5号館を出て

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National Geographic とビュフォンの博物誌

 数日前に配信されてきたNational Geographic 10月号の表紙です。

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 昨年の春に死亡した地球最後のキタシロサイのオスであるスーダンの最期の姿です。あと世界に残っているキタシロサイはスーダンの娘と孫娘の2個体のメスだけとなりました。スーダンは死んだ時に精子を取り出されて保存されていますが、残ったメスは既に老齢でありこれらの個体が子どもを生むことは考えられないため、これらの個体から卵細胞を取り出しスーダンの精子と人工授精して近縁種のミナミシロサイを代理母として子どもを生ませることが計画されていますがうまくいくかどうかはわかりません。

 いずれにしても我々はキタシロサイの絶滅の瞬間に立ち会っています。

 このように我々の時代になって大型の動物が地球から次々に姿を消しています。その原因の多くはヒトが作っていることもわかっています。キタシロサイに続いてヒトが絶滅させようとしている動物の写真集も載っていました。

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 動物園や水族館でおなじみの動物もいますが、彼らは確実に絶滅の道を行進中なのです。

 さて最後のキタシロサイはチェコの動物園で繁殖されていたのですが経済的な理由で繁殖計画は中断され、お爺さんであるスーダンと娘と孫娘の3頭はケニアのオルペジェタ自然保護区に移動されて武装したレンジャーに24時間警護されていましたが、スーダンが老齢のため昨年亡くなったというわけです。

 これは保護区で撮られたスーダン(左)と孫娘(右)の記念写真です。

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 2頭とも密猟を恐れて角が切除されていますが、サイの絶滅は主にこの密猟によるものだということですからヒトとは本当に罪深い存在です。さて、このサイを我々人間が知ることになったのはほんの250年くらい前だということを示しているのがこちらの絵です。

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 日本ではビュフォンの「博物誌」として知られる図鑑に描かれたサイです。上の写真と比べると似てはいますが、皮膚が鎧のようになっていることなどから実際に見た人が描いたものではないのかもしれません。こちらはストラスブール大学の図書館のデジタル遺産コレクションとしてパブリックドメインとして公開されているものです。最近パブリックドメイン・レビューで紹介されていました。


 もうひとつ「博物誌」からキリンの絵を借りてきました。

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 こちらもナショジオからキリンの写真を引用してみます。

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 どうでしょうか?やはりいろいろと違うところがありますね(笑)。

 わずか四半世紀くらい前にようやく知ることになったこれらの動物が今や絶滅の危機にあるというのですから、人間の活動の激しさとその気の短さで地球全体がガタガタになってきていることも不思議ではないような気がします。

 これらの動物を絶滅させないようにすることは単なるセンチメンタリズムではなく、我々人間というものの生き方を考え直すきっかけになるはずだということが絵や写真を通じて訴えかけてくるように思われる時代を超えた2つの雑誌の出会いのような気がします。

 もちろん人間がいなくても生物は絶滅を繰り返してきてはいるのですが、産業革命以降の人間のやっていることは次元の違う「皆殺し」だということがしみじみと感じられてなりません。

 どうしたものでしょうね?





【追記】
 忘れていましたが、今朝もツユクサは咲きました。2日前に初めて咲いた枝の先でした。このくらい寒くなってくると1日おきという周期は無理になってきているような気もします。





by STOCHINAI | 2019-09-19 22:21 | 生物学 | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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