2005年 11月 06日
スウィング・ガールズ
昨日はテレビでスウィング・ガールズが放送されていました。昨晩は来客があったため、録画をしておいたものを今日見ました。スウィング・ガールズはまだ新しめの映画で、レンタルショップのGEOではまだ新作のコーナーにありますし、いつも貸し出されているので、テレビ放映としては異例に早いのではないでしょうか。
私はアメリカ映画では、スポーツものと並んで音楽あるいは芸能人ものが比較的好きです。筋はほとんどが同じで、スポーツものならば弱かった人間が努力の結果、数々の失敗を繰り返しながらも最後にどんでん返しの成功をつかむというものですし、音楽や芸能ものも田舎出身で箸にも棒にもかからなかったような素人が血のにじむような努力の結果、最後に成功をつかむという、あらすじとして書いてしまえば何のことはない単純なサクセス・ストーリーがほとんどです。
#実はエンターテインメント映画はほとんどが序盤でじらされて、最後にどんでん返しのカタルシスを与えるという構造になっており、やくざ映画などで我慢に我慢を重ねて最後に殴り込みを欠けて相手のボスを殺すというストーリーは典型的なものだと言えます。
単純で予測可能なストーリーであるにもかかわらず、アメリカ映画でスポーツや音楽・芸能ものがおもしろいと思えるのは、映画の中でののパーフォーマンスが鑑賞に堪えるものとして映像や音声で描かれているからだと思っています。アメリカ映画(ヨーロッパでも同様で、本物が出演していることも多い)では、だいたいこの期待が裏切られることはありません。ただ最近ちょっと残念だったのは、期待が大きすぎたせいなのかも知れませんが「スクール・オブ・ロック」の子ども達の演奏がちょっともの足りなかったのが、久しぶりのハズレでした。
日本でも、そうした映画を真似て繰り返し同じようなスポーツものや音楽・芸能ものの映画が撮られてきたと思いますが、残念ながら素人の我々が見ても、明らかに俳優に技術があるとは思えないというような映像しか撮れていないものが多かったと思います。
スポーツだと俳優がプレイできないことが明らかだったり、音楽ものの場合には楽器が演奏できないことが見え見えなくらいならまだしも、指と音が合っていないというような白けた映像が平気で流されたりする、映画としての完成度の低さが気になってストーリーに集中できないのです。
もちろん、アメリカ映画だってスポーツのできない俳優に演技させることもありますし、声楽などの場合には吹き替えが普通のようなのですが、ダンスや楽器演奏などの場合にはかなり本格的に練習して、なんとか見て様(さま)になるところまで俳優が努力するという風土があるように思います。
それに比べると日本の映画では演技者を甘やかしているというか、演技者のプロ根性がないというか、スクリーンに映されるシーンが観客を納得させることのできないレベルで妥協してしまっていることが多いという現実があるのではないでしょうか。小説ならば、筋さえしっかりしていればイメージは読者の頭の中で作られますから問題がなくても、イメージが目で見える映像として観客に与えられる映画では、その映像(および音声)の「本当らしさ」は映画の正否を左右する重要なポイントなのです。
スイング・ガールズを見ていて、その危うさに気を散らされることなく安心して見ていられましたので、例によって単純な筋に浸ることができました。
映画のハイライトである最後の演奏会のシーンに出てくる、ムーンライト・セレナーデやスウィング・スウィング・スウィングなどの演奏は明らかにうますぎますので、間違いなく吹き替えだとは思うのですが、その音が彼女たちが出しているとしても不自然ではないと思えるくらい、彼女たちが楽器の演奏ができるところまで上達していることが見て取れます。単にトランペットやトロンボーンに口を押しつけたり、サックスをくわえたりしているだけではなく、音を出せるレベルにまで達していることがこの映画を成功させている理由の一つだと思います。
そうしたことを前提としてはじめて内容が楽しめると思うのですが、音楽映画はやはり演奏シーンがすべてです。それまで失敗や挫折を繰り返してきた女の子達が、カッコ良くスウィングしているシーンは素直に感動できます。ジャズには古くから「スウィングがなけりゃ意味がない」という有名な言葉があるのですが、「スウィングしているプレイヤーは無条件にカッコいい」という意味だということが実感できました。秀作です。
