5号館を出て

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次は大学だと思います

 博物館などの「市場化テスト」に学者・文化人が反対要望書という記事が日経ネットに出ています。今朝の朝日新聞にも出ていたような記憶があります。

 国立博物館・美術館で、官民の競争入札を通じて官業の民間開放と効率化を促す「市場化テスト」が導入されることになると、美術品の収集や展覧会の企画などが民間に委託される可能性があるということですが、この件に関して財政再建と事業効率化を目指しているのだということであれば、今の世の中の流れから言って抵抗することはきわめて難しいと思います。

 国立博物館・美術館が独立行政法人化される時にも、「展示が流行追求型になる」「調査研究などの長期的取り組みが軽視される」などという今回と同じような議論がされたと思いますが、結局抵抗することはできませんでした。

 唯一、こうした政府の政策の打ち勝つ方法は、博物館・美術館側の意見に賛同する国民の声がわき上がることだと思うのですが、前回と同様、今回もダメだと思います。

 「庶民」の声がマスコミなどに取り上げられるとすれば、「自分の生活すら満足にできない時代に、高価な絵や美術品なんていらない」などとマスコミが報道するような予感がします。

 では、どうしたら良いのでしょう。

 博物館・美術館は効率化・財政再建に関して、政府に言われる前に様々なことをすることと、博物館・美術館を愛する(必要としている)人々の声を組織化すること、さらにはもっともっとたくさんの人々に博物館・美術館の楽しさ・おもしろさ・有意義性などを訴えていくことだと思います。

 今回の件に関しても、博物館・美術館側のとった行動が「平山郁夫東京芸術大学長と美術評論家の高階秀爾氏が9日、小坂憲次文部科学相と河合隼雄文化庁長官を訪ね、導入に反対する声明を手渡した」というのでは、ほとんどまったく力にならないと思います。

 そして今回の件に関して、我々に直接関係してもっと重要なことは、この流れは遅かれ早かれ国立大学にももたらされるはずだということです。

 その時になって、あわてて反対声明や陳情を始めてもすでに取り返しの付かないところまで行っているということは、前回の大学法人化の時にわかったことです。あの時も、我々は国民のサポートをいただくことはできませんでした。

 近い将来、大学に「市場化テスト」のような「民営化テスト」が導入される時にも、同じ状況が再現されるならば、そのまま認めざるを得ないことになるでしょう。

 その時に備えて我々が今すべきことは、効率化・財政再建に関して、政府に言われる前に様々なことをすることと、大学を愛する(必要としている)人々の声を組織化すること、さらにはもっともっとたくさんの人々に大学(学問)の楽しさ・おもしろさ・有意義性などを訴えていくことだと思います。

