2006年 02月 13日
生き物らしさ
知の冒険 @ Windfallさんが、Google Videoで見つけてくれたPlant technoはなかなか楽しい映像です。
Google videoは日に日に拡張を続けてますので、時折キーワードを入れて遊んでみるとおもしろい発見があるかもしれません。
さて、このPlant technoは、明らかにCGで作られた架空の映像なのですが、そこに「生き物らしさ」が感じられます。
我々があきらかに生物ではないものを見て、そこに生き物らしさを感じるということの中には、我々が生物をどのように「定義」しているのかということに関する感情的側面の情報があると思います。生物とは何かということに対する感情的反応などはさしたる意味がないというご意見もあろうかと思いますが、私にはとても大事なことのように思えます。
ある絵を見て、そこに生命を感じたり、小説を読んでそこに確かに生きている人の存在を感じたりすることは、実際にそこに生物がいるかいないかという学問的生物学の立場から見ると馬鹿げたことには違いありませんが、生物というものを認知するのが我々の脳であるということを考えると、妄想と切り捨てるわけにはいかないもののような気がします。
なんだか養老孟司ふうの話になってきますが、生物であるかどうかを定義しているのが我々の学問であり、学問というものが脳による思考の産物である限りは、同じ脳の活動である感情が愚かものであり、論理が優れたものであると言い切ってしまうことにもためらいを憶えます。
考えてみれば、こうした感情で反応するのが非専門家である「市民」であり、学問体系から演繹される論理で解説するのが専門家である「科学者」であるとするならば、市民と科学者のディスコミュニケーションの源となるのは、この感情をどう扱うかというところかもしれないと思うこともあります。
実際に撮影された未知の生物のビデオを見て「こんな生き物は見たことがないから、CGに違いない」と断言する専門家と、良くできたCGを見て「こんな不思議な生物がいるんですね」と素直に感動する非専門家がいた場合、私には後者の素直な気持ちこそが科学の発展にとって貢献するに違いない姿勢だと思います。
ひょっとすると専門家というものの存在が科学の発展をを阻害することもあるのではないか。不思議な映像を見て、ふとそんな気持ちになりました。
Google videoは日に日に拡張を続けてますので、時折キーワードを入れて遊んでみるとおもしろい発見があるかもしれません。
さて、このPlant technoは、明らかにCGで作られた架空の映像なのですが、そこに「生き物らしさ」が感じられます。
我々があきらかに生物ではないものを見て、そこに生き物らしさを感じるということの中には、我々が生物をどのように「定義」しているのかということに関する感情的側面の情報があると思います。生物とは何かということに対する感情的反応などはさしたる意味がないというご意見もあろうかと思いますが、私にはとても大事なことのように思えます。
ある絵を見て、そこに生命を感じたり、小説を読んでそこに確かに生きている人の存在を感じたりすることは、実際にそこに生物がいるかいないかという学問的生物学の立場から見ると馬鹿げたことには違いありませんが、生物というものを認知するのが我々の脳であるということを考えると、妄想と切り捨てるわけにはいかないもののような気がします。
なんだか養老孟司ふうの話になってきますが、生物であるかどうかを定義しているのが我々の学問であり、学問というものが脳による思考の産物である限りは、同じ脳の活動である感情が愚かものであり、論理が優れたものであると言い切ってしまうことにもためらいを憶えます。
考えてみれば、こうした感情で反応するのが非専門家である「市民」であり、学問体系から演繹される論理で解説するのが専門家である「科学者」であるとするならば、市民と科学者のディスコミュニケーションの源となるのは、この感情をどう扱うかというところかもしれないと思うこともあります。
実際に撮影された未知の生物のビデオを見て「こんな生き物は見たことがないから、CGに違いない」と断言する専門家と、良くできたCGを見て「こんな不思議な生物がいるんですね」と素直に感動する非専門家がいた場合、私には後者の素直な気持ちこそが科学の発展にとって貢献するに違いない姿勢だと思います。
ひょっとすると専門家というものの存在が科学の発展をを阻害することもあるのではないか。不思議な映像を見て、ふとそんな気持ちになりました。
この欄でははじめまして。この前は、僕のブログへのコメントありがとうございました。この文章を読んで、この前、西村肇先生が「科学」に書かれていた「独創は二人の仕事」という言葉を思い出しました。
http://jimnishimura.jp/soc_per/chem_today/0511/unique_study.html
ちなみに僕は、感情というは論理的にも全然無駄ではないと思います。もちろん何でもかんでも感情的だと、うまくやっていけませんし、感情を振り回す社会は結局、権力者層のエゴになりがちです。でも、「どれを選んだらどうなるか判らないとき」個人個人が独創的に感情的になるのは非常に有効だと思っています。「仮定を定めたとき、どこまでが決まるか」というラインを厳密に見極めて、ビデオを見ながら「ほほぅ」とほくそ笑む余裕と、ラインを説明する能力が専門家に求められるのかなぁと思います。
http://jimnishimura.jp/soc_per/chem_today/0511/unique_study.html
ちなみに僕は、感情というは論理的にも全然無駄ではないと思います。もちろん何でもかんでも感情的だと、うまくやっていけませんし、感情を振り回す社会は結局、権力者層のエゴになりがちです。でも、「どれを選んだらどうなるか判らないとき」個人個人が独創的に感情的になるのは非常に有効だと思っています。「仮定を定めたとき、どこまでが決まるか」というラインを厳密に見極めて、ビデオを見ながら「ほほぅ」とほくそ笑む余裕と、ラインを説明する能力が専門家に求められるのかなぁと思います。
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at 2006-02-14 09:34
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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ぢゅにあ
at 2006-02-14 13:17
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人間は視考動物なのだと聞いたことがあります。目が見えるのであれば視覚によるイメージがすべての思考において優先するとのこと。
学生時代、「鼻行類」に騙されたのは私です。
学生時代、「鼻行類」に騙されたのは私です。
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stochinai at 2006-02-14 17:02
ちょっと前までは、何年かに一度は生物系の学生に「鼻行類」について質問されたものでした。最近はなくなった気がします。なかなかリアル(?)なフィギュアがありますので、CGで動かしたらまたブームが起こるかも知れません。
http://ww5.tiki.ne.jp/~gakurou/tsukuru/hanaaruki.html
http://ww5.tiki.ne.jp/~gakurou/tsukuru/hanaaruki.html
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stochinai at 2006-02-14 17:29
okさん、非常に興味深く有益な論文のご紹介をありがとうございました。「独創は二人の仕事」という言葉は初めて聞きますが、深くて味のある言葉だと思いました。
by stochinai
| 2006-02-13 22:55
| 生物学
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Comments(6)