2005年 11月 03日
5年間の日曜日
大学院生の頃、よく外国の大学の現役の先生が長期にこちらの研究室に来られて、悠々と実験やセミナーや旅行をしていることを目にして驚いたことがあります。
聞けばサバティカル・イヤーといって、大学のすべての義務から解放された1年間の有給研修期間だということだということで、7年に一度(7年働いたら1年間?)は誰にでも与えられる権利なのだそうです。アメリカの大学の先生などは、普段でも大学からは10ヶ月しか給料をもらっていない人が多いらしく、2ヶ月分の給料は自分で獲得した外部からの研究費でまかなわなければならないので、サバティカルの時には年俸で見ると給料は下がるらしいのですが、復職を完全保障された上での1年間の自由時間は、研究者としてのキャリアアップに大きな貢献をして、その後の研究生活が一回り大きくなるものだと聞かされました。さすがに、次々にオリジナルな研究が出てくる欧米の大学は、研究者に対する待遇が違うと感心したことを思い出します。
北海道大学でも、法人化してからようやくサバティカル・イヤーについての検討が始まったのですが、教員・事務員の数をギリギリにまで削減しているところでもあり、どうも現実的な話としては聞こえてきません。
それはさておき、もしもあなたがサバティカルをもらえるとしたら、しかも5年間もらえるとしたらそれをどう使うか考えてみて欲しいというリクエストがありました。
すごいですね。たとえ有給は最初の1年だけとしても、あるいは最初からまったく有給ではないとしても、復職を保障された5年間の休職期間は魅力的です。もちろん、今でも病気などの理由があれば復職できる休職制度はあるのですが、病気が理由ではその間に自分のキャリアアップにつながる研修などは望めません。あくまでも、現状のままの気力・体力を維持したままのサバティカルが与えられるとしたら、やはりそれはすごいことです。
もちろん、今の日本でそのようなことがあり得るとはとても思えないのですが、そこを敢えて思考実験として考えてみたらどうなるのかというのが、ヤマグさんからの宿題なのだと思いました。同時に、今日本のポスドクの人たちがおかれた状況を考えると、彼らは戻るべき元の職というものがないままサバティカルの状態に置かれているようなものであると考えることもでき、そう考えるならば彼らが今現在どういうキャリアを研けば、今後の幸せにつながるのかというヒントになるかもしれない。だから、ちょっと考えてみてくれないか、ということなのかもしれません。
考えてみます。
5年間あれば、かなりいろいろな職業に就くための訓練ができます。まずは、どんな職種があり得るのかを考えてみましょう。ヤマグさんは工学系ということですが、我々のような理学部生物学系は、最近でこそバイオテクノロジーや先端医療関係と近い分野になってきておりますので、そういう分野へのスピンアウトはあまりにも普通すぎますし、個人的にはそんなに興味がある分野というわけでもなく、あまり触手が伸びません。
自分に何ができるかというより、何がしたいかという夢を語っても良いということなら、実は私は小学生の頃から「動物園の飼育係」になりたいと思っていました。今でもその気持ちがなくなったわけではなく、引き受けてくれるところがあるならば一から飼育係の修行をしてみたいという気持ちは、まだあります。もちろん、動物園でなくとも水族館(実はこっちの方がいいかも?)や、あるいは植物園の管理人もいいですね。そういうふうに想像を発展させることを許していただけるのならば、栽培漁業や酪農や牧畜、農業も気持ちとしては守備範囲にあります。そうそう、ペット屋さんも悪くないですね。
つまり、研究職ではなくとも、生き物を扱うことができる職業ならば、なんでもやってみたい気持ちはあります。
研究者や教員としていままで蓄積したものにこだわると、できることは非常に限られてしまいます。自分の専門性を生かし続けるとしたら、研究者や教員を続けるか、あるいはサイエンス・ライターや解説者くらいしか、なれる職業は思いつきません。我々がこれから何をするかとか、ポスドクの人が何をするのかということを考えるときに、あまりに今持っている専門性にこだわることは得策とは想えません。それは、同じ状況に置かれたたくさんの人に共有されている状況であり、そこで競争しても一握りの勝者と残りほとんどの敗者を生むという悲惨な結果しか想像することはできません。
