5号館を出て

shinka3.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

ラテラル・コミュニケーション

 今日は朝9時から午後4時半まで、修士論文の発表会でした。泣いても笑っても、大学院修士課程の2年間が今日の15分の発表の凝縮されて評価されてしまいます。ある人にとっては、晴れの舞台だったかもしれませんし、またある人にとっては針のむしろの15分だったかもしれません。

 いずれにせよ、青春の2年間の総決算です。お疲れさまでした。明日からは、別の自分になってまた新しいページを開いてください。

 さて、その発表会の合間を縫って、数学科のN木さんが訪ねてこられました。もちろんアポなしというような失礼なものではなく、数日前から時間を予約されての訪問です。

 N木さんとは、理学部のネットワーク委員会や、付属図書館の学術発信小委員会などでご一緒することが多く、ネットワークやデータベースに桁違いに造詣が深い方という印象を持っていたのですが、シドニーで開かれたオープンリポジトリ2006という国際会議に行ってこられて、月曜日の小委員会で報告されるほどの「専門家」だったとのことで、いろいろと興味深いお話を聞くことができました。

 その話の中で驚いたのは、我々がようやく始めようとしているHUSCAPという機関リポジトリがあるのですが、国際的に見ると機関リポジトリというものは、今や「学術論文、学会発表資料、教育資料等を保存・公開する」などというレベルをはるかに越えて、研究で得られた生データや各種データベースのデータなどもすべてぶち込まれた壮大な「海のような空間」を世界レベルで構築し、それを世界のどこからでも統一的に検索・データ処理できる全地球システムの構築を目指しているというお話でした。

 実現はそんなに簡単ではないのかもしれませんが、もしもできたらGoogleのアカデミック版というようなもの(実はそれ以上)ができそうなことを予感させるお話でした。ただし、実際に動き出しているところはまだ少なく、現時点ではビジョンを提示しているに止まっているようです。

 でも、できたらすごいと思いました。

 N木さんとの話の中で、科学技術コミュニケーションに関して、異分野の科学者同士のコミュニケーションが欠けている現状の話がちょっと出てきました。CoSTEPなど科学技術コミュニケーションを標榜するグループは、今まで主に科学者と市民の間のコミュニケーションについて心を砕いて来ましたが、最近になって「実は異分野の科学者同士のコミュニケーション不足はもっと深刻なのではないか」という声があちこちで聞かれるようになってきています。

 科学者と市民のコミュニケーションが縦の(ロンギチューディナル)なコミュニケーションだとしてら、科学者同士の横のコミュニケーションはラテラル・コミュニケーションとでも言ったら良いのかも知れません。

 N木さんも、数学者は他の分野の研究者の役に立てるようなツールをたくさん持っているにもかかわらず、なかなかそれを必要としている研究者と出会うチャンスがない、というようなことをおっしゃっていました。

 ラテラル・コミュニケーションは、今年の科学コミュニケーションのキーワードのひとつになりそうな気がします。今年はCoSTEPも2年度目に入りますので、少し意識して異分野科学者間のサイエンスコミュニケーションについても考えていきたいと思います。

 さて、今日はもう何回目かわからなくなりましたが、サイエンスカフェ札幌@紀伊国屋の日でした。私は、今日は修士論文発表会でしたし、月曜日は卒業研究ポスター発表会もあるので今日のカフェは最後の30分くらい覗いただけということになってしまいましたが、会場は非常にたくさんの人であふれかえっていました。雪祭りも開かれていますし、大雪に見舞われた今年の札幌で「雪の有効利用」というテーマですから人を引きつけるのも当たり前だと思いますが、70人しか椅子に座れないという会場に、一時は150人ほどが押し寄せてごったがえしていたそうです。

 カフェの運営も回を重ねる毎に巧みになってきていて、会場との呼吸もぴったりという様子は見ていても気持ちの良いものですが、やる度に「今度は一味違うカフェをやりたい」という主催者側の気持ちも高まってきているようです。

 次回は「ニュースなDNA」ということで、今までのようなオーソリティではなく、市民から見てもほんの若造という若手研究者が話題提供をする予定です。どっちがどっちに教えているのかわからないほどミックスした混沌カフェになる可能性もありますが、市民の側から見て高さの違わないところに科学が降りてくるという意味ではおもしろい試みになるのではないかと期待しています。
Commented by ハニーm at 2006-02-12 00:43 x
ただ今の『講演会などで…』で始まる「失業した助手?」へのコメントは、
こちらの方と場所を間違えたものです。
差し支えなければ移動頂けませんか。
Commented by stochinai at 2006-02-12 02:40
ハニーmさんのコメントです。
------------
講演会などで質問に対して時々使われる言葉「専門外」は、「異分野」と
別ですが、「専門を超えて」ということなら近いかと思いました。
「異分野」の方が「相手」を意識した能動的な感じが致します。
トラックバックの「蛸壺化」という表現に刺激され、「蛸壺の歴史」を検索
http://homepage2.nifty.com/takonomimi/rekishi.htmしました。
>時代は移り変わり蛸壺も形がすこしづつ変わってきているが、
世の移り変わりほど 変わってはきていない。(←引用)
 私は、円錐か角錐型の頂上が細分化された専門の極みで、基部が
科学全般と思い描いておりましたので、上記を読み、科学者の世界を
想像し直しました。分野の表記は組織図、階層図、系統図が多いので、
HUSCAPを探検。もし各分野を六角形の中に配置することが可能なら、
各々1対7で隣接する蜂の巣が出来、面白いコミュニケーション図が
出来るのでは…情報の高波にたじろぎ、突飛なことが浮かびました。
Commented by * at 2006-02-14 23:26 x
>科学者と市民のコミュニケーションが縦の(ロンギチューディナル)なコミュニケーションだとしたら

科学者と市民の関係を縦の関係と捉えているが、それは科学者の傲慢ではありませんか?
Commented by stochinai at 2006-02-15 09:46
 はははは、そういう意見は出るかもしれないと思っていました。誤解です。
 「縦」を主従という意味に考えたらそうかもしれませんが、一枚の布を構成する縦糸と横糸がどちらが偉いかという疑問が成立しないように、この場合の縦横はそのような価値観を含ませていないつもりでした。
 ただし、縦といった場合特定の科学的知識や経験の量の多寡という意味での量的差を意識して「縦」という比喩は使われています。
 
 どうでしょうか?
by stochinai | 2006-02-10 23:46 | CoSTEP | Comments(4)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai