5号館を出て

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がんの自然治癒:映画「天国の青い蝶」

 「科学・技術と人間の倫理」という演習タイプの講義で、学生と一緒に抗がん剤イレッサについてのケーススタディをやっています。

 イレッサという抗がん剤は、特定の肺がんに対しては夢のような抗がん効果があるということで、世界に先駆けて日本で認可された珍しい抗がん剤でしたが、その後報道などで取り上げられたように副作用によりたくさんの死亡例が報告され問題になった薬です。アメリカのFDA(食品医薬品局)は昨年12月17日にイレッサには延命効果がなかったと発表しましたし、今年の1月4日には販売元であるアストラゼネカ社がヨーロッパ各国に出していた販売のための承認申請を取り下げています。

 そういう状況であるにもかかわらず、日本では依然として使用が継続されている背景には、日本での臨床試験結果からこの薬が、非小細胞肺がんのうちの腺がんを持つ非喫煙者の日本人女性がそれ以外の西洋人よりも有効率が高いという(中間)結論が出ているからなのだそうです。

 分子生物学的な解析から、この薬が働く標的(攻撃する対象)と考えられている細胞膜上の受容体タンパク質に遺伝子変異をもつ患者さんでは、イレッサが約85%の確率で有効性を示すということが報告されました。不思議なことに上に挙げた日本人の非喫煙者女性の腺がん細胞でこの遺伝子変異が起こっている例が多いということのようです。

 ここまでわかっているのであれば、がん細胞の一部を採取して分子生物学的解析を行って変異が確認された患者さんにだけイレッサを適用すれば良いと思うのは、生物学者の能天気というものかもしれません。

 特にこのケーススタディを意識していたわけではないのですが、今日DVDで「天国の青い蝶」という映画を見ました。私は、この映画を子どもが出るお涙頂戴ものというふうな先入観を持っていたので、なんとなく見そびれていたのですが、他にあまり見るべき映画もなかったのでセカンド・チョイスという感じで借りてきたものです。

 最初に「この映画は実話を元につくられています」というクレジットが出たので、そうそうとんでもないものにはならないだろうと思っていたのですが、脳腫瘍で余命3~6ヶ月と診断された男の子と母親が死ぬ前の思い出作りとして、昆虫学者に頼んで中南米(撮影はコスタリカ)のどこかに金属光沢を持つモルフォ蝶の採集に出かけるという話です。

 最後には意外な方法で手に入れることができたモルフォ蝶を逃がしてやるところで終わるのですが、なんとおまけに男の子の脳腫瘍が自然消滅したというコメントが付いていました。

 確かに、余命数ヶ月から数年と診断されたがん患者さんで、民間薬や自然食品、生活改善あるいは宗教活動などによりがんが消えた、あるいは何年も生き続けているという話は時々聞きます。

 手術や抗がん剤でも直すことのできないがんが、それ以外の方法で「確実に」直せるということはあり得ないと思いますので、民間薬や自然食品、生活改善あるいは宗教活動などにより直った場合には、そうした努力がなくても治るといういわゆる自然治癒というものなのではないかと思います。

 この自然治癒というものはそうそうあるものではないでしょうが、事実としてあるのだとしたらその生物学的メカニズムを是非とも知りたいです。自然治癒はお金儲けにつながる研究ではないので製薬会社などは手を出さない分野だと思いますが、もしも自然治癒力を高めたりできるのだとしたら、再生医療に匹敵する未来のがん医療になると思います。

 考えようによってはバカバカしい、そんな夢みたいな研究をやっても良かったのが昔の大学だったはずなのですが、おそらく今の大学にはそんな研究をやる場所は残されていないような気がします。

 とても残念です。
Commented by inoue0 at 2005-11-24 01:24
夫が余命半年と診断された肺がんで、色々な民間療法を試したら治ったと、固く信じている女性がいます。もう、何を言っても受け入れないんですね。西洋医学は万能ではないと。
 そりゃ、確かに西洋医学は万能には程遠いですが、それを超える医療なんて地球上にはありません。
 私は、この「自然治癒した」といいう男性は、たぶん、画像診断で肺がんらしき映像が見えて、医師が「気管支鏡入れてバイオプシしましょう。もしも肺がんなら半年ぐらいの余命です」とか言ったのを、「自分は肺がん」と思い込んで、それ以上検査を受ける勇気もなく、恐怖で病院から逃げ出しただけで、最初から肺がんでもなんでもなかったと思います。
Commented by 花見月 at 2005-11-24 09:42 x
仕事で、多くのがん治療に携わる医師から話を聞きます。「がんである」との診断は細胞診で決まるのですが、これがけっこう難しく、がんには誤診があるとのこと。それから、がんは1割以下の数%の人ですが、治療によらず自然に治ることがありうることも、医師の経験ではあるのだそうです。(何も治療をせず、経過観察だけのために病院に通う患者はほとんどいないので、エビデンスはないそうです)。
Commented by alchemist at 2005-11-24 12:37 x
小児の癌には自然治癒するものがあります。神経芽細胞腫もそうしたものの一つです。カテコールアミンを測ってハイリスクグループを予防的手術して死亡率を押さえることができる、というプロジェクトが随分推進されましたが、予防を行っている地域と予防をしていない地域の死亡率だったかが変わらないことが判ってしまいました。つまり、1才の時に危険と判定された子供にその後自然治癒するグループがいるし、1才の時に安全と判定された子供にその後発症するグループがあるということです。
子供の癌はちょっと特殊な面があります。
Commented by inoue0 at 2005-11-24 14:14
 細胞診ですが、現在は形態学的にやってます。つまり病理専門医が顕微鏡をのぞいて、異型度、核と細胞質の比、染色性などを見ているわけです。
 腫瘍マーカも、特異的な指標とは言いがたく、確定診断はできません。
 しかし、数年以内に遺伝子マーカによる診断が保険適用になるはずです。遺伝子の変異はデジタルなものですから、誤診はなくなるでしょう。ただし、「がん細胞が存在する」ことと、それが増殖して「病気としてのがん」になることとはちょっと違いますので、がん細胞が検出されたからといって、すぐに治療の対象にはならないと思います。高齢でがん以外の病気で亡くなった方の病理解剖をすると、非常に高い確率でがんが発見されます。女性は乳がん、男性は前立腺がんです。しかし、症状が出る前に亡くなる方が多いのですね。
Commented by stochinai at 2005-11-24 14:20
 なるほど、映画の子は10歳で脳腫瘍ということだったようですが、神経芽細胞腫だったのかもしれないですね。診断精度の問題も大きいようなき近藤誠さんの「がんもどき」説も最近は話題になることもないようですね。自然治癒に関してはもっと研究してもいいのではないかと思います。
Commented by stochinai at 2005-11-24 14:33
>高齢でがん以外の病気で亡くなった方の病理解剖をすると、非常に高い確率でがんが発見されます。
 健康な人の組織にがん細胞がないという、ネガティブ・コントロールがとれていないということですね。
>がん細胞が検出されたからといって、すぐに治療の対象にはならないと思います。
 良い抗がん剤が出回ると、「すぐに治療の対象に」なるような気もして不安も感じます。日本人(の医師?)ってほんとうに薬好きみたいですから。
Commented by inoue0 at 2005-11-24 16:39
 サーチする技術がないものですから、すぐに論文が出てこないのですが、カエルの腎臓癌細胞の核を使ってクローンを作ったら、まともなオタマジャクシが発生したという小話が、教科書には載っています。白血病の中には、レチノイン酸誘導体を投与するだけで病的細胞が成熟細胞に分化し、完治するタイプもあります。
 遺伝子変異がすべてではないのです。蛋白質や糖鎖の研究が進めば、ガン遺伝子以外のメカニズムもわかってくることでしょう。特に糖鎖は解析や合成が難しい上に、遺伝子に直接コードされてませんから、未解明の部分は多いです。
(だからといってアガリクスを珍重する気はありませんが・・・βDグルカンなんて化学用語が本のタイトルになってるなんて変な感じがします)
Commented by stochinai at 2005-11-24 16:44
 その論文なら学生の頃読みました。教科書に載っているとは意外です。それほどの大論文だとは思っていませんでした。リュッケの腎臓がんというウイルス性のがん細胞の核を使ってクローンをつくったというものです。ただし古い論文なので、ウイルス遺伝子がゲノムに入っているかどうかなどという検討はされていないはずです。
Commented by inoue0 at 2005-11-24 20:47
 1960年代にカエルの腎癌の核移植でオタマジャクシができたというエピソードは、全国8000人の医学生必携、内科学(朝倉書店)の1巻に書いてある話です。教科書だから引用文献も書いてありません。
 著者は、癌は遺伝子病というより遺伝子発現病と言うべきで、遺伝子変異だけを追っていても、癌征圧はできないだろうという常識的なことを書いてます。
 癌が分化するのに復帰突然変異を必要としないのであれば、自然治癒もありえないことではないでしょう。もっとも、固形癌が1個の細胞から発生してから診断可能(直径1cm)になるまでは10年以上かかってますから、自然治癒するような性格の癌細胞でしたら、とっくの昔に、来た道を引き返して分化しているはずです。
 まとめると、「癌の自然治癒がおきている可能性は否定できない」けれど、「診断できる程度まで大きくなるようながん細胞はすでに引き返し不能点を過ぎている」と言えるんじゃないでしょうか。
Commented by stochinai at 2005-11-24 21:52
>カエルの腎癌の核移植でオタマジャクシができたというエピソード
 そうですか。著者はどなたなのでしょう。生物学関係の教科書にも昔の一時期は載っていたことがあったような気もしますが、がんそのものが生物学の教科書ではあまり扱われるものではないですから、今ではおそらくどこにもないような気がします。
 でも、カエルの論文が医学部の教科書で有名という話は、なんだか楽しいですね。
Commented by stochinai at 2005-11-24 21:55
>診断できる程度まで大きくなるようながん細胞はすでに引き返し不能点を過ぎている
 ということは納得しやすいですが、そうならば逆にそこまで大きくなる前に「自然治癒」する生体の働きを知りたいと思います。研究は難しそうですが、、、。
Commented by ぜのぱす at 2005-11-25 06:18 x
原報は見つけられませんでしたが、件の論文は、Mckinnell RG, King TJ, and Di Berardino MAによる仕事と思われます。(参照、4頁右下: http://www.faseb.org/opa/cloning/cloning.pdf)

思うに、コレはtadoplesまでは発生が進んだという証拠だけで、必ずしも、(その後ガンにならずに)正常なカエルにまで発生するとは限らないんじゃないでしょうか?哺乳類の新生児に相当するのは、オタマではなく子カエル(froglet)だと思うので、オタマとカエルじゃぁ、大きな隔たりがありますよね。

Commented by ぜのぱす at 2005-11-25 08:24 x
はははは、良く見たら、上のPDFのSuggested Readingsにreferencesが出てました。
Commented by stochinai at 2005-11-25 18:55
 Di Berardinoっていう名前も懐かしいです。彼女はまだ現役でやっているんですね。
by stochinai | 2005-11-23 23:53 | 生物学 | Comments(14)

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