5号館を出て

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占いは客観的な意見なのか

 夜のワイドショーで占いにはまる女性が話題になっていました。そういう若い女性に「占い小町」という名前を無理につけていました。この名前は、スタッフが無理をして考え出したと言っていましたが、はやらないでしょう。

 それはさておき、そのコーナーの冒頭で占いにはまっている女性と女友達が3人で会話しているところを聞いて、ぶっ飛んでしまいました。

 「占いってさ、第3者による客観的な意見が聞けるところがいいよね」とかなんとか言っているのです。どういう意味なんでしょうか。今の若い人の間では、客観的という言葉は、関係者ではない人による無責任な意見という意味で使われることがあるのでしょうか。

 事情を知った利害関係のない人の意見を「第3者の客観的意見」というのならわかりますが、占い師というのはこちらの事情を聞かずに理解する能力を持った人ということだと思いますので、占い師のご託宣は客観的な意見などではなく当てずっぽうの当たり障りのない話にすぎないのではないか、と占いというものの実体を知らない私は思ってしまいます。

 それもさておき、風水にはまって東へ西へ旅をする女性や、次々と占い師をはしごする女性が出てきます。お金も時間も大変なのではないでしょうか。

 まあ占いも、遊びの一種、趣味の一種ということなら何も他人が口出しすることはないので、ご自由にやっていただいてよろしいということなのですが、自分の就職を決めたり、結婚相手を決めるなどというまさに「自分」がどうするかを決めなければならない状況に、自分の意志や努力をまったく横に置いて、決定を占い師や風水にゆだねるということはどういうことでしょう。

 自分で選択したことではないことが原因ならば、何が起こっても自分が失敗したのではなく「神」や「運命」がそうしたのだと思うことで、苦しまずに済むということなのでしょうか。

 それならばいっそ宗教にまで行ってしまえば良いのにとも思うのですが、そこまでは自分を捨てきれない人たちの「プチ宗教」が占いというものなのかもしれません。そういうことならば、安全弁としては否定しないほうが良いかもしれないですね。

 横でテレビを見ていた娘が、就職相談に占いへ行くシーンを見てぼそりとつぶやきました。「そんなことをしているくらいなら、ハローワークへ行け。」

 ははは、健全ですね。
Commented by MY at 2005-10-16 23:47
占い師の友人はそういう相談に対して
占いの形をとったカウンセリングで対応するそうです。
誠実な占い師はカウンセリングの勉強をしているとか。
全ての占い師が誠実な訳ではないでしょうけれど。
Commented by cafesuzie at 2005-10-17 00:43
こんばんは。
占いは、所詮は占い師の話術の賜物だと思います。
たとえば、「あなたの人生に大きく影響を及ぼしている女性がいます」といわれれば、
誰だって母親をはじめとして、1人や2人思い当たる女性がいるはずです。
それを当たっているというのか、疑問。
全然的外れなことをいわれて、それを指摘すると、
「それはアナタの守護神が守っているからだ」とか、
もっともらしいことを言って納得させます。
占いを否定するわけではないけど、話半分、いいことだけ聞いて楽しむのがいいと思います。
人生の大事な問題を、占い師に頼るのはどうかと思います。
もし、本当に未来がわかるなら、占い師は全員、すばらしい人生を送っていなければなりませんよね。
Commented by ハムレット at 2005-10-17 01:21
こんばんわ。

stochinai さん>横でテレビを見ていた娘が、就職相談に占いへ行くシーンを見てぼそりとつぶやきました。「そんなことをしているくらいなら、ハローワークへ行け。」

個人的に占い師になる事もあります。職探しで困っている人の相談にのる事も有ります。「ハローワークとか色々行ったけど、全然上手く行かない。どうしたら良いのか」 と。・・・・・・・ どう答えたらよいと思われますか。

stochinai さん> ははは、健全ですね。

そうでしょうか。私も理系出身なので感じるのですが、頭の良い人って往々にして、自分を基準に物事を考えるので、人の愚かさや不合理とそこから来る不幸について、理解しようとしない/できない、きらいがあると思います。例えば、

cafesuzieさん>もし、本当に未来がわかるなら、占い師は全員、すばらしい人生を送っていなければなりませんよね。

学問としての医学は随分進歩しましたが、最近、名医と呼ばれる人の訃報で、死因は癌だったと聞きました。なぜなんでしょうね。だからと言って、自分の命を医者に預ける事は思慮に欠ける事なんでしょうか。

ばかばかしい話ですか?
Commented by mk@wisdom96 at 2005-10-17 02:03
私も占いはほとんど信じていないのですが、この間知り合いの紹介で姓名判断をやっているという人に会いました。自分もやってもらいました。結果は書面でもらいました。素直に読むと、なんでこんなこと知ってるのだろうと思いました。何度も結果を読み直して思ったのはとても文章が上手であるということです。若干意味に幅のある言葉を上手に使って、占いの結果を書いています。思ったのですが、MYさんが書いているように、この人は占い師というよりコンサルタントだなと思いました。こちらの何気ない表情、仕草、たわいもない会話からうまく性格を読んでいるようにも思いました。そういう能力をもっている人だろうと思ったのです。人にやる気を出させる占いをやるなら、占い師という商売も成り立っていいと思いました。もちろん、聞く側の方が占いを楽しむというのを理解していないと駄目なんでしょうね。盲目的に信じるのは良くないなと思いました。結局、努力しなければ運も回ってきません。買わなきゃ宝くじも当たらないというのと同じです。

