2005年 12月 16日
ヒト・クローンES細胞スキャンダル
世界初のヒト・クローン胚由来のES細胞は取り返しのつかないスキャンダルになってしまいました。
さきほどの7時のNHKニュースで報道された記者会見の中で、渦中の人であるファン・ウソク教授はScienceの論文データがねつ造されたものであることを認め、論文は取り下げると言いながらも、ヒト・クローン胚からのES細胞は確かにできたと言い張っていました。一方、同じニュースの中でファン教授の共同研究者は涙ながらに、今まで発表した研究成果のすべては否定されるべきものであるというようなことを言っていたと思います。
先月から、アメリカ人の共同研究者がデータのねつ造や、卵の入手過程において倫理的に許されない方法が取られていたと暴いたことなどが問題になっていましたが、世界的科学論文雑誌Scienceに載った論文の内容の真偽についてははっきりしていませんでした。
しかし、ここ1週間くらいのうちに、Science論文に使われている写真やDNAデータ自体に人為的操作が見られることがはっきりしてきたことで、少なくとも論文の真贋論争には決着がついたと言える状況になってきて、さすがのファン教授も論文を取り下げざるを得ない状況に追い込まれたというわけです。(この件に関しては、幻影随想さんのところへ行ってご覧ください。)
科学の世界では、論文データを偽造したことが明らかになった時点で科学者生命は絶たれなければなりません。どんなに他に正しい論文を出していようと、正しい研究データがあろうと、その時点で科学という世界から退場してもらわなければならないのです。
先ほどのNHKニュースを見るまでは、ニュースや論評(例えばJMM [Japan Mail Media]のメールマガジン『Younghee Ahn の韓国レポート』第171回 )を読んでいる限りは、ファン教授も全面敗北を認めてこの問題は終わるものと思っていたのですが、記者会見における教授の強硬姿勢を見る限り、少なくとも韓国内ではそう簡単にこの問題が決着しないのではないかと不安になりました。
困ったものです。
韓国には未だノーベル賞受賞者がおらず、ファン教授の研究結果がほんとうのことであったならばノーベル賞受賞は間違いないだろうと、国内外での評判が高かったことは事実でした。
ですから、先月アメリカの共同研究者が研究グループから離脱し、さらに論文の取り下げを要求した時には韓国民ばかりではなく、韓国政府もファン教授を擁護しようとしているように見えました。しかし、ここ数日の動きを見ていると韓国市民・政府にも動揺が起こっているようです。決着は時間の問題だと思います。
論文は投稿された時点で、複数の専門家による査読を受け、かなり厳しく審査されます。Scienceともあろうものが、どうしてねつ造論文を受け入れてしまったのか不思議に思われる方は多いと思いますが、私にはなんとなくわかるような気がするのです。
まず、第一にファン教授はマスコミへの露出度が高く、論文を出す前から自分たちはこういう研究をしているということを宣伝していました。国際学会などでも何度も研究の成功を発表しており、雰囲気として彼はそういうことに優れた技術を持っているのだという「神話」が出来上がっていたことがひとつあります。
それともうひとつは、ヒツジの成功を皮切りにたくさんの哺乳類(ウシ、マウス、ネコ、ブタなどなど)では、クローンの作成などは珍しい技術ではないくらいに普通に行われるようになっており、専門家の間では倫理的な問題をクリアできればクローン胚を作ったり、それからES細胞を作るなどということは比較的簡単だろうと思われていたことです。
そういう状況で当のファン教授のグループから論文が投稿されてきたら、審査が甘くなってしまうということはあり得たと思います。今になって再検討してみれば、写真やDNAの電気泳動像にきわめて不自然なところがたくさん発見されるのですが、スキャンダルが起こる前には、それほど厳しく見る雰囲気がなかったとも言えるでしょう。
耐震構造計算の偽造などと異なり、実験をやるたびに少しずつデータの変わる生物学の実験では、写真や電気泳動像だけを見てそのデータや解釈の真贋を断定することは難しいのも事実です。逆にいうと写真や電気泳動像などはそれほど一所懸命にチェックされないことも多く、有名な雑誌に出ている有名な論文などでも、同じ写真を左右ひっくり返して使い回されていたり、電気泳動の写真がトリミングされて「不要な」部分が削除されていたりというようなことは、たびたび見られることなのです。
それだけに、論文内容に関する最終責任は審査する雑誌側ではなく、論文を提出する側にあると見なされ、論文が印刷された後でもそれを取り下げるかどうかは提出した研究者の判断に任されているのが基本です。
