5号館を出て

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大学に欠けているもの

 明日は、御用納め(もう公務員じゃないから、こう呼ばないのかもしれませんが)だというのに、今日は午後いっぱい会議で缶詰でした。

 昨日はぶつぶつ書いてしまったのですが、今日のような会議に出てみると大学にはまだまだたくさんの優秀な人材がいることが再確認できます。

 要は、その人材を表に発掘し、能力を十分に発揮できる環境を整えるだけで、大学はかなり変わりそうな気がします。

 さすがに最近は、「良い研究者は、良い教育者である」などという何の根拠もないことを言う人こそ少なくなってきましたが、「良い研究者なら、教育くらい簡単にできる」はずだという、これまた根拠のない迷信ははびこっています。

 簡単な話なのですが、教育能力と研究能力には強い相関がないことだけは事実だと思います。そうすると、研究者でもある大学の教員には次の9種類の人がいることになります。

 教育能力 研究能力
   ○       ○
   ○       △
   ○       ×
   △       ○
   △       △
   △       ×
   ×       ○
   ×       △
   ×       ×

 本当は、この中で×が一個でもある人は大学からお引き取り願うのが良いのだと思いますが、教育能力が×でも、研究能力が○や△の人は教育機関ではない研究所などでは高い業績を挙げることができる可能性はあると思います。

 また、建前上は大学教員は研究能力が×ではいけないはずなのですが、たとえそれは×でも、教育能力が○や△の人は、高校や専門学校などでは高い能力を発揮する可能性はあると思います。

 また△の人に関しては、教育や研究能力を磨く訓練をすることで改善が図れるはずです。○にまではいかないとしても、大多数の教員が○と△の間くらいにまで行ければ状況は良くなるのではないでしょうか。

 研究の能力だけで人事を決定してきた、今までの大学のありようは改めなければ、この先生き残れないでしょうから、それはいずれ変わるものと信じています。

 となると、今大学に必要なものは、△を○にするための教員のための教育システムと、教員の側に求められる教育を受け止める気持ちということではないかと思います。すでにFDという形で部分的には実施されていると思いますが、大御所と言われる方々に対するFDはほとんど行われていないというのが実情ではないでしょうか。

 大まかに見ると、現在大学にいる人材はやはりそこそこのものだと思います。磨けば光るものをみすみすほったらかして、学生も教員も不幸になってしまうということは、以外とちょっとした気持ちの持ちようで解決できるのではないでしょうか。