私はアメリカ映画では、スポーツものと並んで音楽あるいは芸能人ものが比較的好きです。筋はほとんどが同じで、スポーツものならば弱かった人間が努力の結果、数々の失敗を繰り返しながらも最後にどんでん返しの成功をつかむというものですし、音楽や芸能ものも田舎出身で箸にも棒にもかからなかったような素人が血のにじむような努力の結果、最後に成功をつかむという、あらすじとして書いてしまえば何のことはない単純なサクセス・ストーリーがほとんどです。
#実はエンターテインメント映画はほとんどが序盤でじらされて、最後にどんでん返しのカタルシスを与えるという構造になっており、やくざ映画などで我慢に我慢を重ねて最後に殴り込みを欠けて相手のボスを殺すというストーリーは典型的なものだと言えます。
単純で予測可能なストーリーであるにもかかわらず、アメリカ映画でスポーツや音楽・芸能ものがおもしろいと思えるのは、映画の中でののパーフォーマンスが鑑賞に堪えるものとして映像や音声で描かれているからだと思っています。アメリカ映画(ヨーロッパでも同様で、本物が出演していることも多い)では、だいたいこの期待が裏切られることはありません。ただ最近ちょっと残念だったのは、期待が大きすぎたせいなのかも知れませんが「スクール・オブ・ロック」の子ども達の演奏がちょっともの足りなかったのが、久しぶりのハズレでした。
日本でも、そうした映画を真似て繰り返し同じようなスポーツものや音楽・芸能ものの映画が撮られてきたと思いますが、残念ながら素人の我々が見ても、明らかに俳優に技術があるとは思えないというような映像しか撮れていないものが多かったと思います。
スポーツだと俳優がプレイできないことが明らかだったり、音楽ものの場合には楽器が演奏できないことが見え見えなくらいならまだしも、指と音が合っていないというような白けた映像が平気で流されたりする、映画としての完成度の低さが気になってストーリーに集中できないのです。
もちろん、アメリカ映画だってスポーツのできない俳優に演技させることもありますし、声楽などの場合には吹き替えが普通のようなのですが、ダンスや楽器演奏などの場合にはかなり本格的に練習して、なんとか見て様(さま)になるところまで俳優が努力するという風土があるように思います。
それに比べると日本の映画では演技者を甘やかしているというか、演技者のプロ根性がないというか、スクリーンに映されるシーンが観客を納得させることのできないレベルで妥協してしまっていることが多いという現実があるのではないでしょうか。小説ならば、筋さえしっかりしていればイメージは読者の頭の中で作られますから問題がなくても、イメージが目で見える映像として観客に与えられる映画では、その映像(および音声)の「本当らしさ」は映画の正否を左右する重要なポイントなのです。
スイング・ガールズを見ていて、その危うさに気を散らされることなく安心して見ていられましたので、例によって単純な筋に浸ることができました。
映画のハイライトである最後の演奏会のシーンに出てくる、ムーンライト・セレナーデやスウィング・スウィング・スウィングなどの演奏は明らかにうますぎますので、間違いなく吹き替えだとは思うのですが、その音が彼女たちが出しているとしても不自然ではないと思えるくらい、彼女たちが楽器の演奏ができるところまで上達していることが見て取れます。単にトランペットやトロンボーンに口を押しつけたり、サックスをくわえたりしているだけではなく、音を出せるレベルにまで達していることがこの映画を成功させている理由の一つだと思います。
そうしたことを前提としてはじめて内容が楽しめると思うのですが、音楽映画はやはり演奏シーンがすべてです。それまで失敗や挫折を繰り返してきた女の子達が、カッコ良くスウィングしているシーンは素直に感動できます。ジャズには古くから「スウィングがなけりゃ意味がない」という有名な言葉があるのですが、「スウィングしているプレイヤーは無条件にカッコいい」という意味だということが実感できました。秀作です。
映画情報、久しぶりですね。
ここ1、2年は、サイダーハウスルール、シービスケットのトビー・マグワイヤがお気に入りでしたが、この冬は、オーランド・ブルームに気を惹かれています。「エリザベス・ガーデン」、劇場に行って来ようかな。
ここ1、2年は、サイダーハウスルール、シービスケットのトビー・マグワイヤがお気に入りでしたが、この冬は、オーランド・ブルームに気を惹かれています。「エリザベス・ガーデン」、劇場に行って来ようかな。
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花見月さんは、あいかわらず面食いですね。ちょっと線の細い、未熟っぽいところが見える女性的な男性がお好みなのでしょうか。
