2005年 09月 02日
コピペレポート論議
あちこちでコピペレポートについての議論が巻き起こっているようです。大学にいるものとしてスルーするのも無責任かと思いますので、思いつくままメモしておきます。
まず、どんな議論があるのかという点についてはここに採録するのはあまりにもしんどいので、とりあえずR30さんの「コピペレポート論議で思う大学教育の価値軸」からたどると、ほとんどのところに行けるはずなので、興味のある人はそこから出発してください。
私のこの駄文もつまるところ、そうした議論の中の一つにすぎないのでとりあえずR30さんのところにトラックバックさせてもらいます。
理系の大学教員であることを明らかにした上で私の意見を述べさせていただきます。コピペレポートに関しての感想をひとことで述べると、それは良いことであるはずはないけれどもなにも目くじら立てて責め立てるほどの重罪でもないというのがとりあえずの結論です。
そもそも先人の知の結晶としてのドキュメントがネットなどにデジタル化されているものを引用するに当たって、コピーをするという行為は効率という点から見て非難されるべきものではありません。旧来、人間の文化活動は先人の業績の上に積み重なってきたからこそ、どんどんと深いところへ到達できたわけです。これは特に自然科学において顕著なことですが、たとえ音楽や絵画などの芸術にしても先人の開発した技法などを「学ぶ」(コピーする)ことの上に自分なりの新しいものあるいは変更を加えることによって、新しい段階へと進むことがあることを否定する人はいないと思います。
学生のレベルだと、自分が新たに付け加えるという能力が極端に低い例が多いので、単にコピペと言われてしまうのですが、適切な業績を適切に集め、並び替えるだけでも学問の新しい切り口が見えることもあります。ほとんど何一つ、新しいものを付け加えずに「論文」と称するものを作ることなら、「プロ」の学者も良くやっていることです。その作業にあたって、コピペが駆使できるならば、1人の人間が使うことのできる時間の中で処理できる情報量が飛躍的に増えるということになるわけです。そういうコピペは非難されずに、学生のコピペだけが非難されるのは見方によってはフェアでないと思います。
ただ多くの学生のしていることは、集めた情報を単に並べて(場合によっては並べることすらせずに、単品を)コピペしただけのものが多いので、学問に寄与しないことはもちろんのこと本人のためにすらならないので、教育の場でコピペが横行するのはいかがなものかという議論が多いのだと思います。くだらないレポートは不可にするだけではダメなのでしょうか。
コピペをしようがしまいが、良いレポートは良いし、悪いレポートは悪いと判断してはいけないのでしょうか。素晴らしいレポートのコピーが大量に出てきたらどうするかとおっしゃるかもしれませんが、大量に出た瞬間にそれは悪いレポートになるだけの話だと思います。同じものがふたつ出てきたらどうするのだという声も聞こえて来ますけれども、共著であると断ってあったとしたら、たとえ同じものが二つ提出されても私は優をやるかもしれません。逆に、貧弱なコピペだけのレポートが出てきた時には、そのような行為をしてもばれないと学生に見くびられたのだということで、学生から教員として失格の評価を受けたと同じことであると言えるのかもしれません。
またこの問題では、教員や社会人の側からコピペを見破るテクニックが披露されたり、コピペをする学生をどうやって矯正するかとか、どうやって高等教育の場から追放するかという話になっていくことが多いようなのですが、そんなことに時間を費やす暇があったら、コピペをする意味のない課題を出せばすむことだろうと思います。
私は、逆に学生に有意義なコピペの技術を学ばせることは正しいことだと思っています。
そもそもこれだけインターネットが発展しているわけですから、人間の知的活動においても、自分の脳の中にどれだけ知識をため込むかということよりは、ネットに広がる膨大な「知」の中から真贋を見分ける技術と、与えられた課題を解決するためにどのようにネットを使うのかという技術を身につけていることが重要になってきていると思います。
そうであるならば、もっと積極的にそうしたリテラシーを伸ばしてやるようなことが高等教育にも求められているのではないでしょうか。
私は今の段階ですでに、自由にネットを使える状態で入学試験ですらも行いたいという願望を持っています。現実の社会では、ネットは使い放題であることを前提に科学も経済活動も行われています。そうであるならば、高等教育では初等中等教育とは異なる視点から、ネットの使用を前提にした教育が行われても良いのではないでしょうか。そういう立場から言わせてもらうと、コピペレポート問題のどこが問題なのかほとんど理解できません。
繰り返しますが、学生が身につけるべきことは、あちこちに散らばっている情報の真贋を見極め、収拾し、適切な論理操作をした上でレビューし、間違いや足りないものを指摘し、新しい付加価値をつけた上でまた世界に還元していくという実社会で行われている能力なのだと思います。学生にレポートを書かせながら、そうした能力を身につけていってもらうということで、この問題の結論としたいと思います。
まず、どんな議論があるのかという点についてはここに採録するのはあまりにもしんどいので、とりあえずR30さんの「コピペレポート論議で思う大学教育の価値軸」からたどると、ほとんどのところに行けるはずなので、興味のある人はそこから出発してください。
私のこの駄文もつまるところ、そうした議論の中の一つにすぎないのでとりあえずR30さんのところにトラックバックさせてもらいます。
理系の大学教員であることを明らかにした上で私の意見を述べさせていただきます。コピペレポートに関しての感想をひとことで述べると、それは良いことであるはずはないけれどもなにも目くじら立てて責め立てるほどの重罪でもないというのがとりあえずの結論です。
そもそも先人の知の結晶としてのドキュメントがネットなどにデジタル化されているものを引用するに当たって、コピーをするという行為は効率という点から見て非難されるべきものではありません。旧来、人間の文化活動は先人の業績の上に積み重なってきたからこそ、どんどんと深いところへ到達できたわけです。これは特に自然科学において顕著なことですが、たとえ音楽や絵画などの芸術にしても先人の開発した技法などを「学ぶ」(コピーする)ことの上に自分なりの新しいものあるいは変更を加えることによって、新しい段階へと進むことがあることを否定する人はいないと思います。
学生のレベルだと、自分が新たに付け加えるという能力が極端に低い例が多いので、単にコピペと言われてしまうのですが、適切な業績を適切に集め、並び替えるだけでも学問の新しい切り口が見えることもあります。ほとんど何一つ、新しいものを付け加えずに「論文」と称するものを作ることなら、「プロ」の学者も良くやっていることです。その作業にあたって、コピペが駆使できるならば、1人の人間が使うことのできる時間の中で処理できる情報量が飛躍的に増えるということになるわけです。そういうコピペは非難されずに、学生のコピペだけが非難されるのは見方によってはフェアでないと思います。
ただ多くの学生のしていることは、集めた情報を単に並べて(場合によっては並べることすらせずに、単品を)コピペしただけのものが多いので、学問に寄与しないことはもちろんのこと本人のためにすらならないので、教育の場でコピペが横行するのはいかがなものかという議論が多いのだと思います。くだらないレポートは不可にするだけではダメなのでしょうか。
コピペをしようがしまいが、良いレポートは良いし、悪いレポートは悪いと判断してはいけないのでしょうか。素晴らしいレポートのコピーが大量に出てきたらどうするかとおっしゃるかもしれませんが、大量に出た瞬間にそれは悪いレポートになるだけの話だと思います。同じものがふたつ出てきたらどうするのだという声も聞こえて来ますけれども、共著であると断ってあったとしたら、たとえ同じものが二つ提出されても私は優をやるかもしれません。逆に、貧弱なコピペだけのレポートが出てきた時には、そのような行為をしてもばれないと学生に見くびられたのだということで、学生から教員として失格の評価を受けたと同じことであると言えるのかもしれません。
またこの問題では、教員や社会人の側からコピペを見破るテクニックが披露されたり、コピペをする学生をどうやって矯正するかとか、どうやって高等教育の場から追放するかという話になっていくことが多いようなのですが、そんなことに時間を費やす暇があったら、コピペをする意味のない課題を出せばすむことだろうと思います。
私は、逆に学生に有意義なコピペの技術を学ばせることは正しいことだと思っています。
そもそもこれだけインターネットが発展しているわけですから、人間の知的活動においても、自分の脳の中にどれだけ知識をため込むかということよりは、ネットに広がる膨大な「知」の中から真贋を見分ける技術と、与えられた課題を解決するためにどのようにネットを使うのかという技術を身につけていることが重要になってきていると思います。
そうであるならば、もっと積極的にそうしたリテラシーを伸ばしてやるようなことが高等教育にも求められているのではないでしょうか。
私は今の段階ですでに、自由にネットを使える状態で入学試験ですらも行いたいという願望を持っています。現実の社会では、ネットは使い放題であることを前提に科学も経済活動も行われています。そうであるならば、高等教育では初等中等教育とは異なる視点から、ネットの使用を前提にした教育が行われても良いのではないでしょうか。そういう立場から言わせてもらうと、コピペレポート問題のどこが問題なのかほとんど理解できません。
繰り返しますが、学生が身につけるべきことは、あちこちに散らばっている情報の真贋を見極め、収拾し、適切な論理操作をした上でレビューし、間違いや足りないものを指摘し、新しい付加価値をつけた上でまた世界に還元していくという実社会で行われている能力なのだと思います。学生にレポートを書かせながら、そうした能力を身につけていってもらうということで、この問題の結論としたいと思います。

こんにちは。書き込みは久しぶりですが、毎日拝読しています。