 長い会議の間、いろいろな方のいろいろな話を聞いていて、そんな希望を感じていました。
Commented by MY at 2005-12-28 00:21 x
私も教育能力と研究能力には相関関係がないと思います。また、教育能力と教育経験(年数)に相関関係がないというのも事実だと思います。日本の大学に欠けているものとして、雇用時に教育能力や熱意を見ていないということがあると思います。教育経験がなくても高い教育能力があって熱意のある人もいると思います。教育をやりたい人、研究のみをやりたい人、世の中にはいろいろいると思います。ところが、教育は嫌いだというような人が大学にいたりしますし、一方で大学にポストを得たいのに研究所にいるという人もいます。日本の教員や研究者の採用システムが破綻しているために、研究だけをやりたい人が教育をしなくてはならなくなり、一方で教育に高い関心と熱意を示す人が研究だけにならざるを得なくなる。この辺の矛盾が解決できていないと思います。結局、研究者や教員の流動性が低いからでしょう。
  大学に研究だけをやりたいという人がいるから、研究業績のみを重視する意見が強くなるのでしょうね。また、真の創造的な研究者を育てるための教育は、研究業績の高い人でないとできないというのも真実であると思います。「何のための教育か」という、教育の定義によるのでしょうか。
Commented by stochinai at 2005-12-28 23:05
 MYさんのおっしゃることにすべて同意できますが、ではどうやって解決したらよいのかというと、大学に多様性を認めることと分業化もひとつの案だと思います。どれかだけに重点をおくという今のやり方ではなく、昔のような「研高教低」の差別もやめて、いろいろな大学やひとつの大学の中でもいろいろな役割の存在を認め支援していくことが必要ではないでしょうか。
 国立大学が特にひどいと思いますが、どこの大学も研究を重視した金太郎飴のような大学院大学を目指しているように見えます。国が多様な大学の存在を認める政策を取らないためにこういうことになってしまうのだと思いますが、同じ土俵で競争させるだけではなく、異なる土俵を作ることを積極的に支援するという高等教育政策は出てこないものでしょうか。
Commented by hal at 2005-12-29 14:16 x
大学の多様性(大学間でも学内でも)というのは、理念としても学生に対しても良いように思えますが、ポスドクも含めて研究者の数に比べてアカポスが不足している状況のなかでは、いったん教育系のポジションに職を得たら業績的に二度と研究志向の職場には戻れないということをほぼ意味します。このように、教員の流動化とは正反対に大学人の固定化を生むことについては、どのようにお考えでしょうか?
Commented by stochinai at 2005-12-29 16:24
>いったん教育系のポジションに職を得たら業績的に二度と研究志向の職場には戻れないということをほぼ意味します。
 一般的に言って、研究環境の悪い教育職から競争によって研究職を得ることが難しくなると言うことは正しいと思います。しかし、そのことと完全に道が断たれるということはちょっと違うのではないかとも思います。私も旧教養部出身で、研究費も理学部の半分、教育負担は5倍というようなところにいましたが、細々とですが研究はできていた気がします。
 また大学内で分業化を進めるとしたら、教育をやる人はやらない人から研究費や給料を頂くというシステムも必要になってくると思います。
 どうでしょうか。
Commented by hal at 2005-12-29 21:15 x
先生が研究できていたのは、北大生という能力のある学生(たとえ学部生でも)がいたことと、やはり時代が幾分スローだったこともあるのではないかという気がします(違っていたらすみません)。
地方で1年生から(2006年問題も含めて)卒研生までしっかり教えながら実質ひとりで研究をして中央の大手のラボに太刀打ちしながら、例えば特定領域研究の班員になることは極めて困難です。基盤Cで定年まで研究を維持できれば相当立派なことで、実際にはそれさえなかなか難しいでしょう。
教育が研究に負けず劣らず重要であるという議論なのですから、給料に格差をつけるのは不可能ですし、研究費も、科研費を横流し(?)するのがムリなのはもちろん、校費も既にどこも法人化前の10~30%程度に縮小されていると聞きますから、教育をメインにする教員に研究費をという話には現実性はないと考えます。
分業には基本的に賛成ですが、流動性を確保することをどこまで考えるのかよく考える必要があると思っています。社会全体が分極傾向にあるなかでは流されてしまいがちの議論ですが、いったん負け犬になっても逆転のチャンスのある人生も用意しなければ、研究者の層は厚くならないと思う次第です。
Commented by cell2005 at 2005-12-29 23:09 x
最近は公的な研究所でも、大学院の学生を受け入れないといけない状況があるようです。結局、教育能力がXな人の居場所はどこにもないように思います。もっと広い意味で、人とうまく人間関係が築けない人(学生とうまくやれない人)は、仮に研究能力が○でも、どこもいらないということになるのかなと思います。
Commented by stochinai at 2005-12-30 00:50