パペッティア通信さんの書評日記からトラックバックを頂いたのは、ガールズたちにはちょっと重すぎたかもしれませんが、ありがとうございました。それはさておき、「西洋音楽史」の著者である岡田暁生さんという方は、発生生物学の分野ではちょっと前まで日本の学界を牽引しておられた岡田節人(ときんど)という方の息子さんです。そういう関係もありまして、ちょっと前にやはり中公新書から出た「オペラの運命」や共著の「ピアノを弾く手」という本はお母様の岡田瑛さんから送っていただいたりしております。分野違いではありますが、すごい文化人の家系というものを感じさせてくれる日本が誇るべき家族です。
パペッティア通信さんの書評日記からトラックバックを頂いたのは、ガールズたちにはちょっと重すぎたかもしれませんが、ありがとうございました。それはさておき、「西洋音楽史」の著者である岡田暁生さんという方は、発生生物学の分野ではちょっと前まで日本の学界を牽引しておられた岡田節人(ときんど)という方の息子さんです。そういう関係もありまして、ちょっと前にやはり中公新書から出た「オペラの運命」や共著の「ピアノを弾く手」という本はお母様の岡田瑛さんから送っていただいたりしております。分野違いではありますが、すごい文化人の家系というものを感じさせてくれる日本が誇るべき家族です。
今は、ありませんが、妊娠中によく、男性にお腹を蹴られる夢を見ました。ひどく、おびえていたようです。自分が社会的弱者と感じるときに、大人の男性は、強くて恐ろしいものと感じます。
私は潜在的に、男性や男性的なものに被害妄想があるのかもしれません。それで、つるんとして、暴力性を感じない、未熟な男性の方が好ましく映るのでしょう。
私は潜在的に、男性や男性的なものに被害妄想があるのかもしれません。それで、つるんとして、暴力性を感じない、未熟な男性の方が好ましく映るのでしょう。
そう言えば、ゲイ(ハードゲイではなくソフトゲイ?)の方々が女性に人気あるのも、男の悲しい属性である暴力性が感じられないことが理由のひとつだと聞いたことがあります。今の日本は、「勇ましい」男性社会へと回帰していく流れも感じられ、悲しいことだと思います。
いわゆる「おかまさん」に寛容なのは日本独特なようです。
あるコメントによると日本のようにカバちゃん(?)や古くはおすぎとピー子などが堂々とテレビのコメンテーターとして活躍するというのはアメリカでは考えられないことだとか。日本で人気のアーティストや役者はアメリカ人には「Sissy!(女々しい)」と感じるようで何故日本の女性が好むのか理解に苦しむようです。意外におかま文化では先を行く日本です。
すみません、話が脱線しました。
あるコメントによると日本のようにカバちゃん(?)や古くはおすぎとピー子などが堂々とテレビのコメンテーターとして活躍するというのはアメリカでは考えられないことだとか。日本で人気のアーティストや役者はアメリカ人には「Sissy!(女々しい)」と感じるようで何故日本の女性が好むのか理解に苦しむようです。意外におかま文化では先を行く日本です。
すみません、話が脱線しました。
スウィングガールズの演奏ですが、すべて彼女たち自身によるものですよ。吹き替え疑惑(笑)を払拭するために、日本国内のみならず、本場アメリカでも、あの女子高生ファッションで演奏しています。
楽しい作品で、私は劇場で2度見てしまいました。
楽しい作品で、私は劇場で2度見てしまいました。
すみません。演奏があまりにも上手かったものですから、当然そうだろうと決めつけてしまいました。管楽器をあれだけ良い音で鳴らすためにはかなりの肺活量が必要ですので、彼女たちのか細い身体では無理だろうという先入観が働いてもいたのだと思います。疑ったことにはガールズたちに、こころからお詫びしたいと思いますm(__)m。楽譜はあるのでしょうが、ソロ・パートなどのフレーズにはおもわずぞくぞくさせられてしまいました。
歌謡曲全盛の頃、日本という国は世界一ビッグバンドの多い国と言われていましたので、実はビックバンドジャズができる人の潜在人口は多いのではないでしょうか。その人達があちこちの高校で指導したりすると、すごいことになると思っていますが、、、。
歌謡曲全盛の頃、日本という国は世界一ビッグバンドの多い国と言われていましたので、実はビックバンドジャズができる人の潜在人口は多いのではないでしょうか。その人達があちこちの高校で指導したりすると、すごいことになると思っていますが、、、。
by stochinai
| 2005-11-06 23:38
| 趣味
|
Comments(7)



