2005年 11月 19日
ブログは研究活動のアウトリーチには向いていない
コーステップの演習で「ブログ・コミュニケーション」を巡る話題を提供し、受講生の皆さんとディスカッションしているうちに、私の頭の中も整理されてきました。皆さん、ご協力ありがとうございます。
さて、サイコム代表理事さんからの3つめの宿題、「つぶやきおやじさんは自分の研究をブログに書かないのか」に対して、私がぐずぐず考えている間に今日もCoSTEPさん、仙台通信さんから、「アウトリーチ活動の「場」としてのブログ」「さまざまなアウトリーチ活動」ということで、すでに十二分のコメントを頂きました。さらに、それに対して代表理事さんからも「ブログのアウトリーチ性」というコメントもいただき、私の出る幕はなくなったと思うのですが、いちおうの区切りをつけるために書いておきたいと思います。
代表理事さんが引用しているサイエンスライターの森山和道さんが昔(1999/06/29)おっしゃったという「◇研究者の方々へ、ウェブ日記のすすめ」には、多くの研究者がホームページを作り始めた現状を踏まえて、「日本の税金で研究しているはずの大学や研究機関のウェブサイトの多くが英語で書かれている」ことに疑問を持って「いま科学離れなるものが言われるに至った理由の一つには、科学者なる人がいったいどんな人なのかさっぱり伝わっていない」ことがあるので、「研究者の方々の生の姿を伝えるメディア・表現方法として、ウェブ日記を提案したいのである(強引だけど)」と結論されている。
で、最近(2005/11/06)になって、「最近、「アウトリーチ」とかいった言われ方で、研究者が一般ピープルに自分たちがやってることを伝えなければならないと言われており、その一環としてブログをやってます、という人をちらほら見る」のだけれども、「ウェブ日記あるいはブログが、いわゆるアウトリーチになってるのかというと、どうにも疑問だ」とおっしゃっているようです。
そのあげくの果ての結論が、以下のようになります。
森山さんのおっしゃることはわからないでもないですが、研究者が英語のホームページを作ったら「わかりにくいのでアウトリーチするならウェブ日記を書け」と言い、研究者がウェブ日記を始めたら「そんなのはアウトリーチ活動じゃないからブログで研究を丁寧に紹介するアウトリーチ=『一人ニュースリリース』をやれ」と駄々をこねているようにしか聞こえません。
確かに、それは森山さんが希望していることかも知れませんけど、そんなことを望んでいる人ってそんなに多いのでしょうか。たとえ内容をかみ砕いて紹介したとしても、個々の研究者のやっていることなどは重箱の隅をつつくような小さなことであることが多いと思います。よっぽどのマニアを除くとそういうことを知りたいと思う人がそんなにいるとはとても思えません。
私の考えるブログというのは、頻繁にエントリーを書いて読者に読んでいただき議論をする場です。たとえば、365日のエントリーを自分の研究活動の報告で埋められるような研究者がいるとはとても思えませんし、さらにそうして埋められた非常に狭い領域しか扱っていない研究ブログを喜んで読んでくれる読者などほとんどいないと断言できます。そういうものがもし存在し得たとして、敢えて読者を想定すると、当の研究室の学生だけではないでしょうか。
自分たちの研究活動を報告するなら、中学生や高校生にでもわかるホームページを作ればいいし、代表理事さんの書かれているような日々の研究活動の裏話なら、大学院生のブログをちょっとたんねんに漁ってみれば、すでにいくらでも見つかります。逆に、辛い話やいじめられた話も山ほど出てきます。研究者になることをあきらめる話も負けず劣らずたくさん出てきますが、それが今の研究室の現状なのだと思います。
研究室のボスの書くブログにそういうのが少ないというのなら、それは残念ながら研究室のボス達が忙しすぎて研究現場にいられる時間が短すぎるという理由が大きいかも知れません。いずれにせよ、研究費を競争的原理で配分されるようになってきている現状では、研究室のボスが発する研究の話はどうしても「広報」という側面を意識せざるを得ないと言う現実もあります。
結論を申し上げますが、ネットを通じて研究室のアウトリーチ活動をするならばホームページでしょうし、研究室を巡る日々の活動ならば研究者(ボス、院生、学生)のブログですでにいくらでも公開されているということです。蛇足を申し上げると、森山さんや代表理事さんのおっしゃっているような「楽しい研究生活」そのものが今やあちこちで破綻しているという事実もありますので、それを公開することが本当に良い「アウトリーチ活動」になるのかどうかについても常に点検する必要があると思います。