そして、ファン教授は自分から論文を取り下げると発表したのですから、同時に科学の世界からも退場すべきなのです。これで、この話は終わりにしなければなりません。同じ研究をやる場合には、すべて一から出直しです。
クローン哺乳類の研究にしても私が学生の頃の1981年にクローンマウスができたという論文がホッペとイルメンゼーという研究者によって報告されましたが、再確認されることなく歴史から葬り去られております。今回の研究も科学史としては残るかもしれませんが、生物の教科書には載ることなく忘れ去られるように思います。
さきほどの7時のNHKニュースで報道された記者会見の中で、渦中の人であるファン・ウソク教授はScienceの論文データがねつ造されたものであることを認め、論文は取り下げると言いながらも、ヒト・クローン胚からのES細胞は確かにできたと言い張っていました。一方、同じニュースの中でファン教授の共同研究者は涙ながらに、今まで発表した研究成果のすべては否定されるべきものであるというようなことを言っていたと思います。
先月から、アメリカ人の共同研究者がデータのねつ造や、卵の入手過程において倫理的に許されない方法が取られていたと暴いたことなどが問題になっていましたが、世界的科学論文雑誌Scienceに載った論文の内容の真偽についてははっきりしていませんでした。
しかし、ここ1週間くらいのうちに、Science論文に使われている写真やDNAデータ自体に人為的操作が見られることがはっきりしてきたことで、少なくとも論文の真贋論争には決着がついたと言える状況になってきて、さすがのファン教授も論文を取り下げざるを得ない状況に追い込まれたというわけです。(この件に関しては、幻影随想さんのところへ行ってご覧ください。)
科学の世界では、論文データを偽造したことが明らかになった時点で科学者生命は絶たれなければなりません。どんなに他に正しい論文を出していようと、正しい研究データがあろうと、その時点で科学という世界から退場してもらわなければならないのです。
先ほどのNHKニュースを見るまでは、ニュースや論評(例えばJMM [Japan Mail Media]のメールマガジン『Younghee Ahn の韓国レポート』第171回 )を読んでいる限りは、ファン教授も全面敗北を認めてこの問題は終わるものと思っていたのですが、記者会見における教授の強硬姿勢を見る限り、少なくとも韓国内ではそう簡単にこの問題が決着しないのではないかと不安になりました。
困ったものです。
韓国には未だノーベル賞受賞者がおらず、ファン教授の研究結果がほんとうのことであったならばノーベル賞受賞は間違いないだろうと、国内外での評判が高かったことは事実でした。
ですから、先月アメリカの共同研究者が研究グループから離脱し、さらに論文の取り下げを要求した時には韓国民ばかりではなく、韓国政府もファン教授を擁護しようとしているように見えました。しかし、ここ数日の動きを見ていると韓国市民・政府にも動揺が起こっているようです。決着は時間の問題だと思います。
論文は投稿された時点で、複数の専門家による査読を受け、かなり厳しく審査されます。Scienceともあろうものが、どうしてねつ造論文を受け入れてしまったのか不思議に思われる方は多いと思いますが、私にはなんとなくわかるような気がするのです。
まず、第一にファン教授はマスコミへの露出度が高く、論文を出す前から自分たちはこういう研究をしているということを宣伝していました。国際学会などでも何度も研究の成功を発表しており、雰囲気として彼はそういうことに優れた技術を持っているのだという「神話」が出来上がっていたことがひとつあります。
それともうひとつは、ヒツジの成功を皮切りにたくさんの哺乳類(ウシ、マウス、ネコ、ブタなどなど)では、クローンの作成などは珍しい技術ではないくらいに普通に行われるようになっており、専門家の間では倫理的な問題をクリアできればクローン胚を作ったり、それからES細胞を作るなどということは比較的簡単だろうと思われていたことです。
そういう状況で当のファン教授のグループから論文が投稿されてきたら、審査が甘くなってしまうということはあり得たと思います。今になって再検討してみれば、写真やDNAの電気泳動像にきわめて不自然なところがたくさん発見されるのですが、スキャンダルが起こる前には、それほど厳しく見る雰囲気がなかったとも言えるでしょう。
耐震構造計算の偽造などと異なり、実験をやるたびに少しずつデータの変わる生物学の実験では、写真や電気泳動像だけを見てそのデータや解釈の真贋を断定することは難しいのも事実です。逆にいうと写真や電気泳動像などはそれほど一所懸命にチェックされないことも多く、有名な雑誌に出ている有名な論文などでも、同じ写真を左右ひっくり返して使い回されていたり、電気泳動の写真がトリミングされて「不要な」部分が削除されていたりというようなことは、たびたび見られることなのです。
それだけに、論文内容に関する最終責任は審査する雑誌側ではなく、論文を提出する側にあると見なされ、論文が印刷された後でもそれを取り下げるかどうかは提出した研究者の判断に任されているのが基本です。
そして、ファン教授は自分から論文を取り下げると発表したのですから、同時に科学の世界からも退場すべきなのです。これで、この話は終わりにしなければなりません。同じ研究をやる場合には、すべて一から出直しです。
クローン哺乳類の研究にしても私が学生の頃の1981年にクローンマウスができたという論文がホッペとイルメンゼーという研究者によって報告されましたが、再確認されることなく歴史から葬り去られております。今回の研究も科学史としては残るかもしれませんが、生物の教科書には載ることなく忘れ去られるように思います。
電気泳動像、あれは一種のアートです。
何度もやって、うまいパターンの出た写真だけをデータとして採用して論文に載せる。都合の悪いものは捨てる。
あるものを「ない」、あるいはないものを「ある」と書いたらウソツキになりますが、都合の悪いデータや現象に眼をつぶるのは、ぜんぜん問題がない。
とはいえ、単なる実験操作ミスまで記載していたら、論文になりません。データの取捨選択は研究の本質です。ニュートンは質量にだけ注目したから重力法則に到達できた。
すべての研究活動を記録した実験ノートの保存を義務付けて、求めがあったらいつでも提出させるというルールが必要になるでしょう。
何度もやって、うまいパターンの出た写真だけをデータとして採用して論文に載せる。都合の悪いものは捨てる。
あるものを「ない」、あるいはないものを「ある」と書いたらウソツキになりますが、都合の悪いデータや現象に眼をつぶるのは、ぜんぜん問題がない。
とはいえ、単なる実験操作ミスまで記載していたら、論文になりません。データの取捨選択は研究の本質です。ニュートンは質量にだけ注目したから重力法則に到達できた。
すべての研究活動を記録した実験ノートの保存を義務付けて、求めがあったらいつでも提出させるというルールが必要になるでしょう。
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私はこのコメントがとても良くわかるのですが、生物学を専門にしておられない人にはなかなか理解しがたいところだと思います。こういうところをきちんとわかるように説明するコミュニケーターも必要だと感じている今日この頃です。
以前にも書いたことがあるかもしれませんが、推理小説によく出てくるフレーズ、「事実も一部を切り取れば全く違う意味になる」がまさにぴったり。
科学の世界だけではい情報伝達の難しさですね。
科学の世界だけではい情報伝達の難しさですね。
マーフィーの法則に「うまくいった実験は繰り返すな」という一節があります。偶然、成功したかもしれないのに、同じことをもう一度やると、再現性がないことがばれてしまう。
ヒトES細胞みたいな大発見なら、追試が行われますから、再現性のないデータはばれてしまいますが、大学院生が行うような研究は誰も省みないので、再現性がなくてもそのまま放置されてしまいます。実際、先輩の研究を引き継いでもうまくいかなかった事例って多いです。
こういう科学倫理の問題は、そもそも科学史家や科学哲学者が研究すべきことなんですが、最近の大学合理化によって、直接的に研究成果を出すわけではない、それらの人たちのポストはどんどん削られていってます。
科学スキャンダルがおこるたびに、科学倫理の研究が叫ばれているんですが、予算はつかないですね。
ヒトES細胞みたいな大発見なら、追試が行われますから、再現性のないデータはばれてしまいますが、大学院生が行うような研究は誰も省みないので、再現性がなくてもそのまま放置されてしまいます。実際、先輩の研究を引き継いでもうまくいかなかった事例って多いです。
こういう科学倫理の問題は、そもそも科学史家や科学哲学者が研究すべきことなんですが、最近の大学合理化によって、直接的に研究成果を出すわけではない、それらの人たちのポストはどんどん削られていってます。
科学スキャンダルがおこるたびに、科学倫理の研究が叫ばれているんですが、予算はつかないですね。
by stochinai
| 2005-12-16 20:24
| 生物学
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