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ホヤの自己と非自己:日本発の研究がアメリカで決着

 nature (24 November 2005) Volume 438 Number 7067 に免疫の進化に関する久々のヒット論文が載っていました。

 群体ボヤの一種のウスイタボヤ(Botryllus schlosseriが主人公です。このホヤは、写真で見るとわかるように、放射状に見えるかたまりにある一枚一枚の花びらのようなものが個虫と呼ばれる一匹で、それが群体を作っているので群体ボヤと呼ばれます。

 このホヤの群体は植物が芽を出すように殖えていくのですが、海の中で隣の群体とぶつかりあった時、その二つの群体が癒合したりしなかったりすることを、私も公私ともにとてもお世話になった渡邊浩さんという方が、40年くらいも前に伊豆下田の臨海実験所で発見しました。彼が使ったホヤは同じ群体ボヤですが別種のミダレキクイタボヤ(Botryllus primigenusでしたが、癒合と非癒合が遺伝子で支配されており、2倍体の個体が同じ遺伝子をひとつでも持っていれば癒合し、両方とも違う場合には癒合しないということを見つけたのです。つまり、AAとAAおよびABは癒合するが、AAとBBは癒合しないということです。

 しかも、その後の研究から癒合しない時にはホヤの血液細胞がお互いの組織を攻撃しあうという、まさに脊椎動物で見られるような細胞性の「免疫反応」のようなことが起こるということもわかり、脊椎動物の祖先の姿を現代に残しているこの原索動物に脊椎動物の原始的な姿が残されているのではないかと、内外から注目を集めたのです。

 しかし、残念ながらこの仕事の分子生物学的解析はアメリカのWeisimanらを中心とするグループにさらわれて今日に至っています。渡邊先生のお弟子さんのひとりである齊藤さんが下田でがんばっておられるのですが、機関銃に竹槍ではやはり大変です。

 で、アメリカのグループは地道に研究を続け、分子生物学と遺伝学を組み合わせた実験を10数年続け、ついにこの癒合・非癒合を支配している遺伝子をクローニングした結果、それが脊椎動物で臓器の拒絶反応を支配しているMHCという遺伝子に相当するものであるという論文が出たというわけです。

 その遺伝子が、予想通りというべきか驚いたことにというべきか、MHCと同じように免疫グロブリンと相同な構造を持っている細胞膜上に飛び出た分子だということですから、これはnatureに出ないわけはありません。

 同じ号のnatureには、この方面(比較免疫学、免疫の進化学)の大御所のLitmanによる解説も載っていますので、興味のある方は是非とも読んでいただきたいのですが、残念なことにやはりそこにもこの研究の起源となる群体ボヤの癒合・非癒合現象を発見したのは日本人であるとのクレジットは見あたりませんでした。

 確かに、Weissman達はこの現象の重大さに気がつき、遺伝学と分子生物学を地道に10数年かけてやり遂げたことはとても偉いと思います。しかし、これはやはりオリジナリティの高い研究を評価してサポートを続けてくれるアメリカという国の研究支援システムと、世界的にはやっている研究を輸入して最先端の研究をしている研究室を手厚くサポートする日本の研究支援システムの違いが根にあり、その結果として日本で始められた研究がアメリカで決着を見るという今日の姿につながったような気がして残念に思います。

 Weissmanと言えば、医学系の幹細胞研究でも第一線の人ですが、そういう人がホヤの研究に手を出すところに日米の違いを感じます。お金がある程度ふんだんにある日本の医学系の最先端研究室のようなところで、ホヤの飼育に10数年もかかるような研究をやらせてくれるところがあるでしょうか。