そうそう、それから小学生を相手に理科を教えてみたいという気持ちもあります。受験などを意識せざるを得ない中学生や高校生ではなく小学生がいいですね。あるいは、カルチャースクールみたいなところで趣味として理科を学んでみたいという大人の方と一緒に理科を学ぶ場を作ることならやってみたい気もします。
結局、今キャリアをやり直すのだとしたら、子どもの時に持っていた夢あるいは希望を思い出すこととか、今自分が好きなこと(趣味)を職業にできないかと考えることから始めてもいいのではないかと思っています。
もちろん現実の私は、いろんなものを抱えてしまっておりますので、現在の職をリセットして新しいキャリアへ向かうという選択がにわかに現実となるということにはならないのですが、正直を言うと折に触れて退職後の生活を考える年齢になってきております。そう考えるとサバティカルがあろうとなかろうと、今後どうするのかということについては否応なしに考えざるを得ないところに置かれているわけで、その時には上に書いたようなことを空想したりしているということは事実です。
何ができるのではなく、何をしたいのか、したいことの中で実現できそうなことはなんなのか。そういう順番でものを考えるようにしています。
宿題のレポートとしては情けないものになってしまいましたが、サバティカルをもらったらというより、今度は何をしますかという課題に対する回答のようなつぶやきになってしまいました。
あなたなら、次には何をやりますかという問いにどう答えますか。
聞けばサバティカル・イヤーといって、大学のすべての義務から解放された1年間の有給研修期間だということだということで、7年に一度(7年働いたら1年間?)は誰にでも与えられる権利なのだそうです。アメリカの大学の先生などは、普段でも大学からは10ヶ月しか給料をもらっていない人が多いらしく、2ヶ月分の給料は自分で獲得した外部からの研究費でまかなわなければならないので、サバティカルの時には年俸で見ると給料は下がるらしいのですが、復職を完全保障された上での1年間の自由時間は、研究者としてのキャリアアップに大きな貢献をして、その後の研究生活が一回り大きくなるものだと聞かされました。さすがに、次々にオリジナルな研究が出てくる欧米の大学は、研究者に対する待遇が違うと感心したことを思い出します。
北海道大学でも、法人化してからようやくサバティカル・イヤーについての検討が始まったのですが、教員・事務員の数をギリギリにまで削減しているところでもあり、どうも現実的な話としては聞こえてきません。
それはさておき、もしもあなたがサバティカルをもらえるとしたら、しかも5年間もらえるとしたらそれをどう使うか考えてみて欲しいというリクエストがありました。
すごいですね。たとえ有給は最初の1年だけとしても、あるいは最初からまったく有給ではないとしても、復職を保障された5年間の休職期間は魅力的です。もちろん、今でも病気などの理由があれば復職できる休職制度はあるのですが、病気が理由ではその間に自分のキャリアアップにつながる研修などは望めません。あくまでも、現状のままの気力・体力を維持したままのサバティカルが与えられるとしたら、やはりそれはすごいことです。
もちろん、今の日本でそのようなことがあり得るとはとても思えないのですが、そこを敢えて思考実験として考えてみたらどうなるのかというのが、ヤマグさんからの宿題なのだと思いました。同時に、今日本のポスドクの人たちがおかれた状況を考えると、彼らは戻るべき元の職というものがないままサバティカルの状態に置かれているようなものであると考えることもでき、そう考えるならば彼らが今現在どういうキャリアを研けば、今後の幸せにつながるのかというヒントになるかもしれない。だから、ちょっと考えてみてくれないか、ということなのかもしれません。
考えてみます。
5年間あれば、かなりいろいろな職業に就くための訓練ができます。まずは、どんな職種があり得るのかを考えてみましょう。ヤマグさんは工学系ということですが、我々のような理学部生物学系は、最近でこそバイオテクノロジーや先端医療関係と近い分野になってきておりますので、そういう分野へのスピンアウトはあまりにも普通すぎますし、個人的にはそんなに興味がある分野というわけでもなく、あまり触手が伸びません。
