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追悼:森山加代子さん

 昨日、歌手だった森山加代子さんが大腸がんのため亡くなったというニュースが流れました。78歳ということですが最近ではまだ若い死ということになります。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 森山加代子さんは1940年3月23日北海道函館市で生まれ、札幌のジャズ喫茶『ロータリー」で歌っていたところを、1958年にスカウトされて上京したとWikipediaに書かれていますが、札幌にいたといっても小学校にあがるかあがらないかの私との接点はありません。1960年にイタリアの歌手ミーナの「月影のナポリ」(Tintarella di luna)の日本語カバーでレコード・デビュー。50万枚を売り上げて、いきなりの大ヒットとなります。この歌もそうですが、歌う方も聞く方もまだ日本の音楽界が未熟でポップスは基本的に外国の曲を日本人が日本語でカバーしてヒットさせるという時代でした。日本語に訳されますのであまり国籍は関係なく世界中の曲が入り乱れて入ってきたような記憶があります。

 森山加代子さんの曲としては「月影のナポリ」も印象にありますが、私としてはそのちょっと後に出た「ポケット・トランジスタ」のほうが好きだったかもしれません。まずはお聞きください。



 この曲は森山加代子さんだけではなく、飯田久彦、伊東ゆかり、ザ・ピーナッツなどもカバーして、日本のポップスがカバー全盛の時代だったことがよくわかります。

 元歌はこちらです。



 言語のまま歌を聞くことに慣れていない日本人のためにカバーを出すというのが当然の時代だったのですが、今考えるとちょっと不思議な気もします。

 せっかくですので、森山加代子さんのデビュー曲でもある「月影のナポリ」も聞いてみましょう。



 この関連でYouTubeでは当時の曲が次々と推薦されてきます。なぜか「月影のナポリ」の次にザ・ロネッツのBe My Babyが出てきますので、ついつい聞いてしまいましたが、これは懐かしすぎる!



 すごい歌唱力の3人組のザ・ロネッツの曲はさすがに森山加代子さんはカバーできなかったのかもしれませんが、当時の日本にはこれを軽々とカバーできる歌唱力を持った歌手が結構いたのですね。ザ・ピーナッツとか伊東ゆかりとか弘田三枝子などは本家に負けないくらいの力がありました。

 ここでは弘田三枝子の「私のベイビー」をお聞きください。



 どうですか。ちょっと話が脱線してしまいましたが、当時の日本のポップス界は今では信じられないくらい本格的なプロの世界だったと今さらながらしみじみと噛みしめて聞き入ってしまいました。

 脱線したついでに、このあと日本のポップス界は外国曲のカバーから脱して自立した日本人が作詞・作曲する「和製ポップス」の時代に入ります。今日の最後に日本の誇るデュオであるザ・ピーナッツの「恋のフーガ」を聞いて今夜は終わりにしましょう。


 平成も終わろうとする時期に昭和を思い出すのも、当時に活躍していた方々が次々といなくなってしまうからです。寂しいですね。









by STOCHINAI | 2019-03-07 21:16 | つぶやき | Comments(0)

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