 研究というものに対する歴史だけではなく、何か越えがたい差を感じるエピソードだと思いませんか。
Commented by magu at 2005-11-25 22:39
 今回の話題に関して、少々補足させていただきます。日本で世界に先駆けておこなわれた、「群体ボヤの自己非自己認識の研究」が広く世界的に認知されるようになったのは、クローン選択説を唱えたあのバーネットが、自分の書いた総説の中でこのことに触れたことがきっかけでした。この件でも、外国人が認めてから日本人研究者がようやくその価値を認めるという、悪い因習が見られます。
その後、日本のホヤ研究は世界の中心と言っても過言でないほどの盛況を呈して現在に至っています。しかし、残念ながら、それは主にマボヤという単体ホヤを用いた研究によるもので、群体ボヤの研究は一部の例外(例:高知大学のグループ)を除いて停滞の時期が長いようです。
Commented by magu at 2005-11-25 22:49
(続き)
先駆者である下田臨海実験所のグループがなぜ、今回の栄光を勝ち取れなかったのか、いろいろ理由はあるでしょうが、私は以下のように考えています。第一に、下田グループの長が、分子生物学を扱える後継者を養成しなかったこと。下田臨海実験所という、地の利の悪さは充分承知していますが、生物学的に重要な現象を発見し、ある程度マクロレベルの解析が済んだら、次は当然、原因遺伝子をとってきて解析することになるはずです。そういう考えは1980年代後半くらいまでには充分浸透してきているはずなのに、それをやらなかったことはやはりまずかったと思います。臨海実験所には、本当に生物を扱うのが好きな学生ばかりが集まり、分子を扱うのに慣れている学生は来ないのは仕方ないでしょうけど、それならそれで、1)遺伝子を扱える学生を、実質的に遺伝子解析のラボ専属のような形にして内地留学させるとか、2)別に共同研究者を探すとか、いくらでも方法はあったような気がします。
Commented by magu at 2005-11-25 22:49
(続き)
第二に、ホヤ研究者のグループが積極的かつ持続的なサポートを怠ったこと。知る人は知っているように、ホヤの研究者の勢力はかなり大きなものであり、その中には大型プロジェクトの研究費を取ってこられる方もいます。この勢力は、いろいろな意味で内部結束が固いグループのように見受けられるのですが、それほどの勢力を持ちながら、下田の1グループでは手に負えないテーマを、なぜもっと充分にバックアップしなかったのでしょうか?歴史が浅いため、生物学者の大部分は、大型プロジェクトに関するアレルギーを未だに持ち続けているようです。ですが、これからはそういうサポートシステムも活用することをまじめに考えなければいけないのではないでしょうか。
 せっかく、日本で先駆的研究がなされているのに、その一番大事な成果を外国にとられてしまうという事態は、もう勘弁願いたいものです。競争に負けたというだけではなく、せっかくの先駆的な業績すら、歴史に埋もれてしまうことになるのですから。
Commented by magu at 2005-11-25 22:55
(補足)上で述べた、「ホヤ研究者のグループ」とは、日本のホヤ研究者たちの集まりを意味します。当然ながら。
Commented by stochinai at 2005-11-25 23:04
 maguさん、的確な(というよりは、私のエントリーよりスゴイ)補足をありがとうございました。
 昔から日本の生物学では、かなりオリジナリティの高い研究がたくさん行われていると思いますが、国内ではなかなか認められないことが多いということは私も感じておりました。外国の研究者が認めてくれて始めて国内でも認められるということは「普通」です。自分でも経験しました。
 最後のところを読むと胸が痛くなります。また、maguさんの危惧を解消できる制度が出来上がっているとはとても思えないからです。
 どうしたら良いのでしょう。発言しかできない私のようなものではなく、政治力を持った人が動かないと状況が変わらないことは間違いないのでしょうが、、、、、。
Commented by magu at 2005-11-25 23:59
 >競争に負けたというだけではなく、せっかくの先駆的な業績すら、歴史に埋もれてしまうことになるのですから。
 とりあえず、NatureのNews&Viewに載ったLitmanの解説に対して、Nature編集部へ抗議のメールを送るべきでしょう(下田グループの方が行うのがよろしいかと)。昔、素粒子物理学において、クオーク研究の功績でゲルマンがノーベル賞を取ったときのこと。この決定に激高した日本の核物理学グループの武谷三男は、「日本の坂田昌一博士が、この分野の大功労者であることは明白なのに、なぜ、坂田博士を差し置いて、業績的に劣るゲルマンにノーベル賞を与えたのか?今回の決定を却下して、選考をやり直して欲しい」と、ノーベル賞選考委員会宛に抗議の文書を送ったそうです。そろそろ、日本人研究者も、こういう交渉術を身につけた、タフ・ネゴシエーターにならなればいけない時期に来ていると思います。
 日本で始まった先駆的研究を、種まきから収穫までしっかりと行えるようにするためにはどうしたらいいのか---なかなか難しい問題ですが、私も考えてみます。
Commented by inoue0 at 2005-11-26 10:02
 ご指摘の医学系で自由な研究はできません。
 寄生虫学(熱帯医学、国際環境医学)という分野が、理学系で昆虫学を専攻した人の有力な就職先になってきたのですが、講座数は減る一方です。微生物学(ウイルス学)ですら講座が減っています。
 基礎医学講座は医学教育には不要ですが、基礎研究そのものの必要性はあるわけで、教育職でない研究職を増加させる必要があると思われます。
 政府支出の研究費は、日本は激増していて、米国には負けますが、西欧諸国にくらべれば、決して引けはとらない水準です。ということは、研究費ではなく、その配分に問題があると考えるべきなんでしょう。
 普通の科学者だと視野が狭くて、社会全体を俯瞰できませんので、科学哲学か科学史あたりの学者が問題点を指摘すべきなんでしょうが、なにぶんにも科学哲学の教員数じたいが減っております(苦笑)
Commented by kajipa at 2005-11-26 14:34
ちょっと意味合いは異なるかもしれませんが、後発の研究者が、先駆者からアイデアを受けて別な方法でその研究を進めたとき、意図的に先駆者の論文を引用しないことがあります。皆さんも、なんでワシの論文が外してあるねん?と思われたことはありませんか?
話は日本と外国(アメリカ?)というような問題ではないと思います。
ただ、経験がないので印象に過ぎませんが、抗議に関してそれを取り上げるシステムは、日本にはあまりなく、アメリカにはきちんと整備されているような気がします。無視されているのなら、抗議しておくべきかもしれません。
Commented by stochinai at 2005-11-26 16:17
 maguさん、kajipaさんがおっしゃる抗議ですが、我々日本の研究者はとても下手ですね。というか、どういう場合にどういう風に抗議すべきかという訓練を受けたこともなければ、実際のケースを見たこともない人がほとんどだと思います。それに国内的に見ると、たとえ理があっても抗議した人がつぶされていくという「日本村社会」が今でも残っていますので、相手が外国人でも抗議する人は少ないと思います。しかし、国際舞台で科学の競争をやろうというのであれば、競争の一部としてフェアネスを主張するスキルなども身につけておかなければなりません。

