5号館を出て

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やっぱりブログはスゴイかも知れない

 日曜なのに大学で、命令されて仕事をしています。

 明らかに超過勤務であるにもかかわらず、超過勤務手当で対応はしてくれないそうで、代休を取れとのお達しです。来週は講義がない日はないので代休はとれません、と言ったら「代休を取れない理由書を提出して、再来週以降に代休を取ってよろしい」という有り難い(?)お達しです。代休を取ったって、大学で仕事を続けなければならないことは知っているくせに、大学ってよっぽど金がないですね。

 それはさておき、昨日の演習「ブログ・コミュニケーション」で勝手なことばかりほざいていたので、受講生に何が伝わったのか、何が伝わらなかったのかちょっと心配でした。

 普通の講義だと最後に感想や批判を書いてもらって終了とすることが多いのですが、昨日は最後に課題を出して終わりにしてしまったので、現場でディスカッションできたことを除くと受講生が何を感じたのかを知るのは、課題トラックバックが届くまで待たなければならないのかと思っていました。

 ところが、やっぱりCoSTEPの受講生は一味違うメンバーがいるようで、早速講義記録をかいてくれた方がいました。しかも、あっちへいったりこっちへ戻ったりと、糸の切れた凧のように、風の吹くまま流れ流れてそのまま読んでも何がなにやらわからなくなるような講義の速記録ではなく、見事に中味のエッセンスがまとめられております。しかもさらに、感想・コメント付きなので講義記録よりいいものになってます。「これください」といいたくなる一品です。もちろん、あの場にいらっしゃった方なのでしょうが、頭が下がります。本当にありがとうございました。

 do-something さんも何か書いてくれるって予告しているので、楽しみにしてます。他にも、あの場におられた方でお暇と時間と愛のある方は、よろしくお願いします。いじめるよりはいじめられる方が好きな(マゾ?)おやじなので、辛口の批評も大歓迎です。人というものは、そうした批判を吸い取ることで大きくなれるんですから、叩かれた方が絶対に得なんです。

 もちろん、準備不足とか力不足とかいろいろの不足があって昨日言い忘れたことはたくさんたくさんあると感じているのですが、そのひとつを今日発見しましたので、追加としてここに記録しておきます。ソースは404 Blog Not Foundさんのエントリー「ドーナツの穴」経由で教えてもらった真性引き篭もりさんのエントリー「愛は死んでいない」に重要な示唆があります。

 ブログを続ける力としてもっとも重要なものに「技術」というものがあります。基本的に、技術というものは、学んで身につけることができるものですので、「必要なのは技術だ」と言われることは万人にとっての希望になります。引用します。

ブログにとって大切なのは毎日の更新であるとか、筆力であるとか、ユーモアであるとか、あるいは人間力である、などということをまことしやかに語る輩が居るが、それらは全てが嘘なのである。即ち、ブログあるいはブロガーに求められる能力というのは唯一にしてただ一つ、技術だけなのである。

仮に「心あるブロガー」というものが存在しているならばそれは心あるブロガーではなく、心あるブログを書く技術を有している人間に過ぎないし、「良識あるブログ」というものが存在しているならばそれは良識あるブログではなく、良識あるブログを作り上げる技術を有している人間に過ぎない。

 もちろん言い過ぎあるいはいささか過剰なレトリックも感じますけれども、なかなか説得力をもった一面の真理だと思い感心しました。

 これを発展させると、次のようになるのだそうです。

人が愛であると思っているそこにあるものはただ一つ、技術である。
そして、それは悪いことでも良いことでもない。

 ここから先は、私には詩の世界に思えるのですが素敵な響きを持った文章が続きます。興味のある方は是非読んでみてください。

 真性引き篭もりさんの言葉には、コミュニケーションを目指す人間にとって、とても重要な指摘が含まれていると思います。愛も心も誠実さも面白さも夢も伝えられてはじめて姿を現すものですが、その姿を相手に見てもらうための技術がなければ存在していることすら不明です。

 小泉さんじゃないですけれども、技術なくしてコミュニケーションなしということを改めて思い出させてくれるエントリーでした。

 真性引き篭もりさんのエントリー、結論も素敵です。

つまり、「愛は死んだ」という事も出来るし、「愛は死んでいない」という事も出来る。


追記(11月21日)
 この演習からの発展として、また素晴らしいエントリーがひとつ発信されています。皆さま、是非ともご覧ください。

追記2(11月21日)
 どんどんと反応が寄せられております。いずれもCoSTEPの受講生はただものではないことを思い知らされてくれるものが多いのですが、学者のたまごさんのエントリーは、ブログ現場からのコメントとしてとても貴重です。こちらも是非ご覧ください。

追記3(11月21日)
 トラックバックされた、ローギアブレイクダウンさんのブログにも他の方が書かれていない(実は、もっとも自信のなかった素人科学史のところ)が触れられています。中味の正誤はともかく、確かにそんなこともしゃべりました(^^;)。

追記4(11月22日)
 セキュリティ&コンサドーレ札幌さんからのトラックバックもなかなか読み応えのある論説になっていると思います。特に掲示板とブログの比較についてはおもしろいと思いました。

追記5(11月22日)
 レポートですと言いながらもトラックバックを忘れたriverparadeさんのブログにも、関連エントリー「サッカー『が』好きです」があります。こちらから勝手にリンクさせてもらいますが、さすがに私よりもブログ歴が長い方の論文は一味違いますね。ありがとうございました。