自分に何ができるかというより、何がしたいかという夢を語っても良いということなら、実は私は小学生の頃から「動物園の飼育係」になりたいと思っていました。今でもその気持ちがなくなったわけではなく、引き受けてくれるところがあるならば一から飼育係の修行をしてみたいという気持ちは、まだあります。もちろん、動物園でなくとも水族館(実はこっちの方がいいかも?)や、あるいは植物園の管理人もいいですね。そういうふうに想像を発展させることを許していただけるのならば、栽培漁業や酪農や牧畜、農業も気持ちとしては守備範囲にあります。そうそう、ペット屋さんも悪くないですね。
つまり、研究職ではなくとも、生き物を扱うことができる職業ならば、なんでもやってみたい気持ちはあります。
研究者や教員としていままで蓄積したものにこだわると、できることは非常に限られてしまいます。自分の専門性を生かし続けるとしたら、研究者や教員を続けるか、あるいはサイエンス・ライターや解説者くらいしか、なれる職業は思いつきません。我々がこれから何をするかとか、ポスドクの人が何をするのかということを考えるときに、あまりに今持っている専門性にこだわることは得策とは想えません。それは、同じ状況に置かれたたくさんの人に共有されている状況であり、そこで競争しても一握りの勝者と残りほとんどの敗者を生むという悲惨な結果しか想像することはできません。
そうそう、それから小学生を相手に理科を教えてみたいという気持ちもあります。受験などを意識せざるを得ない中学生や高校生ではなく小学生がいいですね。あるいは、カルチャースクールみたいなところで趣味として理科を学んでみたいという大人の方と一緒に理科を学ぶ場を作ることならやってみたい気もします。
結局、今キャリアをやり直すのだとしたら、子どもの時に持っていた夢あるいは希望を思い出すこととか、今自分が好きなこと(趣味)を職業にできないかと考えることから始めてもいいのではないかと思っています。
もちろん現実の私は、いろんなものを抱えてしまっておりますので、現在の職をリセットして新しいキャリアへ向かうという選択がにわかに現実となるということにはならないのですが、正直を言うと折に触れて退職後の生活を考える年齢になってきております。そう考えるとサバティカルがあろうとなかろうと、今後どうするのかということについては否応なしに考えざるを得ないところに置かれているわけで、その時には上に書いたようなことを空想したりしているということは事実です。
何ができるのではなく、何をしたいのか、したいことの中で実現できそうなことはなんなのか。そういう順番でものを考えるようにしています。
宿題のレポートとしては情けないものになってしまいましたが、サバティカルをもらったらというより、今度は何をしますかという課題に対する回答のようなつぶやきになってしまいました。
あなたなら、次には何をやりますかという問いにどう答えますか。
逆に基礎へ立ち戻ってみたいとは思いませんか?
私たちは「科学的」という概念を自明として使っていますが、科学哲学を学ぶと、簡単ではないと気がつく。少なくともギリシャ哲学にまで立ち戻らないといけません。(伊東俊太郎は「科学の源流を探るには古代メソポタミアから始めなくてはいけない」と言って楔型文字の研究をなさったそうです)
そこまでメタなところにまでいかなくても、形式論理をクリアにしたいとか、カントの認識論の概要ぐらいは知りたいとか。
今の大学の科学教育に決定的に欠けているのは、科学者になる人たちに対して、科学とは何かを教えようという姿勢です。メタ科学教育がないのです。大学院では、ジャーナルに掲載される論文の書き方を教えるだけで、分野が違うと論文の構造すら変わってくることすら教えない。これじゃ視野の狭い研究者ばかり出来上がるわけだ。
私がキャリアをやり直すとしたら、数学基礎論から始めたいです。
私たちは「科学的」という概念を自明として使っていますが、科学哲学を学ぶと、簡単ではないと気がつく。少なくともギリシャ哲学にまで立ち戻らないといけません。(伊東俊太郎は「科学の源流を探るには古代メソポタミアから始めなくてはいけない」と言って楔型文字の研究をなさったそうです)
そこまでメタなところにまでいかなくても、形式論理をクリアにしたいとか、カントの認識論の概要ぐらいは知りたいとか。
今の大学の科学教育に決定的に欠けているのは、科学者になる人たちに対して、科学とは何かを教えようという姿勢です。メタ科学教育がないのです。大学院では、ジャーナルに掲載される論文の書き方を教えるだけで、分野が違うと論文の構造すら変わってくることすら教えない。これじゃ視野の狭い研究者ばかり出来上がるわけだ。
私がキャリアをやり直すとしたら、数学基礎論から始めたいです。
0

