5号館を出て

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晴れて気温も上がったものの冷たい風が吹き荒れて寒い寒い

 今朝は明るい朝日の中でマツバランを撮ってみました。

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 葉先が茶色くなっているところも多いのですが、おおむね元気な感じで胞子嚢もできているようです。

 今朝もスズメのエサ台が地面に下りていたのですが、よく考えてみると昨日の日中に強い風で吹き飛ばされていたので、私がここに置いていたのでした。

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 よく見るとなにごともなかったかのように2羽のスズメ(1羽はエサ台のトンガリ屋根のところ、もう一羽はエサ台の右側)が地面に落ちたえさをついばんでいました。

 この周辺では少しくらい景色が変わってもあまり警戒しなくなっているようです。

 昨日は寒い一日で、日中は強い風も吹いていました。

 今日は日の出とともに急激に気温が上がり、このグラフでは見えませんが最高気温は10.1℃にまでなったようです。昨日も寒かったとはいえ、9.7℃までは上がったということです。

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 昨日は午後から一直線に気温が下がり今朝は1.8℃まで下がりました。完全に霜の降りる気温です。それでも朝の日差しで急速に気温が上がり、12時過ぎに10℃を越えたらしいのですが、冷たい風がけっこう強く吹いていて、外に出ると「寒い」のでした。

 風を見てみます。

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 昨日は朝と夜を除き北西の風が一日中吹いていて寒かったのです。この昼ころの強い風でスズメのエサ台が飛ばされたものと思われます。

 今日は午前中は静かだったのですが昼前から急に南東のかなり強い風が吹き出しました。南からの風にもかかわらず、これがとても冷たく寒いのです。

 昨日の昼間にエサ台が吹き飛ばされたのにこりて、今日は朝からエサ台を例の「溶岩」で固定しておいたのですが、昼頃にはそれすらも少しずらされるくらいの風になっていました(一度、修正したのでさすがに今日は飛ばされませんでした)。

 夜になって気温も下がってきています。

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 どうやら、このまま明日・明後日と「寒の戻り」と言われる寒さがもどってきて、明日の夜からは雨が降り、明後日にはそれが雪になるかもしれないと、天気予報はさかんに脅しをかけてきています。いずれにせよ、金曜日まではこの寒さが続きそうですので、また生活を冬モードに戻さなければ風邪をひいてしまいます。

 というわけで、こんなときは読書。また、札幌市の電子図書館に借りた本をご紹介します。

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 宮沢賢治の作品には確かに地学的な専門用語が出てくることが多いと思います。その実体がわからなくても、なんとなく読み進むことはできることが多いのですが、気のなってなかなか前に進めないという方もいるのかもしれません。

 そんな方のためにということもあって書かれた、注釈満載の宮沢賢治本ということになります。私はこれを読んで、昔、村上龍が「限りなく透明に近いブルー」という小説を書いてその中に大量の注釈があって話題になったことを思い出させられました。

 目次がこちらです。有名なものもそうでないものもあわせて5本取り上げられています。

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 実際にどんなふうになっているかは、ご自分で手にとってごらんください。私は個人的には注釈を読みながら作品を読み進むと話の流れが中断されるような気がして苦手なのですが、2回読むつもりでいると理解が深まるのかもしれません。

 それはさておき、この本の中にあった賢治の年譜を見て、ちょっとした感慨を覚えました。

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 賢治が生まれる2ヶ月ちょっと前の1896年6月に、明治三陸地震津波が起こり約2まん2000人の方が亡くなっています。賢治が生まれて4日後には陸羽地震が起こって200人の方が亡くなっています。賢治が27歳の1923年には関東大震災が起こって、約10万5000人の死者・不明者が出ています。そして、賢治が37歳で亡くなる半年前の1933年には昭和三陸地震津波が起こり約3000人の方が死亡あるいは行方不明になりました。

 賢治の生涯は当時としても短いものだったはずですが、その40年足らずの間に歴史に残るような大地震が3回も起こる国というのが日本なのだと、改めて思い知らされました。

 これからも10年20年に1回位は大地震や大津波が起こるのは必須だと思っているべきだと改めて考えさせられています。








 

by STOCHINAI | 2021-04-06 21:38 | 札幌・北海道 | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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