5号館を出て

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圧力の証明は難しい

 NHK問題は、NHKという組織の上部では番組を作るにあたって外部からの圧力を受けることはないという態度を貫くことに決めているようですし、阿倍さん中川さん側も圧力をかけたことはないという姿勢で一貫していますので、確実な「証拠」がでてこない限り、最後はうやむやになってしまいそうな気がします。

 命令や指示と似てはいますが、圧力というものは存在を証明するのが難しいものだと思いますので、言い争いになった時には結論に至ることは無理ではないかと思います。なぜならば、圧力というものはかけるほうではあまり大きな意識がなく、受ける方ではとても大きなものとして感じる状況で成立するものだからです。さらに圧力を受けている方が、これでこの関係を終わりにしようと思っていない限り圧力に屈し続けているのですから、決して圧力を認めないという表現型になるのだと思います。

 NHKの上層部では、その予算などを握っている政府や官庁に対して、自分たちが非常に弱い立場にあると思い込んでおり、その状況では政府や官庁からの命令や指示がなくても、「自主的に」彼らの喜ぶことをしようとすることが習い性となっているという現状があるのでしょう。NHK内部では、上部から社員への理不尽な命令があると思いますが、社員にとっては意にそぐわないことを強制される原因が政府や官庁からの圧力であることを感じても、彼らに命令をしているのは彼らの上司であり、政府や官庁が彼らに直接圧力をかけていないわけですから、ここでも圧力を証明することは難しいことになります。

 これは、文科省と国立大学法人H大学についてもそのまま当てはまる構造です。

 文科省では法律に決まっている定型的な業務を除き、H大学に対して命令や指示を出すことはほとんどないそうです。それにもかかわらず、H大学では頻繁に文科省と話し合いを行います。その中で、文科省はH大学がやろうとしていることに対して、それは良いとか悪いとかは、あまり言わないそうです。ましてや、このようにしなさいというようなことは絶対にないといいます。

 それにもかかわらず、H大学の関係者は文科省との間で交わされた話し合いの中に出てきたささいな言葉を頼りに、文科省の希望していることを推測して、次回の話し合いあるいは文科省に対する申請にでき得る限り文科省の意向を取り入れるように努力しているように見えます。

 このような状況では、文科省は自分の考えていることを「それとなく相手にわからせる」だけで、自分の意向を相手に実行させることができます。圧力をかけている自覚はあまりないと思いますし、ましてやその証拠を見つけることは極めて困難です。

 私から見ると、文科省に気に入ってもらえるようなプランを出してより多くの予算をもらおうとしている(あるいは予算の削減をできるだけ小さくしてもらおうとしている)H大学は、あきらかに圧力をかけられて強制させられているように思えます。もちろん、文科省からの予算削減などを恐ろしいと思わなければ圧力にはならないのですが、今の大学首脳部を見ていると一番の関心事がそれですので、非常に効果的に圧力をかけることができているように見えます。

 さらに、大学当局では口が裂けても文科省からの圧力で仕方がなくやっていますなどという意見を公表することはありませんので、幸福な共犯関係が成り立っています。

 これは、セクハラやアカハラが問題化する前夜の状況にとてもよく似ているように思えます。

 セクハラやアカハラが、(少なくとも建前上は)いけないこととして罰せられるようになる前には、それを受け入れることによってメリットを得ていた人たちがいたのだと思います。自分のプライドを捨てても、利益になるのであれば理不尽なことでも受け入れる。その時代は、そうした「圧力」を証明することがとても難しく、セクハラやアカハラを訴えてもなかなか受け入れられてもらえなかったのです。

 それが今、勝てるようになってきたのはどうしてでしょう。セクハラ・アカハラが犯罪だと認識すること、地道に証拠を集めること、臆せずに声を上げ続けること、協力してくれる仲間を見つけること、などが少しずつ成果をあげ始めてきたのだと思います。

 今回のケースもも間違いなく権力を傘に着たハラスメント事件ですので、ポリティカル・ハラスメント(ポリハラ)とでも名前を付けて、指摘し続けることでだんだんと状況を変えていける可能性はありそうな気はします。まずは、国民が健全な正義感を身につけることからですね。
by stochinai | 2005-01-17 01:58 | つぶやき | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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