2005年 12月 18日
あきらめないフジコ・ヘミング
夕方のテレビでフジコ・ヘミングさんとそのお母さんがどんなに偉かったかというような番組をやっていました。
私は途中から見た上に、別のことをやりながら時折ちらちらと見ていただけなので、内容についてはあまり正確に把握していないことを最初にお断りした上で、感想などを書かせていただきます。
フジコさんは、最近では毎年のように日本でコンサートを開いていて、熱烈なファンもかなりの数がいるのだと思っていましたが、いわゆるポピュラー演奏家という人ではないようにも感じています。
私はクラシック音楽に関して、何かを言えるほどの知識も経験も持ち合わせていないのですが、番組の中で流れた彼女の「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聞いて、様々な演奏家の演奏によって慣らされてきた耳には、ちょっと不思議に聞こえる独特なその表現方法(メロディーラインをつなぐ時に方言のようなものを感じました)になんだか良くわからないまま「惹かれる」ものがあったのは、自分としても不思議な経験でした。
注意散漫ながらも見聞きした番組の中で語られていたのは、彼女とその母の信じられないほどの「あきらめない姿勢」でした。母はその子を信じて黙々と仕送りを続けた存在として描かれていたようですが、フジコさんのあの強さはどこからわき出てくるのか、ちょっと考えてしまいました。
もちろん音楽を表現する自分に対する限りない自信はすごいと思いましたが、それが何度も何度も現実によって打ち砕かれるにもかかわらず、その度ごとに想像を絶する短時間で次のアクションを起こして行くそのパワーの源泉がどこにあるのかについては、やはり謎がそのまま残ったような気がします。
ただ、彼女が打ちのめされる度に、ドイツ、ウィーン、フィンランド、日本(国名は記憶がはっきりしませんのでいい加減かもしれません)などをいとも易々と移動して歩いたといういうことに、その秘密の一端があったのかもしれないと思っています。
これもはっきりしませんが、番組の中で彼女の言葉として「私は世界に人が憎いと同じように、世界の人が好きだ」というようなことを言っていたと思いますが、この言葉は彼女が国境とういうものをあたかも町内会のような小さなものとしてしか見ていない、世界市民としてのスケールの大きさを感じさせるものです。「どんな国の人も同じなのよ」と言い切るすごさには参りました。
彼女のような、ある意味で癖のある表現をする音楽家が生きていこうとする時に、それを支持してくれる人の数は少ないのだと思います。同じように、多数派にはなれない考えの持ち主が生きていくためにはその母集団は町内ではとても無理でしょうし、都道府県や国というサイズでも無理な場合には、世界を相手にすることでようやく生きる場を見つけられることもあるのではないでしょうか。
「世界で認められる」ということは、逆に言うと「それほどポピュラーではない」という意味なのかも知れません。しかし、まず世界で受け入れられることによって日本国内でも受け入れられて生き易くなるのだとしたら、日本にこだわってがんばるより先に世界でやってみるという選択もあるのか、などとぼんやりと考えさせられた番組でした。
それにしても、たばこスパスパのフジコさんはとても迫力のあるすごいおばさんでした。本人には怒られると思いますが、そんな姿を見てちょっとファンになりました。
私は途中から見た上に、別のことをやりながら時折ちらちらと見ていただけなので、内容についてはあまり正確に把握していないことを最初にお断りした上で、感想などを書かせていただきます。
フジコさんは、最近では毎年のように日本でコンサートを開いていて、熱烈なファンもかなりの数がいるのだと思っていましたが、いわゆるポピュラー演奏家という人ではないようにも感じています。
私はクラシック音楽に関して、何かを言えるほどの知識も経験も持ち合わせていないのですが、番組の中で流れた彼女の「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聞いて、様々な演奏家の演奏によって慣らされてきた耳には、ちょっと不思議に聞こえる独特なその表現方法(メロディーラインをつなぐ時に方言のようなものを感じました)になんだか良くわからないまま「惹かれる」ものがあったのは、自分としても不思議な経験でした。