すみません。宿題を出してしまって。本当は、飲み屋でするような話ですが。
>研究者や教員としていままで蓄積したものにこだわると、できることは非常に限られてしまいます。
これは、非常に同感です。ドクター、ポスドクの人で研究者か教員しか道がないと思っている人も多いと思います。もし、研究者か教員しか道がないということであれば、就職先を日本にこだわらず全世界に向けることが重要かと思います。
カルチャースクールとか出張授業とかですよね。生物系であれば、動物園飼育係とかですか。こういった、動物園などのエンターテイメントと科学をもっとうまく結び付けられないかと思ってもいます。
本当に、ありがとうございます。
>研究者や教員としていままで蓄積したものにこだわると、できることは非常に限られてしまいます。
これは、非常に同感です。ドクター、ポスドクの人で研究者か教員しか道がないと思っている人も多いと思います。もし、研究者か教員しか道がないということであれば、就職先を日本にこだわらず全世界に向けることが重要かと思います。
カルチャースクールとか出張授業とかですよね。生物系であれば、動物園飼育係とかですか。こういった、動物園などのエンターテイメントと科学をもっとうまく結び付けられないかと思ってもいます。
本当に、ありがとうございます。

何歳からの5年間かで、大分事情が変わって来ますよね。5年と云えば、大学(院)を卒業出来てしまう長さですからねぇ…。
日本の大学でサバティカルが実現すれば画期的でしょうが、実際は、周りを見ていると、サバティカル制度のあるアメリカでも、昨今は、そうそう簡単には、おちおちと休んで居られないというのが、現実のようです。世知辛い世の中です。アメリカ人ですらそうですから、ましてや、日本人は…。
日本の大学でサバティカルが実現すれば画期的でしょうが、実際は、周りを見ていると、サバティカル制度のあるアメリカでも、昨今は、そうそう簡単には、おちおちと休んで居られないというのが、現実のようです。世知辛い世の中です。アメリカ人ですらそうですから、ましてや、日本人は…。