 同じですよね。さて、時間はあまりないと思いますが、できるでしょうか。
Commented by inoue0 at 2005-11-10 18:44
 国立の博物館や大学は首都と関西ぐらいに数箇所だけ残して、あとは都道府県に任せたらどうでしょう。中央政府が集約して行うべきは、国立国会図書館における書籍の収集やビッグサイエンスだけで十分であり、地方の遺跡や文化を所蔵する博物館や、教育業務は立地点に効用が集中するので、その地域で金を出して行うべきではないかと思います。地域住民が「いらない」と思うなら廃止すればいい。
Commented by stochinai at 2005-11-10 22:08
>地域住民が「いらない」と思うなら廃止
 ここがポイントだと思います。今までは市民の声などは関係なく、お上が勝手に国公立の博物館とか大学を作ってきました。小泉さんじゃないですけど、ここらで一度聞いてみたら良いと思います。「あなたにとって博物館や大学は必要ですか。いらないというのなら無くしても良いですか」という問いにどういう答が返ってくるでしょう。恐くもあり楽しみでもあります。
Commented by さなえ at 2005-11-11 07:49 x
↑僭越ですが、それはおかしいと思います。大学はともかく博物館や美術館などはその時代のその地域住民のためのものではなく、未来とその国民、場合によっては世界のためだと思っています。一過性の経済に左右されるのではない、長いスパンで考えるべき事柄の一つだと思います。
Commented by stochinai at 2005-11-11 09:39
 ちっとも「僭越」ではありませんよ。こういうご意見が出ない限り、日本には美術館や博物館を持てる民度がないということだと思っていました。
>博物館や美術館などはその時代のその地域住民のためのものではなく、未来とその国民、場合によっては世界のため
 まったくその通りだと思います。ただし、やはり国営でやる以上は国民が選ぶべきもので、そうでない場合にはそれを必要と思った個人あるいは団体がやるしかないと思うのです。戦後の日本はある意味で非常に教育的にさまざまなものを国がやってくれました。今の私には、それが逆に個々人が主体的に動くという場を奪ったのかもしれないとの反省の思いもあります。
Commented by inoue0 at 2005-11-11 17:49
 文物の収集や保存、研究をするためなら、国立国会図書館と国立博物館が1個ずつあれば十分です。自然科学だって首都に東京大学と国立研究所があればいいわけです。
 似たようなものが地域ごとに存在する意義は、まさに地域に貢献するためにあるのだから、大学法人や博物館の所有権を日本国から都道府県や政令指定都市に移管して、お金も地域で出してもらうのが良いと思いますよ。
Commented by metlove at 2005-11-11 19:36 x
 意見ではなく"感想"になるかもしれませんがよいですか?

 私は関西に住んでいた頃、無意識の内に多くの美術館・博物館、寺・神社、古墳等に接する機会がありました。
 大学で北海道に来て、自分の好きだった美術をはじめ"文化"に接する機会が少なくなってしまったことを残念に思いました。
 都会の良い点の一つは芸術に触れる機会が多々あることだと私は感じています。
 恐いのは都市の人はその恵まれた環境を当たり前に感じ、地方の人はその機会の少なさを何も感じないまま過ごすことです。
 文化に触れる機会に地域差はあってほしくないと思います。