注意散漫ながらも見聞きした番組の中で語られていたのは、彼女とその母の信じられないほどの「あきらめない姿勢」でした。母はその子を信じて黙々と仕送りを続けた存在として描かれていたようですが、フジコさんのあの強さはどこからわき出てくるのか、ちょっと考えてしまいました。
もちろん音楽を表現する自分に対する限りない自信はすごいと思いましたが、それが何度も何度も現実によって打ち砕かれるにもかかわらず、その度ごとに想像を絶する短時間で次のアクションを起こして行くそのパワーの源泉がどこにあるのかについては、やはり謎がそのまま残ったような気がします。
ただ、彼女が打ちのめされる度に、ドイツ、ウィーン、フィンランド、日本(国名は記憶がはっきりしませんのでいい加減かもしれません)などをいとも易々と移動して歩いたといういうことに、その秘密の一端があったのかもしれないと思っています。
これもはっきりしませんが、番組の中で彼女の言葉として「私は世界に人が憎いと同じように、世界の人が好きだ」というようなことを言っていたと思いますが、この言葉は彼女が国境とういうものをあたかも町内会のような小さなものとしてしか見ていない、世界市民としてのスケールの大きさを感じさせるものです。「どんな国の人も同じなのよ」と言い切るすごさには参りました。
彼女のような、ある意味で癖のある表現をする音楽家が生きていこうとする時に、それを支持してくれる人の数は少ないのだと思います。同じように、多数派にはなれない考えの持ち主が生きていくためにはその母集団は町内ではとても無理でしょうし、都道府県や国というサイズでも無理な場合には、世界を相手にすることでようやく生きる場を見つけられることもあるのではないでしょうか。
「世界で認められる」ということは、逆に言うと「それほどポピュラーではない」という意味なのかも知れません。しかし、まず世界で受け入れられることによって日本国内でも受け入れられて生き易くなるのだとしたら、日本にこだわってがんばるより先に世界でやってみるという選択もあるのか、などとぼんやりと考えさせられた番組でした。
それにしても、たばこスパスパのフジコさんはとても迫力のあるすごいおばさんでした。本人には怒られると思いますが、そんな姿を見てちょっとファンになりました。
けちをつけるわけでもうしわけないですが、このフジコさん、とてもレベルが低いです、ピアニストとしては。とても聴けた演奏ではありません。あくまでも、話題性で日本だけで売れているピアニストです。先日もある野球解説者が彼女の敢えて原則を無視してチャレンジするという発言に感動したとあり、バッティング不振の選手も冒険すべきだと解説してましたが、笑ってしまいます。だって彼女は楽譜通り、原則通りただ単に弾けないだけです。その言い訳に言っているだけです。話題性や人気で評価されるんでしょうね。
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>楽譜通り、原則通りただ単に弾けないだけ
なるほど、それが私のような素人にはある種不思議な感覚を引き起こすということなのですね。納得できました。
しかし、プロの世界(お金をかせく)では、どんな理由にせよお金を払ってくれる人がいてくれればやっていけるわけで、そういう意味では彼女は「成功」をつかんだということだと思います。
普通に才能がある人よりも難しいことで「成功」したということは、やはり生き方とか性格が支持されたということなのでしょうかね。
とても参考になるコメントでした。ありがとうございました。
なるほど、それが私のような素人にはある種不思議な感覚を引き起こすということなのですね。納得できました。
しかし、プロの世界(お金をかせく)では、どんな理由にせよお金を払ってくれる人がいてくれればやっていけるわけで、そういう意味では彼女は「成功」をつかんだということだと思います。
普通に才能がある人よりも難しいことで「成功」したということは、やはり生き方とか性格が支持されたということなのでしょうかね。
とても参考になるコメントでした。ありがとうございました。
まあ、芸術は好みでしょうが、、、際どいですね 受ければいいのか?というものにつながる 最近は受けを狙った研究も多くて、、、あっ、これは内輪の話し 韓国の細胞も あれも受け狙いで、、、困ったもんです 真贋を見る眼ですか。
by stochinai
| 2005-12-18 23:39
| つぶやき
|
Comments(3)