 halさんのおっしゃることは、ほとんどその通りだと思います。しかし、それだからこそ、
>教育をメインにする教員に研究費をという話には現実性はないと考えます。
 というところを打ち破っていくことが、とても大切なのではないかと最近は強く考えています。もちろん給料は難しいでしょうが、大学に身を置きながらふんだんな研究費を獲得して教育がおろそかになっている人からは教育怠慢のペナルティとして研究費から教育負担金をピンハネするシステムが絶対に必要だと思います。それがいやなら、大学ではなく研究所へ移ってもらうべきでしょう。
 流動性の確保に関しても、おっしゃるとおりだと思います。今の大学院生を見ていると、せっかく勝ち抜いてここまできたjはずなのに、研究者になる夢を持つことができないで失望する人が多いように思います。これに関しては、政府ともども私も大きな責任を感じています。
Commented by stochinai at 2005-12-30 00:56
 私もcell2005さんのおっしゃるように、これからは教育(や指導)のできない人は研究する場にも受け入れられなくなくりょうな気がしています。今いるそれができない人に関しては、現場から講義の声をどんどん挙げていくことが必要だと思っています。
Commented by hal at 2005-12-30 10:04 x
stochinai先生のお話はよく分かります。ありgとうございます。
最後に一点だけ。
大学に籍を置きながら高額の研究費でPDを雇って研究をしているのでは話になりませんが、そういうラボには通常大学院生が集まるでしょう。学内分業というとき、そういう教員は研究に加えて院生の教育(特に博士課程)を行い、教育中心の教員は1年生をはじめ学部の面倒をみるということになる形をとることが予想されます。確かにD論指導は十分大切な教育ですが、学部貼り付けや旧教養部のように全額共通貼り付けとは、方向がまるで異なります。
Commented by stochinai at 2005-12-30 14:44
 halさん、丁寧なご指摘ありがとうございます。halさんのおっしゃっている教育の分業というのは、昔あった「教養部」そのものですね。もちろん、その復活が良いとは思っていないのですが、いわゆる「優秀な研究者」の中にあまりにも教育ということに不適格な人がしばしば見受けられるので、これは学生にとって不幸だと思っています。そういうわけで、大学における教員にもいろいろあっても良いのかなとも思い始めています。教育に高い能力を発揮する人には、そちらを担当していただくとともに、その先生の研究室にも大学院生がはいって研究できるような環境を大学が保証するというシステムはかなりいい考えだと思っています。(続く)
Commented by stochinai at 2005-12-30 14:47
 (続き)大学院生を奴隷のようにこきつかわない研究室では、世界的な論文がバンバン出るというようなことにはならないことも予想されますので研究費が苦しいことが予想されます。一方、全学教育や学部教育に能力のある人に大学院生の研究を指導させると、そちらでも能力を発揮する可能性は高いのではないかと思います。そういうところで、指導を受けて力をつけた大学院卒業生はどこへでも飛び出していけるということにならないでしょうか。研究業績を作る研究室ではなく、研究者を育てる研究室というものを真剣に考えるべき時が来ているというのが私の言いたいことです。
Commented by popokunku at 2005-12-30 22:55 x
ときどきのぞかせていただいておりました.今日からブログをつくりましたので暇なときでもどうぞ.
競争の激しいアメリカにテニュア制度というものがあるのは業績を作った研究者は身分を保証し後進の育成に力を入れてもらうためだと聞いたことがあります.アメリカでさえそういう配慮があるんですが近頃日本では医学部などを中心に全教員任期制を導入し初めているようですし文科省も奨励しているフシがあるようです.今の調子では育てる研究室なんて夢のまた夢って感じがします.
Commented by MY at 2005-12-31 06:12 x
日本の大学の教員(助手)人事を見ていて思うのは、大学院での研究業績が大きく評価されるということですね。これは米国では必ずしも当てはまりません。私は、大学院の研究業績の過剰評価というのが、今の日本の大学院教育を歪めている原因だと思います。米国だと、大学院の時の見かけの研究業績より、教育されたという結果、つまりその研究にどれだけ貢献したか、専門誌にきっちりとした論文を書いてきたか、こういうのを評価する傾向があると思います。つまり本当にポストを得る時、大切なのは、ポスドクの時の研究なのです。日本の大学も米国を真似してポスドクを増やしてきたわけですが、こういう意味でまだ大学院教育のあり方との整合性がうまくいっていないように思います。例えば、大学院でいい業績を出したからといって、コネで助手に採用する人事を頻繁に行っていることが、日本全体の大学院教育を歪める原因になっていないかということです。こういうのは、個々の大学や教員の意識では直らない問題で、文科省あたりがコントロールしないといけないことだと思います。
by stochinai | 2005-12-27 22:41 | 教育 | Comments(13)

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