5号館を出て

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書評 『チェット・ベイカー その生涯と音楽』

 今年始めて、JANJAN今週の本棚」に投稿した書評です。

 実を言うと私は学生時代はジャズ青年だったのでありまして、当時は会話することも出来ないほど大音量でレコードを鳴らす、いわゆる「ジャズ喫茶」というところに通い詰めたものです。

 そのころ好んで聞いていたのは、モダンジャズからフリージャズへというハードなものが多く、ボーカルとかウェストコーストジャズとかいう「軟弱」なものに対しては、きわめて否定的な姿勢でいたことを、(今となっては恥ずかしい気持ちとともに)思い出します。若かったです(^^;)。

 この度JANJANで、その頃の私がほとんどまったく聞いていなかったチェット・ベイカーの生涯を記録した本が書評プレゼントで当たりました。

 書評そのものは、「天才児の破滅的で長すぎた生涯」という題でこちらにあります。

 自己批判文みたいなものになったような気もします。
Commented by Hiroko_Y at 2006-01-13 16:21
多いですね。特に音楽家では。
この本については知りませんでしたが、チャーリー・パーカーを描いた「バード」は見ました。今もう1回見たらやってられないと思いますが。
金沢にはまだあるんですよ。「もっきりや」ってジャズ喫茶が。
Commented by alchemist at 2006-01-13 17:17
ジャズ喫茶・・・大学の近くにヤマト屋ってのがあったのを覚えています。それと「20歳の原点」の舞台になったシャンクレール。一関には蔵を改造したベーシーってのがあったかな・・・。仙台には姉妹店のカウント。
ちょっと話をすると客から冷たい目で見られるような雰囲気でした。
Commented by stochinai at 2006-01-13 21:29
 Hiroko_Yさん、なんでも輸入してしまう日本では、戦後たくさん生まれたジャズミュージシャンのうちのかなりの人が麻薬を常用するという事態になりました。ジャズという音楽だけではなく、それをするためには麻薬が必要だと思ったのでしょうか。アメリカ文化を盲目的に輸入するという傾向は未だに残っているようですが、どうしてなんでしょうね。
 「もっきりや」今度言ってみたいと思います。
Commented by stochinai at 2006-01-13 21:42
 alchemistさん、いつもどうも。
 ヤマト屋は初耳ですが、シャンクレールは知っています。大学院に入って最初のうちは学会旅行のついでに、いろんなジャズ喫茶を探したこともありますが、だんだんとアルコールの方にに惹かれるようになるとともに遠ざかってきたような気がします。
 仙台一番町のカウントには行った記憶がありますが、ほとんどお客さんはいませんでした。Duetというジャズ・バーにも行ったことがあると思います。
 当時、スウィングジャーナルという雑誌で情報を仕入れていましたが、とても有名な店でもいざ行ってみると、えっと思うくらい小さなところが多かったですね。
 札幌だと、古いところでは狸小路周辺にあったジャマイカ、ビーフラット、後期にはアクトに通っていました。パラゴンという不思議な形のスピーカーのあるボッサにもたまに行きました。
 どこの店も素敵なマッチがあって、行くたびにもらっていたことも懐かしい思い出です。
Commented by マルセル at 2006-01-13 22:51
ボクは音楽家なら音、画家なら絵から直接入るようにしています、彼らが実際にどういう生き方をしたのかはその後に知ればいいことではないか、それが彼らに対する礼儀ではないかななんて、不遜ですが思っています、ロートレックがどういう生き方をしたのか、ゴヤは...今までチェットがどういう生き方をしたのかあまり知りませんでしたが、今回の記事を読んでジャコと相通ずる面があったのかなと思った次第です、マイルスも伝記などを読むと近いところがあったようですね、マイルスは彼が最後によみうりランドのライヴアンダーザスカイに出たときに会場にいました、夜の8時半を過ぎて彼の最後の音が暗闇の夜空に消えていったのを今でも覚えています、最後に何を演奏したのかは既に忘れていますが...
Commented by stochinai at 2006-01-13 23:20
 マルセルさん。私の駄文で、マルセルさんが若き日に聞いたマイルスの音が甦ったという一文で身の引き締まる思いがしました。
