2020年 10月 04日
雨の中の納骨
雨が降っていましたが予定通り納骨を行いました。
1616年開基という非常に由緒あるお寺が菩提寺です。
雨の中、札幌から運んだお骨をお墓に納めました。
最後にまたご住職にお経をあげていただいて終了となりました。
ご住職にはみずから傘をさされてお経をあげていただきました。
このあと、参加者は久保田秋田城址である千秋公園の横のレストランで会食をしてお開きとなりました。
お城のお堀の向こう側は蓮田になっています。
食後には腹ごなしを兼ねて千秋公園内を散策しました。
目についたの不思議な狐の伝説を持つ与次郎稲荷神社の鳥居
そのすぐ横にある八幡秋田神社
近くの木に不思議なキノコが生えていました。
木は広葉樹でしたが、樹皮がはがれて木肌がむきだしになっていて、その表面が凸凹になっていてきれいなところと、この写真のように真っ黒なキノコのようなものが生えているところがありました。
全く知らないのですが、あの「伝説の」カバノアナタケにも似ているような気がします。
しばらく歩き回って、最後に真打ちとして眺めさせていただいのは久保田城表門
雨がちな曇の城内は静かでなかなかいい午後の散歩になりました。
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alchemist
at 2020-10-05 09:44
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すみません。秋田城跡は千秋公園にはありません。北西郊外です。出羽柵が移動して秋田城になりました。出羽国府と秋田城の関係は多賀城と胆沢城の関係と類似です。出羽国府と多賀城には国守が駐在、軍事司令官である秋田城介と鎮守府将軍が秋田城と胆沢城に駐屯してました。千秋公園にあったのは、書いておられる通り久保田城が正式名称です。城下町は秋田ですが・・・。
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STOCHINAI at 2020-10-05 14:41
はははは、やっちゃいました。そもそも「秋田城」というものの存在を全く知らなかったので、秋田の中心にあった城なら「秋田城」と呼ばれているのかもしれないという安易な連装でした。城址にある看板にはどこを見ても確かに「秋田城」という言葉は出てきていないのは不思議だと思いましたが、他に本物の秋田城があるとは思ってもいませんでした。また一つ知識が増えました。ありがとうございました。今後は慎重にやりたいと思います(笑)。
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alchemist
at 2020-10-06 17:52
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介は国衙の次官なので、守の不在に備えて国衙に詰めるのが通常です。出羽だけは守と介が別の場所に駐在するという特異例です。
多分、お気づきにはならなかった(目立たないので)と思うのですが、復元された本丸表門の階段を降りた下にあるのが久保田城唯一の現存城郭建造物の物頭局(ものがしらべや)=本丸表門を警護する武士の詰所=です。
多分、お気づきにはならなかった(目立たないので)と思うのですが、復元された本丸表門の階段を降りた下にあるのが久保田城唯一の現存城郭建造物の物頭局(ものがしらべや)=本丸表門を警護する武士の詰所=です。
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STOCHINAI at 2020-10-06 19:15
その「警護員詰所」は見ました。目立たないといっても、かなり大きな建物でしたので中まで入ってみました。さすがに復元したものということで、柱の角などが直角すぎると思ったのを記憶しています。
by STOCHINAI
| 2020-10-04 21:58
| その他
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Comments(4)