さて、サイコム代表理事さんからの3つめの宿題、「つぶやきおやじさんは自分の研究をブログに書かないのか」に対して、私がぐずぐず考えている間に今日もCoSTEPさん、仙台通信さんから、「アウトリーチ活動の「場」としてのブログ」「さまざまなアウトリーチ活動」ということで、すでに十二分のコメントを頂きました。さらに、それに対して代表理事さんからも「ブログのアウトリーチ性」というコメントもいただき、私の出る幕はなくなったと思うのですが、いちおうの区切りをつけるために書いておきたいと思います。
代表理事さんが引用しているサイエンスライターの森山和道さんが昔(1999/06/29)おっしゃったという「◇研究者の方々へ、ウェブ日記のすすめ」には、多くの研究者がホームページを作り始めた現状を踏まえて、「日本の税金で研究しているはずの大学や研究機関のウェブサイトの多くが英語で書かれている」ことに疑問を持って「いま科学離れなるものが言われるに至った理由の一つには、科学者なる人がいったいどんな人なのかさっぱり伝わっていない」ことがあるので、「研究者の方々の生の姿を伝えるメディア・表現方法として、ウェブ日記を提案したいのである(強引だけど)」と結論されている。
で、最近(2005/11/06)になって、「最近、「アウトリーチ」とかいった言われ方で、研究者が一般ピープルに自分たちがやってることを伝えなければならないと言われており、その一環としてブログをやってます、という人をちらほら見る」のだけれども、「ウェブ日記あるいはブログが、いわゆるアウトリーチになってるのかというと、どうにも疑問だ」とおっしゃっているようです。
そのあげくの果ての結論が、以下のようになります。
▼たとえば研究をまとめて論文あるいはポスターで発表したりしますよね。そのときの内容をかみ砕いて一つのドキュメントにする。そういうことをやってれば確かにアウトリーチだと思うけど、そういうのをブログでやってる人を見たことないですよ。つまり、「一人ニュースリリース」みたいなことですね。そういうのがアウトリーチ活動だと思うんだけど。
森山さんのおっしゃることはわからないでもないですが、研究者が英語のホームページを作ったら「わかりにくいのでアウトリーチするならウェブ日記を書け」と言い、研究者がウェブ日記を始めたら「そんなのはアウトリーチ活動じゃないからブログで研究を丁寧に紹介するアウトリーチ=『一人ニュースリリース』をやれ」と駄々をこねているようにしか聞こえません。
確かに、それは森山さんが希望していることかも知れませんけど、そんなことを望んでいる人ってそんなに多いのでしょうか。たとえ内容をかみ砕いて紹介したとしても、個々の研究者のやっていることなどは重箱の隅をつつくような小さなことであることが多いと思います。よっぽどのマニアを除くとそういうことを知りたいと思う人がそんなにいるとはとても思えません。
私の考えるブログというのは、頻繁にエントリーを書いて読者に読んでいただき議論をする場です。たとえば、365日のエントリーを自分の研究活動の報告で埋められるような研究者がいるとはとても思えませんし、さらにそうして埋められた非常に狭い領域しか扱っていない研究ブログを喜んで読んでくれる読者などほとんどいないと断言できます。そういうものがもし存在し得たとして、敢えて読者を想定すると、当の研究室の学生だけではないでしょうか。
自分たちの研究活動を報告するなら、中学生や高校生にでもわかるホームページを作ればいいし、代表理事さんの書かれているような日々の研究活動の裏話なら、大学院生のブログをちょっとたんねんに漁ってみれば、すでにいくらでも見つかります。逆に、辛い話やいじめられた話も山ほど出てきます。研究者になることをあきらめる話も負けず劣らずたくさん出てきますが、それが今の研究室の現状なのだと思います。
ただ、研究する喜び、悲しみ、その他研究者として生きる姿をもうちょっと出してもいいと思うのだ。その手段としてブログは使えると思う。
長い間かかった研究の論文が通った時の喜びはどんなものなのか、この研究をやると何がわかるのか、どうしてやっているのか、何が面白いのか、そういうingの生の声ってなかなか聴けるものじゃない。
そういう知的興奮(している人の様子)をもっとブログで読みたいなと思うのだ。
研究室のボスの書くブログにそういうのが少ないというのなら、それは残念ながら研究室のボス達が忙しすぎて研究現場にいられる時間が短すぎるという理由が大きいかも知れません。いずれにせよ、研究費を競争的原理で配分されるようになってきている現状では、研究室のボスが発する研究の話はどうしても「広報」という側面を意識せざるを得ないと言う現実もあります。
