5号館を出て

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大学院全入時代

 今日、大学院の合格発表があったようです。

 博士課程(博士後期課程)は受験者が少ない(定員に満たない)こともあり、昔から受験者が全員合格することはよくあることでした。というか、もっと昔は指導教官から受験をして良いと言われることがほぼ合格を意味する時代もあり、その頃は不合格になることがニュースになったものです。その頃は、博士課程の合格は研究者へのパスポート取得に近い意味もあったものです。

 しかし、そんな楽園の時代が過ぎ、パスポートが紙切れになってしまった後には、受験生が減ったこともあり、ほぼ全員合格に近い状況が現在まで続いています。

 それに対して修士課程(博士前期課程)の受験者は、常に定員を大きく越えていたこともあり、だんだんと少なくなってきてはいたものの必ず不合格者がいたものです。

 それが、なんと今年の試験では私の記憶する限りはおそらく史上(?)初めて、私の所属する専攻において、受験生全員が合格という快挙(?)がありました。

 などと他人事のように言っていますけれども、合格判定委員会に出席していた私はずっと前から知っていました。

 まあ、いろいろな事情が重なってある意味ではたまたまこうなったのだと思いますし、来年もまた全員合格になるなどということはないかもしれませんが、少子化時代を迎えて大学院も大学より一足お先に全員入学時代になってきたというふうに見ることは可能だと思います。

 いつも書いていることですが、大学院の入試はかなり前から大学入試よりもはるかに易しくなっていますし、地方大学から東大や京大の大学院に入って最終学歴を書き換える学歴ロンダリングという言葉もかなり前からあるにはありました。

 しかし、ロンダリングができるようになったとは言っても、東大や京大で受験生が全員合格しているかというとそれはないんじゃないでしょうか。(と書きながら、実はもうそうなっているのかもしれないという不安は感じています。)

 それはさておき、地方大学とはいえ旧帝大の大学院において受験生全員が合格するという状況には、関係者でありますが私は正直言ってある種のショックを受けております。1人や2人の不合格者が出ることと、全員が合格することの間にそんなに差があるのかと思われる方もいるでしょうが、私にはかなりの衝撃でした。

 これは、我々の所属する専攻もある種の質的変化を遂げたことの象徴だと思えるからです。

 実を言うと、我々の大学でもあちこちで受験生全員が大学院修士課程に合格しているという話はかなり前からありました。しかし、我々の専攻とは異なる世界の話だと思っていましたが、今回の結果からそんなことはないことが証明されたと思います。

 ある種のモラルハザードへとつながらないことを切に祈るとともに、なんとか崩壊を食い止める努力をしていかなければならないと緊張し直している本日の私であります。
Commented by inoue0 at 2005-09-02 00:05
 これは、「どこで引導を渡すのが、もっとも社会コストが少ないか」という問題でしょう。研究者の社会需要は決まっている、希望者は多い、とすると、どこかで振り落とさなくてはならない。
 大学院定員を少なくしておけば、卒業者数と就職数のミスマッチは減らせます。しかし、大学院入試が難関になる。一昔前までの人文社会系はそうでした。少数精鋭で、指導教員は自分が就職を世話できる程度の院生しか採らなかった。徒弟制度の世界。指導教授の顔色を伺うことが習い性になってしまうのも無理ない。
 一方、大学院定員が増えると、卒業時点で就職が困難になります。これが今後どういう結果を生むかは、米国を研究すべきでしょう。Ph.D保持者が、普通の仕事に就かざるをえなくなってます。
Commented by inoue0 at 2005-09-02 00:22
 法曹養成では、司法研修所定員のため、司法試験にはロースクール卒業生の3割程度しか受からないだろうと言われています。残りの7割を「法務博士」と呼ぶということだけは決まってますが、彼らをどう処遇するかは何の対策もない。
 学費が年間200万円にもなるロースクールに通って、卒業しても3回しか受けられませんから、法務博士は最年少で28歳ですか。
 こんなことなら、従来の司法試験のごとく、入り口で選抜した方が、ずっとコストは少なかったはずです。
 一般の大学院入試も、10年後には「入り口で絞ったほうがまし」という認識が関係者に生まれて、定員を絞る方向に行くんではないかと愚考しておりますが、それまでに生まれた就職先のないPh.Dはどうすればいいんでしょうか。
 各大学ごとの良識に任せるなんてことは無理です。定員がある以上、あまりにも定員を割っていると補助金を削られると聞きました。
Commented by 北の家族 at 2005-09-02 21:28
大学院の競争倍率というのは、需要と供給の原理で決まってくるものだと思います。重点化などで大学院の定員数が増えたということもあるでしょう。しかし、私が危惧しているのは、大学院側の教員が、魅力的なサイエンスを展開していないのではないか、ということです。魅力的というのは、サイエンスそのものの魅力もあれば、キャリアとしての魅力もあるでしょう。古びれてしまってワクワクしないようなサイエンスやそれを展開する科学者を、伝統だ、古いものが大切だ、学問の自由だといって大学院生に提供する大学院の姿勢そのものに問題はないのでしょうか。また新しくみえるものでも、大学院を受験する側は正直です。最先端のように見せかけても見透かされているということはないでしょうか。
Commented by stochinai at 2005-09-02 21:44
>大学院側の教員が、魅力的なサイエンスを展開していないのではないか
>古びれてしまってワクワクしないようなサイエンスやそれを展開する科学者
>最先端のように見せかけても見透かされている
 これは全部当たっていると思います。ですから競争倍率が下がってくると、大学院側が求めている人材が、実は受験しなくなったグループに行ってしまっているのではないかというところがもっとも恐ろしいストーリーです。
by stochinai | 2005-09-01 22:10 | 大学・高等教育 | Comments(4)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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