昔、カナダ東部の静かな村にあるB&Bに泊まったときのこと。
そのB&Bは、シェフ兼オーナーの女性が自分で育てた野菜や鴨や豚の肉を料理してくれる、レストラン併設の宿でした。
そこに、1人の大学教授が居候していて、「サバティカルだから、1年間、恋人である彼女と一緒にすごし、おいしいものを食べ、村を散策し・・・・。
」
サバティカルとは、そういうものか!と驚き、かつ、大学の先生とはそのぐらい充電することを許される、創造的な仕事をしているのだと、尊敬しました。
そのB&Bは、シェフ兼オーナーの女性が自分で育てた野菜や鴨や豚の肉を料理してくれる、レストラン併設の宿でした。
そこに、1人の大学教授が居候していて、「サバティカルだから、1年間、恋人である彼女と一緒にすごし、おいしいものを食べ、村を散策し・・・・。
」
サバティカルとは、そういうものか!と驚き、かつ、大学の先生とはそのぐらい充電することを許される、創造的な仕事をしているのだと、尊敬しました。

サバティカルといっても、一流の研究者なら遊んだりはしていないでしょう。日本の研究施設が、もっと欧米の研究者のサバティカル先に選ばれるようになればいいのですが、やはり日本はインフラが整っていないし、更に一流の研究を行っている大学や研究所周辺がリゾート的な雰囲気にある場所というのはほとんどないですから。
アメリカでも一部の競争の激しい大学では、サバティカルを取って研究室を開けていると、知らない間に、ラボスペースを取られてしまったり、働いているポスドクなどに嫌がらせをされるので、なかなかサバティカルが取れないような大学もあるようです。日本の大学や研究所も、近頃は陰険になってきたようですので、そういう意味でもサバティカルの普及は難しいかもしれません。
アメリカでも一部の競争の激しい大学では、サバティカルを取って研究室を開けていると、知らない間に、ラボスペースを取られてしまったり、働いているポスドクなどに嫌がらせをされるので、なかなかサバティカルが取れないような大学もあるようです。日本の大学や研究所も、近頃は陰険になってきたようですので、そういう意味でもサバティカルの普及は難しいかもしれません。
良くわかりました。サバティカルなどという牧歌的な習慣は、研究者の世界ですらも生き馬の目を抜くような状況になった今となっては、今は昔の物語ということなのですね。そのサバティカルをやるかどうかの検討を始めた北海道大学って、やっぱり20年遅れているんでしょうか、それとも20年進んでいるのかもしれませんね。
私とて、5年のサバティカルなどという夢以上のエントリーを書く時に現実などはまったく参照しておりません。飲み屋のほら話あるいは大人のおとぎ話のつもりです。しかし、ほんとうに新しいことが出てくるとしたら、そういうところからなのかもしれないというふうにも思ってはいます。
私とて、5年のサバティカルなどという夢以上のエントリーを書く時に現実などはまったく参照しておりません。飲み屋のほら話あるいは大人のおとぎ話のつもりです。しかし、ほんとうに新しいことが出てくるとしたら、そういうところからなのかもしれないというふうにも思ってはいます。

TBがうまく機能していないみたいなので、
http://blog.livedoor.jp/lupin_lupin_iii/archives/50180100.html
これに関連するエントリーを書きましたので、載せておきます。
20年遅れるか、進むかはどういったサバティカルを入れるかによるとおもいますので、雇用の分散ならびに北海道の科学技術の進展につながるようなサバティカル制度だといいですね。
http://blog.livedoor.jp/lupin_lupin_iii/archives/50180100.html
これに関連するエントリーを書きましたので、載せておきます。
20年遅れるか、進むかはどういったサバティカルを入れるかによるとおもいますので、雇用の分散ならびに北海道の科学技術の進展につながるようなサバティカル制度だといいですね。

サバティカルには本来、「どんなに創造的な人間でも、常に創造的でい続けることはできない。長く創造的であり続けるためには、やはり、休息や充電のための時間が必要なのだ」という考えが根底にあるようです。こうあるべきだ、という観念論ではなく、人間とはこういうものだという現実的な認識から導き出された制度のようです。そういう現実認識を持ったサバティカル発祥の地において、サバティカルの持つ利点が充分発揮されていないのは困ったことですね。
いろいろな批判はあるでしょうが、こういう状況だからこそ、北大ではサバティカルをうまく導入、活用してほしいと個人的には思っています。
いろいろな批判はあるでしょうが、こういう状況だからこそ、北大ではサバティカルをうまく導入、活用してほしいと個人的には思っています。
集中的に長期休暇があるより、ルーティンの研究時間を確保することの方が重要ではないでしょうか。「研究と教育は一体」なんてタテマエはとっくの昔に底が割れているのに、いまだに大学者が大学初年度学生を相手に教養科目を担当しなくてはならない。哲学者や文化人類学者が即席語学教員をやらなくてはならない。まあ、学問は同業者や専攻分野の学生だけでなく、広く世間に伝えてこそ意味があるのだから、教養科目に全く意味がないわけではありませんが、もっと効率的な伝達手段があります。それは著書であり、放送大学教材であり、市民向けの公開セミナーです。