 マイルスと言えば、電子楽器を使い始めた頃に賛否両論がありましたが、今聞いてみるときわめてオーソドックスなマイルスの音だったことがわかります。ファン達がいかに勝手なことを言っていたのかということですね。ロックのリズムや電子楽器を使うかどうかなどという些末なことではなく、すなおに音を聞いていればしないですんだ「論争」でしたね。そんなこんなはありましたが、なかなか良き時代だったと思います。
Commented by マルセル at 2006-01-13 23:37
恐縮です、若き頃と書かれてマイルスが死んで何年経つんだとフト思ってしまいました、もう10年は経つのかもしれません、彼はこの1年後に目黒のブルースアレイのプレミアに出て、伊豆で最後のコンサートを開いた記憶があり、その後直ぐに亡くなったような...
ボクが一番好きなのがおっしゃる『Bitches Brew』です、でもこの音をリアルタイムで聴いていないのです、といっても若いからというわけではありません、当時は別の音を聴いていました、今も好きですけど何故かミシェル・ポルナレフとかのフレンチポップス、ストーンズも1990年の初来日以来というアフォぶりですw
PS:マイルス1991年没ですた、う~15年も前でつ
Commented by マルセル at 2006-01-13 23:59
stochinai様
コメントを隠れ家の方に転記させていただきました、不都合でしたら削除させていただきます
Commented by ぢゅにあ at 2006-01-14 00:17
ジャズを聞き始めたのは中学に入った頃で、レコードも買えなければもちろんジャズ喫茶に通えるわけもなく、ひたすらFMのジャズ番組をダビングしてました。深夜放送だったのでおこずかいを貯めてタイマー(当時は別売りしてました。年がばれますねえ。)を買い、FM雑誌を定期購読。
親が鈴木章治のファンだったもので今思えば「鈴懸けの途」(渋い!)が私のジャズへの入り口だったような。その後モダンジャズに傾倒し、中学の自己紹介では「ビル エヴァンスが好きです。」と言ったのを覚えてます。誰も知りませんでしたが。ボーカルもいいなと思ったのはサラ ヴォーンを聞いてから。今はとんとジャズを聞いてませんが、この書き込みでまた聞きたくなりました。
ボッサまだ健在ですか?
Commented by stochinai at 2006-01-14 13:51
 マルセルさん。問題ありません。ご自由にお使いください。こうやって展開していくことこそ、ネットの醍醐味です。
Commented by stochinai at 2006-01-14 14:09
 中学生に入ってすぐにジャズを聴き始めるなどというのは、ぢゅにあさんは私が想像していたよりも遙かに早熟だったのですね。恐れ入りました。
 鈴木章治とリズムエースの「鈴掛の径」はイントロが命でしたね。今でも思わず口ずさめちゃいます。
 私は上にも書いたような禁欲的なモダンジャズマニアでしたので、はじめは白人差別で毛嫌いしていたのですが、ビルエヴァンスを聞いて改宗したのを憶えています。そう書いていて思い出しました。ビルエヴァンスのピアノとジムホールのギターデュエットのアンダーカレントは今聞いても鳥肌が立ちます。レコードを引っ張り出して聴きたくなりました。
 bossaまだがんばってるみたいですね。
http://www14.plala.or.jp/shizukokaeru/jazz.html
Commented by ぢゅにあ at 2006-01-15 03:33
うわ〜、めちゃくちゃ漢字間違えてますね、お恥ずかしい。
「すずかけのみち」
レコードってLP版ですか?
以前、CDで聞くジャズはノイズがなくてどこかもの足りない、と言ってた人がおりました。
Commented by stochinai at 2006-01-21 13:41
 もちろん、私の持っているジャズのレコードはほとんどがLPです。昔は、引退したら「ジャズ喫茶」でも開きたいと思っていたこともあるのですが、「サイエンス・ジャズ・カフェ」がいいかもしれませんね。
by stochinai | 2006-01-13 13:42 | つぶやき | Comments(13)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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