 そういうことも含めて、日本でも科学者を育てるちゃんとした教育(今までは背中を見て自分で育てと言っていた)を真面目にやるべき時期が来ているのだと思います。
Commented by kajipa at 2005-11-26 21:45
前コメントはそのまま感情的に書いてしまいましたが、やはり、知らない方々のことを勝手に書くと、情報が無かったり人の受け売りだったりして、いろいろな失礼があるな、と反省しています。
どうも申し訳ありませんでした。
Commented by poa at 2005-11-27 16:30
全く専門バカの研究者はさっさと退場願いたいね。
Commented by tanqueray at 2005-11-27 17:38
maguさんのコメント拝見して思い出したことがあります。
当方、理学部発生生物学で修士まで出たので、夏にどこかの臨海実験所に行くのは学生の間では割と恒例の行事でした。私はあまり熱心な方ではなかったので、自校の臨海のみで方々へは行きませんでしたが、よく色々なところで実習していた同級生が某所の実習で言われた一言"(近頃の学生は)なんでもかんでもすり潰せばいいと思ってる"と。。。海洋生物の生態などをあまり勉強することなしに、なんでもかんでも手当たり次第に分子生物学に当てはめてしまおうとする考え方を憂慮してのお言葉だったようですが。当時、曲がりなりにも分子生物を囓りかけだった私も、それを聞いた他の同級生も、少なからずショックを受けました(^^;