結論を申し上げますが、ネットを通じて研究室のアウトリーチ活動をするならばホームページでしょうし、研究室を巡る日々の活動ならば研究者(ボス、院生、学生)のブログですでにいくらでも公開されているということです。蛇足を申し上げると、森山さんや代表理事さんのおっしゃっているような「楽しい研究生活」そのものが今やあちこちで破綻しているという事実もありますので、それを公開することが本当に良い「アウトリーチ活動」になるのかどうかについても常に点検する必要があると思います。
stochinaiさん
TBありがとうございました。
上記結論に同感です。
実は今日とある「公開シンポジウム」で話をしてきました。
これも「アウトリーチ活動」の一環なのですが、なかなか難しいなあ・・・と思ったことをエントリーして、後でTBしておきます。
TBありがとうございました。
上記結論に同感です。
実は今日とある「公開シンポジウム」で話をしてきました。
これも「アウトリーチ活動」の一環なのですが、なかなか難しいなあ・・・と思ったことをエントリーして、後でTBしておきます。
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遅くなりましたがコメントさせて下さい。
私は自分の専門に関するブログを書いており、今回の記事には考えさせられました。
私が自分の研究内容をまともにブログに書くのは、数式の山になり、ほとんど無理です。(そういうブログを見たいのでしょうか?という問いも含め)
また間違いや誤解を防ぐ為の下調べがかなり掛かり、本業(研究活動)の合間に続けていくには2、3日に1回の更新が限度です。(毎日ブログを更新している方には頭が下がります)
まだ学生の私でこうなのだから、先生はもっと大変だろうと推測しています。
それでも「アウトリーチ」。難しいですね。
答えたい。けど自分が特定されるのは恐い。夢を崩すかもしれない現実を書くのが恐い。そう思い、筆が進まない日もあります。
それでも私がブログを続けているのはブログでなければ出会えなかった、教えを請うたり一緒に頑張ったりする人々の存在です。
またこれから「アウトリーチ」に関わる職に就く私のいい叩き台となっているからです。
stochinaiさんのブログはいつも良い質問を投げかけてくれ、答えを考えることも勉強になっています。
長文失礼しました。
私は自分の専門に関するブログを書いており、今回の記事には考えさせられました。
私が自分の研究内容をまともにブログに書くのは、数式の山になり、ほとんど無理です。(そういうブログを見たいのでしょうか?という問いも含め)
また間違いや誤解を防ぐ為の下調べがかなり掛かり、本業(研究活動)の合間に続けていくには2、3日に1回の更新が限度です。(毎日ブログを更新している方には頭が下がります)
まだ学生の私でこうなのだから、先生はもっと大変だろうと推測しています。
それでも「アウトリーチ」。難しいですね。
答えたい。けど自分が特定されるのは恐い。夢を崩すかもしれない現実を書くのが恐い。そう思い、筆が進まない日もあります。
それでも私がブログを続けているのはブログでなければ出会えなかった、教えを請うたり一緒に頑張ったりする人々の存在です。
またこれから「アウトリーチ」に関わる職に就く私のいい叩き台となっているからです。
stochinaiさんのブログはいつも良い質問を投げかけてくれ、答えを考えることも勉強になっています。
長文失礼しました。
アウトリーチだけをやろうとするとブログはかなり使いにくいメディアだと思いますが、アウトリーチを補完するものとしてはかなり役に立つものであることは間違いありません。
読んでいただければわかりますが、私のブログでもちょいちょいミニ・アウトリーチをやってはいるのです。でも、決してメインステージにはなりません。
その特徴を把握した上で、様々なメディアとクロス・オーバーさせながら使うのがいいのかな、と思ったりしています。いずれにせよ、私もまだ試行錯誤の毎日です。
読んでいただければわかりますが、私のブログでもちょいちょいミニ・アウトリーチをやってはいるのです。でも、決してメインステージにはなりません。
その特徴を把握した上で、様々なメディアとクロス・オーバーさせながら使うのがいいのかな、と思ったりしています。いずれにせよ、私もまだ試行錯誤の毎日です。

この話・・・議論の出発点がねえ・・・
まず、”科学離れなるもの”の実態が曖昧模糊としている。
次に、「いま科学離れなるものが言われるに至った理由の一つには、科学者なる人がいったいどんな人なのかさっぱり伝わっていない」の根拠は何?