サバティカルについてネガティブなことを書いてしまったのですが、サバティカルを使う一流の研究者は、全く違う分野のラボに滞在したり、全く違う大学に滞在することで、新しい技術や分野の導入や新しい人脈を作るのに役立てています。特に、外国に滞在することで新しい人脈を作ることは飛躍的な効果があると思います。また、本を書いたりする人も多いです。(そういう意味でも日本の大学の図書館は、欧米のものに比べ大変な不便さがありますから、米国から日本にサバティカルに来ても仕事が進まないということになってしまうでしょう。)

MYさんのおっしゃるように、私の知る外国の一流研究者は、サバティカルを新しい研究方向を模索するために用いたり、教科書や長い総説を執筆するのに用いたりしている方々がほとんどです。私はサバティカルをそのようにイメージしています。
もともとサバティカルなどというものは「効率」などという思想から見ると対極にあるものでしょう。ラボを離れてリフレッシュしながら、過去の仕事をまとめ新しい仕事のネタを仕入れる機会があればこそ、ほんとうにオリジナルな研究がたくさん出てくるのだと思います。
文科省は本気で日本人のノーベル賞をたくさん出したいということなら、中堅の研究者を効率的な業績蓄積に追い立てるばかりではなく、たっぷりの研究時間と余裕あるサバティカルを与えてみてはどうでしょう。10年すると差が見えてくると思います。あ~、そうでした。官僚は数年で配置転換、政治家は数年で次の選挙ですから、そんなのんびりしたことは言ってられないんでしたね。
文科省は本気で日本人のノーベル賞をたくさん出したいということなら、中堅の研究者を効率的な業績蓄積に追い立てるばかりではなく、たっぷりの研究時間と余裕あるサバティカルを与えてみてはどうでしょう。10年すると差が見えてくると思います。あ~、そうでした。官僚は数年で配置転換、政治家は数年で次の選挙ですから、そんなのんびりしたことは言ってられないんでしたね。
サバティカル、仙台にも作りたいです!
留学の機会を逸してしまったのでなおさらです(すみません、個人的な事情で)。
飲み屋のほら話でしたら、MITに行ってSteven Pinkerの講義を聴いてみたいですね。
ハーバードにも新しく脳科学のセンターができるので、そういうところも魅力的です。
1年しかないのなら、ボストン半年、サンフランシスコかエジンバラに半年という配分でしょうか。
人の実験を冷やかしつつ、教科書を書くというのが理想なんですが。
留学の機会を逸してしまったのでなおさらです(すみません、個人的な事情で)。
飲み屋のほら話でしたら、MITに行ってSteven Pinkerの講義を聴いてみたいですね。
ハーバードにも新しく脳科学のセンターができるので、そういうところも魅力的です。
1年しかないのなら、ボストン半年、サンフランシスコかエジンバラに半年という配分でしょうか。
人の実験を冷やかしつつ、教科書を書くというのが理想なんですが。
これは推測ですが、北大で検討されていると言うことは間違いなく日本中の旧帝大でへ検討されていると思います。ただし、実際にやるとしたら、有給ではなく浮いたお金で非常勤講師をやとって教育の穴埋めをさせるというようなみみっちいところに落ち着きそうな気はしています。そういうことならもともと薄給の多くの先生には無理ということになるのかもしれません。
>人の実験を冷やかしつつ、教科書を書くというのが理想なんですが。
私の知っている外国人のサバティカルは、まさにそういう感じでしたね。楽しそうでしたし、だんだんとやる気が出た頃に帰国という感じになっていたようです。
私の知っている外国人のサバティカルは、まさにそういう感じでしたね。楽しそうでしたし、だんだんとやる気が出た頃に帰国という感じになっていたようです。