 経済的問題を考えると、"無駄を削ろう"というのは当然の発想なのでしょうけれども‥。
 感想文になってしまってごめんなさい。
 でも、伝えたくてコメントしました。
Commented by stochinai at 2005-11-11 20:06
 inoue0さんのご意見も、一理あると思います。原則的には正しいのだと思いますが、不安なのは「大学法人や博物館の所有権を日本国から都道府県や政令指定都市に移管して、お金も地域で」ということにすると、少なくとも今ある大学や博物館のかなりのものはたちまち立ち行かなくなるような気がすることです。もちろん地域によってはがんばって大学や博物館・美術館を守ろうとするところも出てくるでしょうが、そうした地域差を認めてしまうのが恐いという次のmetloveさんのご意見も貴重だと思います。
Commented by stochinai at 2005-11-11 20:18
 metloveさん、コメントありがとうございます。「無意識の内に多くの美術館・博物館、寺・神社、古墳等に接する機会」がある地域で育った子ども達と、そうではない子ども達を考えると「文化に触れる機会に地域差はあってほしくない」という意見が出るのもわかります。ただ、地域ごとに異なる文化があると思いますので、一律に同じ文化に触れる必要はなく、京都には京都の文化、北海道には北海道の文化があります。
 私も、文化に触れる機会に地域差があることは好ましいことだとは思いませんが、それぞれの地域でしっかりと子ども達に文化の伝達が行われるのがベターなのではないかとも思います。
 つまり、それは教育問題であり、教育にかかる費用を「無駄」と考えるようになったら国は滅びるという文脈で、今回の「市場化テスト」というものが危険なのだと思います。国全体を見渡して、何が無駄で何が必要なのかを問い直すことなく、大学・美術館・博物館それぞれに効率化や財政再建という課題を押しつけるのは、トリック意外の何ものでもないと思います。
 国全体を見渡して議論することのできる「大物政治家」がいないことはほんとうに不幸だと思います。
Commented by alchemist at 2005-11-12 13:36 x
ここのテーマの一つの論点は地方の文化ですね。比較の対象を米国においてみます。米国では国が直接地方の大学を維持したり、地方の文化施設を維持したりすることはありません。(但し、国から地方の大学への投資額は人口で修正しても日本の倍ほどありますが、まあ、それは置いておきましょう)。
いつも言うことですが、米国の地方(州)の数も日本の地方(都道府県)の数もほぼ50です。そして米国の人口も経済力も日本のほぼ倍。とすれば、日本の地方は米国の地方の半分程度には豊かであって好いはずです。そんな地方、日本にあるでしょうか?日本で比較的豊かなはずの横浜市ですら、あの小さな大学を持ちかねています、そのくらい貧しいのです(人口が10倍のカリフォルニア州と比較すればすぐ判ります)。地方が文化を担当するためには、地方が米国の地方の半分くらいの豊かさにならなければならない。では、どうして日本の地方がこんなに貧しいのか?米国の半分程度に豊かな経済力はどこに浪費されているのか、その構図を一度、突き詰めて考えておく必要があるでしょう。でなければ、地方の文化どころか生活まで脅かされてしまいます。
Commented by alchemist at 2005-11-12 13:37 x
(上の続きです)自然科学をやっている人間にはその先のことは今イチ判らないのですが、霞ヶ関から半径10キロか20キロ程度の税務署から上がる税金が日本全体の2/3をこえることの異常さだけは良く判ります。
Commented by inoue0 at 2005-11-12 18:21
 日本は中央政府から地方への財政移転をかなりやってます。従来は補助金や交付金としてやってきたのを、今後は税源そのものを譲渡することで地方の裁量を高めようとしています。
 しかし、その場合、地方ごとの格差是正はできなくなりますので、地域による行政格差は大きくなるでしょう。私は地方自治を推進する限り格差はあっていいという考えです。
 経済学者(八田達夫など)は、田中角栄に始まる行き過ぎた地方優遇が今日の経済停滞を招いたのだから、地方は切り捨ててしまえという意見のようです。
 因果関係は私には検証しようもありませんが、「人の格差」は税制や福祉によって是正可能であっても、「地域間格差」は是正すべきでないという意見には賛成します。
Commented by inoue0 at 2005-11-12 18:28
 地方の分権化を財政でも進める網一つの理由に、財政破綻への安全弁があります。現在、地方財政と中央財政は実質的に一体です。地方政府が破綻しても、交付金増額によって中央政府が立て替えてくれます。しかし、破綻自治体が元炭鉱町の赤池町ぐらいならともかく、大阪市だとか、大阪府ぐらいのレベルになると、中央政府が尻拭いできなくなります。
 共倒れを防ぐためにも、地方自治体の財政は中央と切り離して、破綻しても救済しないということにしなくてはならない・・ということを井堀教授は主張しています。
 で、学術機関の話に戻りますが、地方の問題は地方財政の枠内で片付けるようにしないと、中央が危なくなるという問題があります。地方自治体としては、税源移譲をできる限り多く勝ち取って、裁量余地を確保した上で、どこに金を回すかを地方議会で討議すべきでしょう。
