2005年 09月 27日
インターネット時代の研究者と論文 - アクセス、投稿、公開 -
来週つくばで開かれる日本動物学会第76回大会に参加します。うちの研究室からは、4名が発表することになっていて私は何もしない「監督および懇親会係」で、のんびりと付いていこうと思っていました。
ところが、世の中そうそううまくはいかないものです。初日の午後にある本部企画の公開シンポジウムで発表する予定になっていたTさんが外国出張に出てしまうということで、急遽ピンチヒッターを立てなければならなくなり、なんとよりにもよって私に白羽の矢が立ってしまいました。
ご指名は動物学会の事務局長であるNさんですので、もちろん断ることなどできるはずもないのですが、「ほんとうに私でいいんでしょうか。後悔しませんか」と念を押した上でお引き受けすることになりました。もちろんNさんのご指名ですので、一所懸命務めさせていただきますが力不足はどうぞあらかじめ、ご覚悟をお願いいたします。
このシンポジウム「主体である研究者は何をなすべきか -電子ジャーナル時代を迎えて-」は、SPARC/JAPAN連続セミナ-「電子ジャ-ナル時代の学術情報流通を考える」 第5回を兼ねるということも後で知りました。いままでに行われてきたセミナーはなかなかおもしろそうなものです。
第1回 「Natureの歴史、今、未来を語る-Nature の編集方針」
第2回 「電子投稿査読システムとは何か-今、日本で使えるシステム」
第3回 「オ-プンアクセスの理念と実践-研究者・図書館・学術誌」
第4回 「電子ジャ-ナルをどう作成し、どう公開するか-学協会、企業の試み」
これらの後を受けてのセミナーですから、連続して参加されている方々はかなりのレベルに到達していることが予想されます。(怖いな~)
もちろん私も当事者の1人として、電子ジャーナル時代のいま論文とどのようにつきあうべきかを常日頃考えています。このブログでも、図書館、電子ジャーナル、フリーアクセス、市民と科学などに関連したエントリーも書いたりしています。
図書館もいらない?
ハスカップ(北海道大学学術成果コレクション)
今なぜe−learningなのか?
宿主の行動を支配する寄生虫(小泉さんは選挙民の行動を支配したのか)
市民と科学者が対等に参加する新しいコミュニティをつくるブログ
第5回 「主体である研究者は何をすべきか-電子ジャ-ナル時代を迎えて」では、電子ジャーナル時代とはいったいどんなものなのかを整理し直す講演を出発点に「学術情報を生産し、発信し、また受け手としてある研究者の方々に、流通の担い手であるという自らが何をすべきかをお考え頂」きたいということが提案されています。
最初の企画では、「研究情報の双方向流通コミュニテイー<ユーザーでありプロバイダである研究者>」「インパクトファクターを正しく理解する:その定義と誤用」「機関リポジトリと大学図書館」という3つの講演が予定されていましたが、最初の講演がキャンセルされることとなりました。そこで私が何を話せるのかということで、本日タイトルを出せというメールが届きましたので、5分間ほど考えて「インターネット時代の研究者と論文 - アクセス、投稿、公開 -」というタイトルで話題提供させていただくことにしました。
現場の研究者として、コミュニティのインフラを構築すべく「物質・材料の専門研究機関として,同分野の情報を整理・統合・発信する研究者向けポータルサイトを立ち上げる計画を進めている」というTさんの発表の穴を埋めることなど私にはとてもできないのですが、いちおう「現場にいる研究者」として、電子ジャーナルや図書館とどのようにつきあっているのかという報告をさせていただきたいと思っております。主催者側からは、こちらに訊きたいことというリストを頂いているので、基本的にはそれにお答えするという形を取りながらも、少しでもお役に立つ話ができれば幸いです。
言われるまでもなく、私たちの「研究生活」はもはやそれとの関わり合いなくしてはまったく成立しないほどインターネットというインフラに依存しています。
私の専門的興味との関係が大きいのかもしれませんが、もう数年来専門雑誌に掲載される論文は、電子ジャーナルへのアクセス以外の方法で読むことはほとんどまったくと良いくらいなくなってしまいました。
私のいる大学は比較的大きな総合大学なので、図書館が一括契約している電子ジャーナルの数は膨大なものです。本日現在で、なんと13347種類の雑誌がオンラインで全文読めるようになっています。ほんの数年前までは、毎週のように図書館にほんの10数種類の雑誌を眺めに行くということが研究生活の中で大きな割合を占めていたものが、今では研究室を出ることなく何十種類もの閲覧ができてしまうのです。このことによって、自分で超高価な学術雑誌を購読することなど夢のまた夢という、私のような貧乏研究者にとっては信じられないくらいジャーナルへのアクセシビリティが上がりました。
論文の投稿や査読もインターネットの利用によって、時間やコストが極端に軽減されてきています。旧来のように紙に印刷された論文は投稿する我々がそのコストを負担することが多いので、研究費に重くのしかかってきます。値段に大きく影響するカラー印刷に関しては、ウェブで公開するpdfファイルはカラーでも無料というケースがありますので、同じ論文でも紙印刷はモノクロで、ウェブファイルはフルカラーでというケースも多くなってきています。ちょっと前までは考えられなかった離れ業です。
このような変化について書き出すと、キリがなくなります。
インターネットが我々の研究生活に与える影響を改めて考える機会はそれほどないものですが、今回はせっかく良いチャンスを与えていただいたので、少し時間をかけてNさん、Hさんに頂いた宿題を反芻しながら、発表までにはもう少し掘り下げてみたいと思います。
今日はイントロということで、これにて失礼いたします。
ところが、世の中そうそううまくはいかないものです。初日の午後にある本部企画の公開シンポジウムで発表する予定になっていたTさんが外国出張に出てしまうということで、急遽ピンチヒッターを立てなければならなくなり、なんとよりにもよって私に白羽の矢が立ってしまいました。
ご指名は動物学会の事務局長であるNさんですので、もちろん断ることなどできるはずもないのですが、「ほんとうに私でいいんでしょうか。後悔しませんか」と念を押した上でお引き受けすることになりました。もちろんNさんのご指名ですので、一所懸命務めさせていただきますが力不足はどうぞあらかじめ、ご覚悟をお願いいたします。
このシンポジウム「主体である研究者は何をなすべきか -電子ジャーナル時代を迎えて-」は、SPARC/JAPAN連続セミナ-「電子ジャ-ナル時代の学術情報流通を考える」 第5回を兼ねるということも後で知りました。いままでに行われてきたセミナーはなかなかおもしろそうなものです。
第1回 「Natureの歴史、今、未来を語る-Nature の編集方針」
第2回 「電子投稿査読システムとは何か-今、日本で使えるシステム」
第3回 「オ-プンアクセスの理念と実践-研究者・図書館・学術誌」
第4回 「電子ジャ-ナルをどう作成し、どう公開するか-学協会、企業の試み」
これらの後を受けてのセミナーですから、連続して参加されている方々はかなりのレベルに到達していることが予想されます。(怖いな~)
もちろん私も当事者の1人として、電子ジャーナル時代のいま論文とどのようにつきあうべきかを常日頃考えています。このブログでも、図書館、電子ジャーナル、フリーアクセス、市民と科学などに関連したエントリーも書いたりしています。
図書館もいらない?
ハスカップ(北海道大学学術成果コレクション)
今なぜe−learningなのか?
宿主の行動を支配する寄生虫(小泉さんは選挙民の行動を支配したのか)
市民と科学者が対等に参加する新しいコミュニティをつくるブログ
第5回 「主体である研究者は何をすべきか-電子ジャ-ナル時代を迎えて」では、電子ジャーナル時代とはいったいどんなものなのかを整理し直す講演を出発点に「学術情報を生産し、発信し、また受け手としてある研究者の方々に、流通の担い手であるという自らが何をすべきかをお考え頂」きたいということが提案されています。
最初の企画では、「研究情報の双方向流通コミュニテイー<ユーザーでありプロバイダである研究者>」「インパクトファクターを正しく理解する:その定義と誤用」「機関リポジトリと大学図書館」という3つの講演が予定されていましたが、最初の講演がキャンセルされることとなりました。そこで私が何を話せるのかということで、本日タイトルを出せというメールが届きましたので、5分間ほど考えて「インターネット時代の研究者と論文 - アクセス、投稿、公開 -」というタイトルで話題提供させていただくことにしました。
現場の研究者として、コミュニティのインフラを構築すべく「物質・材料の専門研究機関として,同分野の情報を整理・統合・発信する研究者向けポータルサイトを立ち上げる計画を進めている」というTさんの発表の穴を埋めることなど私にはとてもできないのですが、いちおう「現場にいる研究者」として、電子ジャーナルや図書館とどのようにつきあっているのかという報告をさせていただきたいと思っております。主催者側からは、こちらに訊きたいことというリストを頂いているので、基本的にはそれにお答えするという形を取りながらも、少しでもお役に立つ話ができれば幸いです。
言われるまでもなく、私たちの「研究生活」はもはやそれとの関わり合いなくしてはまったく成立しないほどインターネットというインフラに依存しています。
私の専門的興味との関係が大きいのかもしれませんが、もう数年来専門雑誌に掲載される論文は、電子ジャーナルへのアクセス以外の方法で読むことはほとんどまったくと良いくらいなくなってしまいました。
私のいる大学は比較的大きな総合大学なので、図書館が一括契約している電子ジャーナルの数は膨大なものです。本日現在で、なんと13347種類の雑誌がオンラインで全文読めるようになっています。ほんの数年前までは、毎週のように図書館にほんの10数種類の雑誌を眺めに行くということが研究生活の中で大きな割合を占めていたものが、今では研究室を出ることなく何十種類もの閲覧ができてしまうのです。このことによって、自分で超高価な学術雑誌を購読することなど夢のまた夢という、私のような貧乏研究者にとっては信じられないくらいジャーナルへのアクセシビリティが上がりました。
論文の投稿や査読もインターネットの利用によって、時間やコストが極端に軽減されてきています。旧来のように紙に印刷された論文は投稿する我々がそのコストを負担することが多いので、研究費に重くのしかかってきます。値段に大きく影響するカラー印刷に関しては、ウェブで公開するpdfファイルはカラーでも無料というケースがありますので、同じ論文でも紙印刷はモノクロで、ウェブファイルはフルカラーでというケースも多くなってきています。ちょっと前までは考えられなかった離れ業です。
このような変化について書き出すと、キリがなくなります。
インターネットが我々の研究生活に与える影響を改めて考える機会はそれほどないものですが、今回はせっかく良いチャンスを与えていただいたので、少し時間をかけてNさん、Hさんに頂いた宿題を反芻しながら、発表までにはもう少し掘り下げてみたいと思います。
今日はイントロということで、これにて失礼いたします。
by stochinai
| 2005-09-27 21:44
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