Commented by stochinai at 2005-10-17 12:37
 「占い」とか「占い師」とかひとくくりにしてしまったのは、私のミスかもしれません。占いを職業にしている方といってもいろいろなケースがありそうですし、お金を払ってでも占いを利用しようとする方にも、これまたいろいろなケースがありそうです。

 ひとつだけ科学コミュニケーション関連で強調しておきたいことがあります。それは、どちらにも未知の部分があるからといって、占い(非科学あるいは疑似科学)と医学(あるいは科学)を一緒にしてしまってはいけないということだと思います。

 人の心が科学で解明できるという立場も、(少なくとも現時点では)同じように誤った姿勢だと思います。

 問題の本質を正しくとらえ、それを解決するために、医学を利用するのか、カウンセリングを利用するのか、政治を利用するのか、あるいは、、、、というところがポイントのような気がしています。
Commented by nochi at 2005-10-17 16:31
すみません、その番組は見ていないのですが。
朝のテレビで「占い」を見ても2分後には忘れてる、という人も多いと思います。「占い好きな人」でも、すべてにおいて頼ってるわけではないでしょうね。ひとつのケースとして、「背中を一押ししてくれる相手」が欲しい、というのも多いような気がします。友人は、自分の愚痴や迷い聞いてはくれますが、たいていは同じような悩みがあって「そうよね~」で話が終わってしまいます。なので、いまいち頼れない。じゃあ恋人はといえば、「そんなくだらねえこと聞いてられないよ。俺、明日の仕事朝早いんだよ~」とすげなく返される。そんな時でも、お金さえ払えば話を聞いてくれますから。

それを悪い方に利用する人も確かにいるでしょう。八方塞がりの時、「自分を理解してくれる優しい言葉」に頼ってしまうのは、ある意味当然といえます。例えば子どもの不登校とか病気等の場合、学校や地域や病院、まったくの第三者が「支え」として機能していれば避けられたはずの「悲劇」というのは、確かにあると思います。まあ、何事もケースバイケース、時には大目に見てね、と。つまんない結論ですけど。
Commented by すみたろう at 2005-10-17 16:54
自分も理系出身で、占いは信じておりません。
ただ、今回のstochinaiさんのblogを読んで、「科学者のイヤな面が出ているな」と感じました。
人という生き物は、根拠のないもの、不合理なものを信じる弱さを持っているのものだと思います。
それを、「科学者」という立場から、一段高いところから見下すような態度は、コミニュケーションを拒否しているようにさえ感じます。
占いにはまる人々も、「占い」よりも、もっと信じられるものを得られれば、合理的な判断を自分で下せるようになるかもしれません。もしかしたら、「科学」は、それを手助けできるかもしれない。
でも、忘れてならないのは、人々にとって「科学」が100%合理的で、「占い」は、100%非合理的、という訳ではないのです。どちらも「自分よりも偉い人が語る言葉」だから、「ほんとうなんだろうな」という程度だと思います。
人には「科学」では救うことがはできない弱さがある。それならば、置き換わることの出来ない領域についてまで、適応させようとするべきではないと思います。それをしようとすれば、その瞬間に、科学は疑似科学に変わってしまうでしょう。
Commented by stochinai at 2005-10-17 18:13
>「科学者のイヤな面が出ているな」と感じました。
 とこれは痛いところを突かれてしまいました。確かにこういうところでは、私は科学者であるということを意識した発言をすることが多く、それがイヤな面と取られることは、やっぱりあるだろうと私も思います。

>どちらも「自分よりも偉い人が語る言葉」
 私としてはここをなんとか打ち破りたいと思うのです。科学者や占い師や教祖様や国会議員や総理大臣は、決して自分よりも「偉い人」ではないはずです。自分の知らないものを知っていたり、経験があったり、勇気があったり、声が大きかったりという特徴はあるかもしれませんが、彼らにも足りないところがあるはずです。
 「科学者のイヤな面」を感じる時、彼ら科学者にもできないこと、知らないことがあるということを認めないような尊大な態度を感じる時なのではないでしょうか。
Commented by stochinai at 2005-10-17 18:15
 科学がすべてを救えないからこそ、市民が科学および科学者と語り合う機会がどうしても必要になるのだと思います。そして、それこそが科学技術コミュニケーションなのだと信じています。

 占いをきっかけに盛り上がったこの議論も、間違いなくそうしたものになっていることを感じます。

 サイセンスカフェでは決して取り上げられないテーマのような気がしますが、これだけ盛り上がるのですから科学をとりまく大切なテーマの一つには違いないと思いました。

 これぞブログ向きのテーマのひとつなのかもしれません。議論を続けてください。
Commented by 花見月 at 2005-10-18 10:33
科学技術コミュニケーションを教える仕事をしている私ですが。
昔から恋をしているときだけ、占いを一生懸命見ます。
理屈ではいかんともしがたい、自分の心、相手の心、にぶつかったときに。

ところで、今は恋をしているわけでもないのに、ちょっと余裕があるとき、星占いを楽しんでいます。天体の運行がわかって、「それを人間は古来そんな風に解釈してきたのか。おもしろいなあ。で、自分はこんな風に書かれているけど、今日は、今週は、どんな日になるかな。」
いっぱいのコーヒー、寝酒みたいなものです。
by stochinai | 2005-10-16 23:39 | つぶやき | Comments(10)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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