私が東大の教養学生だった時、とある数学の教官と連絡を取りたかった時があったのですが、その先生はドイツに行ってしまって連絡が取れなかったことがありました。後にそれはサバティカルであったと間接的に聞きました。研究科やもしかすると専攻単位では既にあったりしたのかもしれません。
サバティカルは現実的な問題があるのが難しいところなのでしょうけど、日本がもっと異文化に触れるいい機会ではないかとも思います。一年いなくてもいろいろ持って帰ってきてくれれば、プラスもあるかなと。
サバティカルは現実的な問題があるのが難しいところなのでしょうけど、日本がもっと異文化に触れるいい機会ではないかとも思います。一年いなくてもいろいろ持って帰ってきてくれれば、プラスもあるかなと。

米国には、3ヶ月くらいのミニサバティカルというのもあって、忙しい人はそれで済ませている人もいます。こういう案なら、日本でも現実的に導入できるかもしれません。
ただし、私は、折角ですから、強制的に取らせることが大切だと思います。休暇である以上、教授会などへの関与もできなくするわけです。特に、学科内で影の力を持って守旧派のような教授に無理矢理長期のサバティカルを取らせて、鬼のいない間にいろいろ変えてしまうわけです。こういうことをやれば、日本の大学の構造も変わるかもしれません。チェア制度の導入と合わせて、日本の大学にいかがでしょうか。
ただし、私は、折角ですから、強制的に取らせることが大切だと思います。休暇である以上、教授会などへの関与もできなくするわけです。特に、学科内で影の力を持って守旧派のような教授に無理矢理長期のサバティカルを取らせて、鬼のいない間にいろいろ変えてしまうわけです。こういうことをやれば、日本の大学の構造も変わるかもしれません。チェア制度の導入と合わせて、日本の大学にいかがでしょうか。
>学科内で影の力を持って守旧派のような教授に無理矢理長期のサバティカルを取らせて
というのはとても良いアイディアで大賛成なのですが、そういうこともあるとなるとルール改定に力を持った守旧派がサバティカル導入そのものを妨害しそうな気もします。
今の大学ではどこをどう動かそうとしても、全体が関わってくるという好例の話でもありますね。
というのはとても良いアイディアで大賛成なのですが、そういうこともあるとなるとルール改定に力を持った守旧派がサバティカル導入そのものを妨害しそうな気もします。
今の大学ではどこをどう動かそうとしても、全体が関わってくるという好例の話でもありますね。

サバテイカルはかつての在外研究員制度が相当するんじゃないですか?今はどうなったか知らないけど。
サバティカルは偉い人のもので、あれは若手の教育のために行うのものかと思っていました。今でもあるみたいですが、枠がぐっと減ってしかも10ヶ月になっていたような気がします。(最近聞かないので、もうないかも?)

偉いヒトのための3ヶ月コースってのもありました。一度、知り合いに頼まれて3ヶ月間受け入れたことがあります。まあ、日本人がいるから気が楽だったのでしょう。サバテイカルになったかどうかは知りませんが、リフレッシュしたようです。
法人化してから、お金のかかる全学教育の学外非常勤講師を全廃しようとする方向だと聞いています。そうなると、休むと同僚に迷惑がかかりますので、長い休暇(出張?)は取りにくくなりますね。

もう一つ、重点化して教授1-助教授1-助手1というサイズの研究室が標準になっていますから、在外研究員に出せるゆとりのあるところは余りないんじゃないでしょうか。まあ、教授が3ヶ月くらい留守しても研究面は大丈夫かも知れませんけどね。

私の知り合いの琉球大学の先生はサバティカル2年もとってます。
ただ、旅行ばかりしているようで、研究なんてほとんどしてないようですが。
ただ、旅行ばかりしているようで、研究なんてほとんどしてないようですが。
中身はどうあれ、うらやましい限りです。
by stochinai
| 2005-11-03 23:14
| つぶやき
|
Comments(25)