 そうなった場合、北海道立大学(仮称)は道民と他県民で学費が違うとか、道内入学枠を設定することになるかもしれませんが、米国の州立大学だってやってますから、仕方がない。
Commented by osumi1128 at 2005-11-13 14:17
たぶんバブルの頃だったかと思いますが、避暑地などに小さな美術館がたくさん建設されましたね。私設のものもあるでしょうが、「観光客の時間つぶし」に建てられたものもあろうかと思います。そもそも、人の少ない地方へリラックスしにいくはずが本来のレジャーであるはずが、行った先で「どこを見て回るか」にあくせくしてしまうのは、「物見遊山」という伝統でしょうか……。
もし、地方の美術館・博物館が閉鎖されると、路頭に迷う学芸員の方が出ることになりますね。今も狭き門と言われているらしいのですが、せっかくの知識を生かせるような、アートカフェ市民版のインタープリターみたいな職業があってもよいのでは? アートも実はかなり一般との乖離がある分野です。
Commented by alchemist at 2005-11-14 12:31 x
中央と地方の格差を産んだのは田中角栄以来ではなく、戦時体制ではないでしょうか?現在の日本の中央政府が握り詰めている権限の元は、非常時としての戦争遂行のために集中した権限に他なりません。その戦争遂行で集めた権限が敗戦後も握り詰めのママであったために地方の空洞化が進んだ(少なくとも関西から見ればそうですね)というところでしょうか。
地方の時代というものを作り出すことができるとすれば、中央政府が必要最低限のサイズに小さくなることの他に、中央への権限集中で歪んでしまったこの国のシステムを再構築するだけの投資が必要でしょう。(例えて言えば足尾銅山の操業によって禿山になってしまった周辺の地域の復元作業です。復元なく放り出してしまうと、禿山はいつまでたっても禿山のママですね)。禿山が復元できたかどうかの一つの指標が、東京の中心部で集まる税金が全国の2/3を越えるような状況をどれだけ糺すことができるかではないかと、考えたりします。
Commented by alchemist at 2005-11-14 12:36 x
地方で住んでいると、地方の営みの評価が低く、その代わり補助金というものがやってくるという構図になっているように見えます。地方の営みの再評価も必要ではないでしょうか?例えば、現在国際的に二酸化炭素の排出規制が進み、国家間で排出量の売買がなされていますが、同じように緑の税のようなものが都道府県間でやり取りされる必要もあるでしょう。
冬の間盛大に化石燃料を燃やす北海道が緑の税について支払う側になるか、支払われる側になるか、それは良く判りませんが。
Commented by alchemist at 2005-11-18 17:15 x
民営化の落とし穴が一つ発覚しました。姉歯設計事務所が構造計算をデタラメにやって、強度不足の建物が建てられたとニュースで出ていました。あの背景には建築確認を民間団体で出せるという数年前に始まった民営化路線があります。民営化以前には地方自治体が建築確認を出していたので、民営化によっていい加減にならないかという点が懸念されていましたが、やはり懸念通りになったということでしょう。こうしたことの責任は誰にあるのでしょう?
Commented by stochinai at 2005-11-18 18:49
 これは重大問題ですね。ニュースやワイドショーでは、そういうコメントが出ていなかったようですが、見落とし・聞き落としでしょうか。
 これは、ブログの出番かも知れませんね。
Commented by alchemist at 2005-11-19 15:28 x
バブルの赤字隠しと地方産業の崩壊による銀行の貸付先不足で、ミニ乱開発といっていいようなマンション建設が各地で進行しています。結果、地域の住環境が維持できなくなるケースが頻発してまして、隣に合法的な迷惑マンションが計画されて、ガラにもなく反対運動やってた時に、建築関係の情報を色々仕入れました。その中で最も問題と考えられたことの一つが、何でも民営化は善という風潮の中で進行した建築確認の民営化でした。今回のような危険性は、当時から指摘されていたのですが、無視して強行され、予測通りの結果が出現しました。
危険性を指摘されながら無視して強行した人間が全く責任を取らないこの社会って、どこかオカシイ・・・。
Commented by azarashi_salad at 2005-11-19 17:15
こんにちは。
私も上の方と同じ意見ですが、ニュースではこうした視点の報道は見当たらず、住民が市役所の担当者に「どうしてくれるんだ」と八つ当たりしている報道を流しています。
「民間で出来ることは民間で」と言いながら、問題がおきたら何でも行政責任を追及するような報道姿勢はおかしいですね。
Commented by stochinai at 2005-11-19 19:45
 当時の民営化のいきさつや責任者、その後の運用についての徹底的な調査をしてくれるジャーナリストは出てくるでしょうか。政治改革批判にまで発展していかないと、この事件の議論は不毛な気がします。少しウォッチを続けてみたいと思います。
by stochinai | 2005-11-10 15:34 | つぶやき | Comments(20)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai