5号館を出て

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また大学院制度が変わる

 これぞ記者クラブ発表の最たるものという記事かもしれません。共同通信の5年計画で制度改正 大学院改革で中教審答申です。中教審のホームページに行っても、まだ発表されていませんし、この記事のほんの数行で中味がよくわかりません。書いている記者も、中味を良く理解していないのではないでしょうか。

 なんとなく、大学院が養成すべき人材として、今までのように創造性豊かな優れた研究・開発能力を持つ研究者等や確かな教育能力と研究能力を兼ね備えた大学教員の養成は継続するものの、高度な専門的知識・能力を持つ高度専門職業人および知識基盤社会を多様に支える高度で知的な素養のある人材の養成に大きく舵を切ろうとしていることは感じとれます。

 記事でも答申が「創造性豊かな研究者や法律家などの高度専門職業人、大学教員などを挙げ、目的に沿った教育体制作りを求めている」と書いていますので、6月の中間報告の通りの流れで答申が出されたものと思われます。

 そして2006年度(なんと来年)からの5カ年計画で制度の改正に着手し、(1)教員の指導力向上を目指した組織的な研修の実施(2)修士課程と博士課程の修了要件の見直し(3)博士課程短期在学コースの創設など、文科省は大学院設置基準の改正を行いつつ大幅な改革になるものと思われます。

 以上のことは、中教審の大学分科会のページにある2005年6月13日付けの「新時代の大学院教育-国際的に魅力ある大学院教育の構築に向けて-中間報告」というPDFファイルに書いてあります。これには大学院に関係のある方すべて(教員も学生も)に深く関係のあるデータが満載されていますので、2.4メガバイトもありますが、ダウンロードして読む価値はあると思います。

 文科省にお願いです。こうして制度をどんどんいじるのはいいんですが、中味がきちんと改革されているかどうかのチェックもきちんと行ってください。

 大学というところは小泉さんの「改革」の前から、「どんなに制度が変わっても中味はまったく変わらない」と言われ続けている伏魔殿であるということを国民の皆さんにはしっかりと認識していただくとともに、書類上だけの「改革」にだまされないようにお願いいたします。

 大学だけではなく、官僚組織というものはどんなに見た目が変わったように見えても中味はできる限り変わらないようにすることを実現する天災天才の集まりなのです。ダメだダメだと言われがちな大学の教員も、そこに関する限りはかなりの才能を発揮して見せているのです。

追記:
 答申の全文「新時代の大学院教育-国際的に魅力ある大学院教育の構築に向けて-」がpdfファイルで発表になりました。
Commented by inoue0 at 2005-09-05 22:12
 おっしゃるとおりで、大学とは、外部の人間には、出している論文だとか、入学試験問題ぐらいしかわからないんですね。講義内容は聞いて見なければわからないんです。
 名前だけで、教員が存在せず、講義されていないのに、単位が機械的に出ている科目すらあります。シラバスをそれらしく書けば、チェックしようがありません。
 講座名だけを変えて改編を装うという技もあります。

 やはり、卒業生の能力を客観的に検査することが必要ではないんでしょうか。論文提出ではだめです。教員が中身を作成してしまうことがあります。
Commented by blue at 2005-09-06 07:08
まあ、朝令暮改にならなければ良いですね。日本は研究者が少ない国です。官僚さんの考える大学教員はどんどんサラリーマン化していくような感じでなんとも言えません。創造性ある研究には精神の自由が不可欠ですが、私の場合は内部管理業務に忙殺されるので研究フィールドが大切ですが、これからは朝から晩まで内部でやれ研修だ、やれFDだ、やれ業務報告だとなるんでしょうかね。どこの中も研究する時間がないとぼやいてますな。
Commented by stochinai at 2005-09-06 17:04
>卒業生の能力を客観的に検査する
 ことができればいいのですが、誰がするのかということと、ものすごく時間がかかる(10年以上)ことが問題になるでしょう。今の政府や官僚組織だと6年以上(参議院議員の寿命?)の計画はやる気がないようですから、ほんとうの評価はやらないということだと思います。