とりあえずその辺をなんとかしてくれないと・・・
アウトリーチ、アウトリーチって、生命科学系はまだ良いけど、コアな基礎物理学とか数学系なんかね・・・もうパンピちゃんに説明なんて無理。こういう議論が出てくるというのは、科学の文化が貧困だからではないのけ?
とりあえず、”科学とは何か”といういうことをガキからジジババまで理解させないと。
話はそれからだ!
まず、”科学離れなるもの”の実態が曖昧模糊としている。
次に、「いま科学離れなるものが言われるに至った理由の一つには、科学者なる人がいったいどんな人なのかさっぱり伝わっていない」の根拠は何?
とりあえずその辺をなんとかしてくれないと・・・
アウトリーチ、アウトリーチって、生命科学系はまだ良いけど、コアな基礎物理学とか数学系なんかね・・・もうパンピちゃんに説明なんて無理。こういう議論が出てくるというのは、科学の文化が貧困だからではないのけ?
とりあえず、”科学とは何か”といういうことをガキからジジババまで理解させないと。
話はそれからだ!
はい、今回の議論がきちんと出発していないことは私も気になっており、同時に反省もしております。
それと「科学離れ・理科離れ」という件に関して、私は疑っています。私の意見では子ども達はちっとも科学離れしていないと思っています。科学系の大学や大学院から離れたのは、社会制度としてキャリアアップの道が閉ざされているからだけで、文系に進んだ科学好きはたくさんいると思っています。
>とりあえず、”科学とは何か”といういうことをガキからジジババまで理解させないと。
そうなんですよ。自分の専門の話ができるところまで社会が成熟していない現状では、その前に「理科とは何か、科学とは何か」ということを広めるアウトリーチ活動をしなければならないのですが、それができる「科学者」がどれだけいるんでしょう。
それと「科学離れ・理科離れ」という件に関して、私は疑っています。私の意見では子ども達はちっとも科学離れしていないと思っています。科学系の大学や大学院から離れたのは、社会制度としてキャリアアップの道が閉ざされているからだけで、文系に進んだ科学好きはたくさんいると思っています。
>とりあえず、”科学とは何か”といういうことをガキからジジババまで理解させないと。
そうなんですよ。自分の専門の話ができるところまで社会が成熟していない現状では、その前に「理科とは何か、科学とは何か」ということを広めるアウトリーチ活動をしなければならないのですが、それができる「科学者」がどれだけいるんでしょう。

ご返事ありがとうございます。
それなりにいると思いますよ。お話ができる科学者、あるいは元科学者。ただ活用されてないだけだと思いますが。
ええ、えらそーにしてるジジババをこき使えば良いんです。どーせ暇なんですから。また、彼らにはそういう責務があるはずです。そして、彼らに面と向かって文句を言えるのは普通の人々やガキんちょなんですから。
『こら!爺!何言ってるかわかんねーよ!もっと分かりやすく話せ!』
おあとがよろしいようで・・・
それなりにいると思いますよ。お話ができる科学者、あるいは元科学者。ただ活用されてないだけだと思いますが。
ええ、えらそーにしてるジジババをこき使えば良いんです。どーせ暇なんですから。また、彼らにはそういう責務があるはずです。そして、彼らに面と向かって文句を言えるのは普通の人々やガキんちょなんですから。
『こら!爺!何言ってるかわかんねーよ!もっと分かりやすく話せ!』
おあとがよろしいようで・・・
by stochinai
| 2005-11-19 19:36
| CoSTEP
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