sochinaiさんのご紹介のNatureの論文、解説含めて読んでみようと思います。

Commented by ねずみ at 2006-09-18 17:35
古い記事に関するコメントで、申し訳ありません。たまたまこのブログを拝見したものですから。当時(20年ほど前)、スタンフォードと、全く同じ発想で、研究を計画していました。下田を飛び出し、分子免疫学を習得するため、関西にある、当時、国内最先端の分子免疫の研究機関に移りました。ホヤに復帰する機会を窺っていましたが、私の不徳の致すところと申しますか、その機会が全くなく、今に至ります。渡邊先生も、当時、将来的には、遺伝子まで行きたい、という希望を持っていたと思います。飛び出した後も、色々と支援していただきました。決して、無策だったわけではありません。でも、スタンフォードのワイスマンと競争しろというのは、無茶な話です。彼らも、多くの試行錯誤の末(かなり泥臭いことを、人手とお金をかけてやってました)、結構安直な手法で、MHC-likeなものを釣り上げたわけで、果たして本物か、という点では、まだまだ検証が必要と考えます。彼らの遺伝子を潰したノックアウトホヤが出来てから、という感じはあります。まずは、それらしい遺伝子を見つけたという状況でしょうか。それにしても、ずいぶん時間がかかりましたね。
Commented by stochinai at 2006-09-18 18:03
 ねずみさん、現場からの貴重な情報をありがとうございました。このようなリアルな生の声が聞けることもあるというのが、このメディアの面白さのひとつですね。
 もちろん科学に変なナショナリズムはいらないわけで、おかしな日本の研究者に食い散らかされるよりははるかに良かったのかもしれません。
 それよりも私が残念に思っているのは、こういうユニークな研究を生み出してきた日本の動物学が、業績競争の中に投げ込まれることでまさに崩壊しつつあるということです。タイミング良く、今週の後半には日本動物学会大会が松江で開かれます。崩壊しつつあるとはいっても、やはり動物学会では珍奇な動物の怪しげな話が聞けることがあり、私は好きな学会です。そんなにお金もかからない学問分野でもありますので、なんとか続いて欲しいと思っています。

 なんか変なコメントになってしまいましたが、これからもよろしくお願いします。
Commented by ねずみ at 2006-09-19 11:03
残念なことに、私は、片手間で、ホヤをやる余裕は全くありませんでした。また、一度、医学関係に入り込むと、純な生物学(適当な表現とは言い難いかもしれません)に復帰することは、よっぽどの幸運がないと、現実問題として難しいと思います。両者の交流が、ほとんどないのも、復帰を難しくしています。ホヤの「自己-非自己認識機構」に関しては、後継者が育たず、先細りになってしまいましたが、まだまだやるべきことはある、と私は思いますが、これに食いついてくれる若手がいないのも、寂しい限りです。学部の学生時代、渡邊先生や、諸先輩方の、研究報告を読んだとき、これだ!っという衝撃が走りました。現代の生物学研究の流れでは、まず遺伝子ありきですので、ホヤのような、泥臭いとこから研究を始めなければならないものに興味を示す学生は少ないのかもしれませんね。日本の学問の流れが、学生に無難な選択をさせている感はあります。今回の遺伝子の発見が引き金となって、新たな展開が、日本国内でも起こることを、期待しております。
Commented by stochinai at 2006-09-19 19:49
 私も同じように期待したい思いはあるのですが、残念なことに牧歌的な基礎研究(それだからこそ、オリジナリティの高いものが出る)は理学部からも放逐されつつあります。

 動物学会でまたリフレッシュしてきたいと思います。
by stochinai | 2005-11-25 21:27 | 生物学 | Comments(16)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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