という現実を話さざるを得ません。
こんなに若い子の夢をぶちこわすようで申し訳ないと思いながらも、実態を話しておきました。その上で、「生物学の大学教員や研究者になろうと思ったら英語の勉強をしておいてください。科学の共通語は英語なのです」という実用的な話もしておきました。
実験室を見てもらった時にはポスドクの人しかいなかったので、少し話は難しかったかもしれませんでしたが、帰り際に「今日は楽しかったです」と言ってもらえたので、ひとまず責任は果たせたかな、と思いながらもどっと疲れが出たのでした。
中学生くらいの相手が一番難しいかも知れませんね。
>高校に入って、大学に入って、その後に大学院に進まないといけません。
私は、ここがよくわからなくなっています。
(医学を含めて)生物学にはさして難しい理屈はないし、実験操作は手先が器用で丁寧な仕事をする人ならすぐにできるようになります。極論を言うと、語学と加減乗除と若干の統計学を知っていれば大学院を出るぐらいはなんとかなるのです。(仕事の幅は狭くなりますが)
同僚や上下関係のある中で仕事をしなくてはならないので、人間的な成熟は必要かもしれません。しかし、高校を出て大学を出る必要があるとは思えない。
音大卒とか美大卒の人が医学や生物学でPh.Dを取っているのです。
「この人は仲間としてうまくやっていけそうだ」ということを推し量るために、膨大な学歴を要求しているのであれば、無駄な話だと思います。別の選抜方法があるんではないか。
中学から大学院への飛び級があってもいいんじゃないでしょうか。若干20歳でPh.Dを取れれば、その後の人生にもずいぶん幅が出るでしょう。複数の分野でPh.Dを取る、いわゆるダブルメジャーも可能になります。そうすると、就職口も広くなるような気がする。
私は、ここがよくわからなくなっています。
(医学を含めて)生物学にはさして難しい理屈はないし、実験操作は手先が器用で丁寧な仕事をする人ならすぐにできるようになります。極論を言うと、語学と加減乗除と若干の統計学を知っていれば大学院を出るぐらいはなんとかなるのです。(仕事の幅は狭くなりますが)
同僚や上下関係のある中で仕事をしなくてはならないので、人間的な成熟は必要かもしれません。しかし、高校を出て大学を出る必要があるとは思えない。
音大卒とか美大卒の人が医学や生物学でPh.Dを取っているのです。
「この人は仲間としてうまくやっていけそうだ」ということを推し量るために、膨大な学歴を要求しているのであれば、無駄な話だと思います。別の選抜方法があるんではないか。
中学から大学院への飛び級があってもいいんじゃないでしょうか。若干20歳でPh.Dを取れれば、その後の人生にもずいぶん幅が出るでしょう。複数の分野でPh.Dを取る、いわゆるダブルメジャーも可能になります。そうすると、就職口も広くなるような気がする。
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私も一般論としてはそれで良いと思っています。ただし、今の日本のシステムの中で中学校から大学院へ飛び級して、当人がそしてそれ以上にまわりがうまくやっていけるでしょうか。千葉大学に飛び級で入学した学生さん達のその後もあまり聞いていませんので、そこはかなり不安に思います。
それに今時の大学の教員なんて、みんなが目指すべき職業でもないし、今後はますます不安定なものになっていくでしょうから、職場を訪問したところで未来なぞ見えないというのがほんとうのところでしょう。
それに今時の大学の教員なんて、みんなが目指すべき職業でもないし、今後はますます不安定なものになっていくでしょうから、職場を訪問したところで未来なぞ見えないというのがほんとうのところでしょう。

私も飛び級は基本的に賛成です。それから、飛び級をして学部卒で終わってもいいのではないかと思います。
大学に残り、研究者になるだけでもなく普通にサラリーマンになってもかまわないのではと・・・
もう少し柔軟に考えてみてもいいのではないかと思います。
大学に残り、研究者になるだけでもなく普通にサラリーマンになってもかまわないのではと・・・
もう少し柔軟に考えてみてもいいのではないかと思います。
もちろん飛び級をして大学や大学院に入った学生が、大学に残ったり研究者にならなくても良いと私も思いますが、入れる方(大学と文科省)の思惑がそちらに傾いていることは認識しておいたほうが良いと思います。科学者になる才能の青田買いです。
それと、やはり受け入れる社会の問題があります。大学で博士を大量に製造したのは良いのですが、社会の方がその受け入れをあまり歓迎しないという現実が今、目の前にあります。大学院生が就職試験を受けに行って言われる常套句のひとつが「あなたのような高学歴の人がうちみたいな会社に来るのはもったいないです。大学に残って研究していた方がいいんじゃないですか」であるという状況が変わらない限り、飛び級して若くして社会に出てしまった人を受け入れてくれる環境など、あまり期待できないのではないかというところを心配しています。
それと、やはり受け入れる社会の問題があります。大学で博士を大量に製造したのは良いのですが、社会の方がその受け入れをあまり歓迎しないという現実が今、目の前にあります。大学院生が就職試験を受けに行って言われる常套句のひとつが「あなたのような高学歴の人がうちみたいな会社に来るのはもったいないです。大学に残って研究していた方がいいんじゃないですか」であるという状況が変わらない限り、飛び級して若くして社会に出てしまった人を受け入れてくれる環境など、あまり期待できないのではないかというところを心配しています。

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

プラス、飛び級も落第も、周囲も自分も振り回されないだけの個を確立しないとなかなか難しいでしょうね。15歳で大学に入った友人がいますが、カナダ人ですが、つくづく孤独だったと述懐していました。周囲の羨望や妬み、共有するピア文化のない中でストレスに対抗するのは大変です。
非公開コメントさん、ありがとうございました。ご意見は、とても参考になりました。な~るほど、という感じです。
さなえさん、いつもどうも。
落第した人の意見はたくさん聞いたことがありますが、飛び級した人の声は私は聞いたことがありません。「つくづく孤独だった」という話、ズシンときました。いずれにしても、大人がいろいろともて遊んじゃダメですね。
落第した人の意見はたくさん聞いたことがありますが、飛び級した人の声は私は聞いたことがありません。「つくづく孤独だった」という話、ズシンときました。いずれにしても、大人がいろいろともて遊んじゃダメですね。
by stochinai
| 2005-08-30 19:54
| 教育
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Comments(8)