追記6(11月24日)
 セキュリティ&コンサドーレ札幌さんの新しいエントリー「コミュニティ形成ツールとしてのblog」に私が言いたかったことが見事に解説されています。私が一所懸命に解説するよりも、こっちのほうがわかりやすいと思いました。
Commented by 通りすがり at 2005-11-20 22:22 x
2段落目まで読んだ感想を。あなたの上司が無能か、給料泥棒なだけかと思います。いや、自分の境遇と重ねた上での感想です…。気を悪くなさらないでくださいね。もっと自信をもってください。では。
Commented by 花見月 at 2005-11-20 22:25 x
愛や優しさは伝える技術を持っていないとないのと同じというのは、とてもわかる気がします。それと同じように、人を傷つける技術に秀でている人がいて、自分ではそれと気づかずに、宝刀をぶんぶん振り回しているなと思われるような人もいます。
Commented at 2005-11-20 23:21 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by stochinai at 2005-11-20 23:21
>もっと自信をもってください。
 ありがとうございます。がんばりたいと思います(^^;)。

>人を傷つける技術に秀でている人がいて
 結局、コミュニケーションのための「技術」は銃砲などと同じく、ただの道具なんですね。持っている人の心によっては凶器になることもあれば、正義の刃になることもあるわけです。技術を持った悪意に対抗するためには、善意の人々も無理をしてでも技術を身につける必要があるということです。「心さえあれば伝わる」という言葉は甘えか怠慢にすぎないですね。どんなに誠実な心があっても伝わらないこともあるという現実を見据えて努力を続けたいと思います。
Commented by stochinai at 2005-11-20 23:23
>・レポートに使えそうなネタは受講生にとっておいてください
 はははは、これは失礼しました。でも、まだまだ使えますよ。大丈夫です。
Commented by magu at 2005-11-21 00:59 x
>愛も心も誠実さも面白さも夢も伝えられてはじめて姿を現すもの
 善意ある人でも、その善意を伝える技術がなければ、反対の作用(相手に悪意と取られる)を招くことがしばしばあります。「人を傷つける技術に秀でている人」などより、こちらのケース(善意の悪魔という意味で、「善魔」と呼ぶ方もいます)の方がやっかいでしょう。研究室でもときたま見受けられることで、対話相手の片方(ボスであることが多い)が、技術不足に加えて他人の心の動きに疎かったり、和を尊び過ぎて普段から部下と言いにくいことを言い合える関係にない場合に起こりうることです。
また、心を伝える技術がどんなに優れていても、互いのちょっとした価値観の違いからコミュニケーションに齟齬をきたす例もしばしば見受けられます。この場合は、どうしたらよいか、今も思案中です。
Commented by stochinai at 2005-11-21 19:45
 maguさん、我々日本人はコミュニケーションの教育という意味でかなり遅れていると思います。「男は黙って、、、」とか「以心伝心」とか、伝える努力をせずに相手に理解を強要する文化がいまだに続いているような悪い伝統があるようです。
 こういう状況を打破するためには、我々はまずコミュニケーション技術を徹底的に身につける必要があると自覚しなければなりません。年寄りや権力者に期待しても難しいと思いますので、まだ柔軟な気持ちを持った(心の)若い人から始めるしかないと思います。科学技術に限らず、みんなで社会のコミュニケーターになるように努力していきましょう。その方が人生が楽しくなるはずです。
Commented by magu at 2005-11-21 20:57 x
stochinaiさま
わざわざご回答いただき、ありがとうございました。最近は、欧米風の率直なコミュニケーションをされる方々が増えてきたので、昔風の「以心伝心」などを気にせずにコミュニケーションができるようになり、ずいぶんと風通しが良くなったと感じてます。相手がいることゆえ、難しさはどこまでもついてまわりますが、自分のコミュニケーション技術をもっと高めていきます。
Commented by うに at 2005-11-21 21:31 x
こんにちは。本筋に関係ないところへのコメント、ごめんなさい:

>再来週以降に代休を取ってよろしい

stochinai さんのところは、これができるんですね。私がこの3月までいたところ(stochinai さんが先々週いらっしゃったところ)では、その週のうちに取らなきゃダメって話になっていたと思います。昔の仲間に知らせてあげたほうがいいかなぁ。
Commented by stochinai at 2005-11-21 21:49
 そうですね。横並びの意識が強い国立大学法人ですから、「あそこでやっていました」と言うだけで、驚くほど簡単に運用のルールが変わるようです。前に国立**大学の先生に、こちらではこうやっていますというメールを差し上げただけで事務の対応が変化したこともあったと聞きます。(やったことは、事務にメールを転送しただけだと思います。)
Commented by do-something at 2005-11-22 23:42
stochinai先生、コメントありがとうございました。
実は、大学で「ホームページ」「ブログ」「wiki」に関して後輩たちと少し話し合いました。また読んでいただければ幸いです。(課題も書きます)

私は小学校の時、柔道の先生に「心」「技」「体」というのを教わりました。これは格闘やスポーツだけではなく、何をするにも通じるものあるとも教わりました。ブログを続ける上でも同じであると思います。
「愛は死んでいない」のエントリーには「すべては技術だ」と書いてありますが、体が元気でなければブログも料理もできませんし、心が入っていなければ一生懸命に続けることはできないと思います。
・・・こんなに「心」の入った文章を書く人が「技術」を全面に主張することへの違和感を感じてしまい、コメントを書いてしまいました。
科学技術コミュニケーターも「心」「技」「体」だと思います!(今は技術の勉強中です!)
Commented by riverparade at 2005-11-23 02:05 x
つぶやき先生、『論文』だなんて立派な肩書き、どうもありがとうございました。
ごめんなさい、ちゃんとTBしました。
by stochinai | 2005-11-20 18:12 | CoSTEP | Comments(12)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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