>朝令暮改
 になるでしょうね。というか、小泉さんに代表される改革政治(改革を終わらせずに永久にやり続ける政治)だと、改革が終わる前に次の改革が提案されてきます。この15年間、大学はずっとそうでした。blueさんのおっしゃるとおり、そのせいでこの15年の間時代を変えるような研究者は育っていないと思います。そこで大量に採用された新しい研究者は優等生で、短期間で大量の業績(論文)を作る能力はありますが、新しい研究を切り開いているかというとなかなか難しいようです。もっとも、新しい研究などを開拓していたら落ちこぼれてしまうという今の制度を作った政府(文部省・文科省)が最大の戦犯なんですけどね。
Commented by blue at 2005-09-06 22:03
 昔、米国の話しを聞いたのですが、とある研究室で誰か呼んで講演会を企画しようとなった時、日本人ならノーベル賞受賞者を呼ぶなんて企画する(なんせ米国はそれほどノーベル賞受賞者がめずらしないので呼ぶのは比較的簡単)。ところが、その研究室ではノーベル賞受賞者はもう昔の自慢話ししかしないので意味がないとなり、今度、ノーベル賞をとりそうな新進気鋭を呼ぼうとなったとか。まあ千里を駈ける名馬はいついても、その名馬がわかる伯楽はつねにいるとは限らない。だから過去の業績とか、成果主義と言う名の後向きの評価しかできない。これではいつまでたっても日本から時代を切り開く研究者は出ないかな。
Commented by stochinai at 2005-09-06 22:20
 日本という国は、失敗を許さないとか、やり直しができないという雰囲気があるので、みんな臆病になっているんでしょうか。そう言えば、今回の選挙で「やり直しのできる社会を」とか言っている候補が数人いたはずですけれども、私もそれは大切なことだと思います。
 大学全入時代を迎え、もはやどういう学校歴を持っているかで、一生が決まるなどという時代ではないのかと思っていたら、実はますますそれが加速されているこの国って、やっぱり未来はないのかもしれません。
 
Commented by blue at 2005-09-06 23:07
 その昔、海外で研究生活しました。欧米社会では上下関係と研究者としての自由度は関係ない。自由な風土がありました。日本では上司の顔色を伺い、単年度で業績をあげ論文をそこそこ書く、そのためには欧米の研究の追試がもっとも効率が良い。本当に独創的な研究分野だと、誰も認めてくれない、しかもハイリスクです。ここほれワンワンで、ほっても何にも出なければ悪夢です。となれば、論文出せる手堅い分野を狙う。評価されやすい分野を狙う。独立国立法人?の資料をみると、日本は材料工学なんかは世界に伍すわけですが、医学なんかはなんじゃこれですし、人文系なんかは英語音痴のせいかなんにもない。評価がわかりもしない方々が評価や成果主義でなんでもかんでもやろうとすれば、恐ろしいことになる。新幹線の中で学士会旬報みていたら、成果主義は死語みたいに書いてありましたが、未だに世は成果主義らしい。研究者を育てるのに10年はかかりますが、その間になんだかんだと朝令暮改だと、どうなることやらですし、過去の成果のご褒美で研究費を出すとすると、とてもとても未来を切り開く研究はできませんね。手軽に短時間に研究で成果がでるとすれば、たいした研究ではないなあ。
Commented by stochinai at 2005-09-07 15:24
 日本での研究はほんとうに難しいと思います。オリジナルな研究はハイリスク・ローリターンで、追試のような研究はおもしろくないということさえ我慢すればローリスク・ハイリターンですから、ほとんどの人が後者のやり方になだれ込んでしまいます。
 ちょっとくらい我慢したところで所詮研究者や大学教員にななれなくなってきたので、今は逆に「おもしろい研究」ができればいいという大学院生も出てきているのが、救いといえば言えるかもしれません。
Commented by blue at 2005-09-07 18:19
そうですね ハイリスク ローリターンですが、追試研究は馬鹿馬鹿しいですね。奮い立たないです。研究者が付和雷同してどうする?ですが、これからの大学院生はいいかもしれませんね。
Commented at 2005-09-11 03:15
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by stochinai at 2005-09-11 09:16
 ほんとでした。すみません。ご指摘、感謝します。
by stochinai | 2005-09-05 20:40 | 大学・高等教育 | Comments(10)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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