私は社会人大学生ですが、その一方で講師稼業をしております。今年度の前期に、ある大学で1年生の「日本語」を担当したのですが、そのとき提出されたレポートで感心したことがありました。ネタもとのウェブサイトのコピーをどっさり添付して、それをまとめた自分のレポートを表紙のように(笑)1枚目にして綴じて提出した学生がいたのです。なるほど、これだと彼の検索能力もよくわかるし、まとめる能力も分かります。私はこのレポートにAをつけました。
私自身がレポートを提出するときは、プロとして自負できるよう、独創性を出すようつとめますが、それでもウェブサイトにはそうとうお世話になっています。ので、参考文献同様、参考URLを文末にリストアップします。その前段階として、「いただきサイト」のコピーを添付させるのはいい方法だと思うのですが、いかがでしょうか。
私は社会人大学生ですが、その一方で講師稼業をしております。今年度の前期に、ある大学で1年生の「日本語」を担当したのですが、そのとき提出されたレポートで感心したことがありました。ネタもとのウェブサイトのコピーをどっさり添付して、それをまとめた自分のレポートを表紙のように(笑)1枚目にして綴じて提出した学生がいたのです。なるほど、これだと彼の検索能力もよくわかるし、まとめる能力も分かります。私はこのレポートにAをつけました。
私自身がレポートを提出するときは、プロとして自負できるよう、独創性を出すようつとめますが、それでもウェブサイトにはそうとうお世話になっています。ので、参考文献同様、参考URLを文末にリストアップします。その前段階として、「いただきサイト」のコピーを添付させるのはいい方法だと思うのですが、いかがでしょうか。
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はね奴さん、早速のコメントありがとうございます。
もちろん検索した情報を使った場合には、その信頼性のチェックと著作者に対する敬意を払うという意味において、サイト情報は必須です。現状ではコピペ禁止という雰囲気があるので、どうしてもそれを隠そうとする学生が多くなりネット利用のリテラシーという意味からも悪い状態だと思います。
おっしゃるとおり、禁止はしないからマナーと権利は守ろうねという指導をすべきだと思います。
もちろん検索した情報を使った場合には、その信頼性のチェックと著作者に対する敬意を払うという意味において、サイト情報は必須です。現状ではコピペ禁止という雰囲気があるので、どうしてもそれを隠そうとする学生が多くなりネット利用のリテラシーという意味からも悪い状態だと思います。
おっしゃるとおり、禁止はしないからマナーと権利は守ろうねという指導をすべきだと思います。

話題になっている「コピペレポート」とは、ウェブサイトなどの丸写し、もしくはそれに準ずるレポートである、として話がすすんでいるような気がします。
ですので、その行為をつづけていると、
>、あちこちに散らばっている情報の真贋を見極め、収拾し、適切な論理操作をした上でレビューし、間違いや足りないものを指摘し、新しい付加価値をつけた上でまた世界に還元していくという実社会で行われている能力なのだと思います。
と、おっしゃられる能力が育たないという点が問題なのだと考えます。
引用のためにコピペするのは当然だと思いますし、改変されないのでコピペの方がありがたいと思います。
ですので、その行為をつづけていると、
>、あちこちに散らばっている情報の真贋を見極め、収拾し、適切な論理操作をした上でレビューし、間違いや足りないものを指摘し、新しい付加価値をつけた上でまた世界に還元していくという実社会で行われている能力なのだと思います。
と、おっしゃられる能力が育たないという点が問題なのだと考えます。
引用のためにコピペするのは当然だと思いますし、改変されないのでコピペの方がありがたいと思います。
フラスコさん、いつも興味深く読ませていただいています。
>ウェブサイトなどの丸写し、もしくはそれに準ずるレポート
これのことだとしたら、議論の余地なくアウトですよね。
それと、この議論の中で人によって「コピペ」の定義もまちまちだと感じました。というわけで、私は敢えて「自分だってコピペしている」という立場で議論してみました。
ただ、大学などで「頭を使わないコピペレポート」が増えているということの理由には、我々がネットの正しい使い方を教えていないせいもあると思っています。
ブログをやっている方は、非常に適切に引用と自分の発言を区別している方が多いです。こうしたやり方を、学生に教えるということが大切なのかもしれませんね。
>ウェブサイトなどの丸写し、もしくはそれに準ずるレポート
これのことだとしたら、議論の余地なくアウトですよね。
それと、この議論の中で人によって「コピペ」の定義もまちまちだと感じました。というわけで、私は敢えて「自分だってコピペしている」という立場で議論してみました。
ただ、大学などで「頭を使わないコピペレポート」が増えているということの理由には、我々がネットの正しい使い方を教えていないせいもあると思っています。
ブログをやっている方は、非常に適切に引用と自分の発言を区別している方が多いです。こうしたやり方を、学生に教えるということが大切なのかもしれませんね。
by stochinai
| 2005-09-02 21:29
| 教育
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