5号館を出て

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オリンピック不振の原因

 今のところ、オリンピックではメダルゼロ状態が続いているので、テレビ報道が過熱せずにいてくれるのは個人的には好ましいと思っています。

 もちろん、現地でがんばっている選手の皆さんの中には、ほとんどメダルに手が届いている人もおり、そういう方々がメダルを取れないことに関しては不運としか言いようもなく、無念さを共有する感情は持っております。

 しかし結果は結果ですし、彼らは間違いなく今の日本の最高レベルの実力者だと思いますので、日本という国におけるスポーツ全体のレベルが低下しているのではないかというのは率直な感想です。つまりメダルが取れないのは彼らの責任ではなく、日本の現実だと思います。

 素人判断で申し訳ない気もするのですが、その原因のひとつとして日本の経済不況に行き当たりました。

 種目にもよりますが多くのスポーツでは、その年齢のピークは10代後半から20代前半というものが多いです。いくら早期教育が良いと言っても、スポーツと呼べるレベルのことができるようになるのは小学校入学のあたりからでしょうから、世界を相手に戦える選手を育てるために必要な時間は10年から20年ということになります。

 今、オリンピックで活躍している選手が育てられたのが、過去10年から20年とするとそこには日本のバブル崩壊から長く続く大不況時代がすっぽりと入ってきます。

 その頃の日本では、大企業が運営していたたくさんのスポーツクラブが次々と閉鎖に追い込まれていた記憶があります。もちろん不況の時代にリストラされた家庭では、子どもをスポーツ教室へ通わせる余裕などありません。また、不況とは直接関係ないかもしれませんし体育系だけではないということですが、中学校・高校においてクラブ活動がほぼ壊滅状態になってしまったという状況もあります。

 スポーツに限らず、科学や芸術なども高いピークに届くレベルの才能を育てる為の近道は裾野を広げることだと思います。裾野を広げるためには、多くの子ども達に夢を与えるスターも必要なのですが、それとともに子ども達の夢を叶えるサポートをする環境(家庭、学校、地域、スポンサー)がなければなりません。

 結果を見てみないと私には判断できないのですが、こうした状況の例外として現時点で女子フィギュアの選手がたくさん育っているのは、おそらく過去における伊藤みどりというスターの存在を見ていた子ども達の夢を叶えるための環境があったからだろうと推測されます。名古屋地方に選手が偏っているように思える原因に、夏でも使えるアイス・アリーナが存続していたことがあるという話をきいたこともあります。

 もしも日本が将来においてオリンピックでメダルをとりたいということならば、最低でも10年できれば20年くらいの長期計画で、子ども達を育てる環境を作るのが王道ではないでしょうか。

 メダル**個という目標も下品な感じがするのですが、文科省が言っている政策のひとつにノーベル賞30個作戦というのがあります。科学者もスポーツ選手と同じように育てるのに長い時間がかかりますし、裾野が広くなければ優秀な科学者はなかなか出現するものではありませんので、ノーベル賞をたくさん取りたいと言うことならば、最低でも10年できれば20年くらいの長期計画で、子ども達を育てる環境を作るのが王道ではないでしょうか。

 あれ、同じ文章が繰り返されてますか?
Commented by kitanomizube at 2006-02-20 03:12
ご無沙汰しております(^_^;)
女子フィギュアは、まさにその長期計画で育てられた人々のようですよ。だから選手層が厚い。同時代に3人も4人も集まっていますよね。それから、科学に限らず、「学力低下」を憂うなら、この国に優秀な人材が数多く育つように裾野を広げる努力・・つまり教育にこそお金をかけるべきですよね。二極分化で一握りのエリートだけにお金をかける政策では裾野は広がらないですよね・・・違うのかなあ・・・
Commented by stochinai at 2006-02-20 16:52
 まったく同感です。日本の科学も重点化で、お金がほとんどない研究室がたくさんと、ものすごいお金をもった研究室に分化しています。この状態で10年経つと、新しい科学分野がほとんど育たないだろうことはもはや確信を持って断言できます。
Commented by habichan at 2006-02-20 20:08 x
コメントありがとうございました。

もちろん、5号館のつぶやきさんが選手を責めているのではないことは理解しています。
メダルはとれなくても、世界で4番目に早かった選手がいるのです。

科学分野の研究費も大切だと思うのですが、実業に直結しない研究室(考古学とか文学とか・・・)が、独立行政法人になり、研究費が足りなくなったり、就職に結びつきにくいからと学生があつまらなくなるのも心配です。

奨学金も高校生の受給が増えて、大学院どころか、大学生の分も減ってるとか?
コイズミ首相の「米百票」って、その場だけ。(ひょうっとすると、もう忘れてる人の方が多いかも?)教育予算はお寒い限りですね。
Commented by inoue0 at 2006-02-20 21:03
「選択と集中」ってのは企業経営のキーワードなんですが、企業経営は意志決定を行った経営者が結果に関してはちゃんと責任を取ります。日産のゴーンのように成功すれば高額報酬で長く勤められるし、失敗すれば石もて追われるばかりか、ひどい過失があったら株主代表訴訟で身ぐるみはがれる可能性すらあります。
 教育政策は誰が決定して、誰が責任を取るのでしょうか?たぶん、だれも責任を取らないでしょうね。決定した責任者すらよくわからないんですから。半世紀前の戦争指導と同じです。
Commented by stochinai at 2006-02-20 22:13
 結局、論文ねつ造と同じ構造なのですね。誰も責任をとらなくてもすむような「構造」は改革しないでおくのであれば、どんなに声をからして改革・改革と叫んでも何も変わるはずはないですよね。壮大なゼロというわけです。
Commented by blue at 2006-02-20 23:03 x
トラックバックどうもです。育てる上では選手も研究者も同じプロセスだと思います。日本には立派な資質の子供たちが居ますが、伯楽は居ないのですね。精神主義で、今は気合いと言いますが、ちっともかわりませんね。ノーベル賞も10年20年30年先をみて研究教育体制を考えないと無理でしょうね。留学した経験からすると、我彼の差は絶望的ですし、ますますここ数年ひらきつつあるとは私の杞憂かな。
Commented by ぢゅにあ at 2006-02-21 23:42 x
「広い裾野」と「選択と集中」、オリンピックには両方欠かせない気がします。先日見に行ったフィギュアに出場していた女性は、6才でスケートをはじめ、学校には通わずホームスクールで週に30時間の練習量を確保していたそうです。男子フィギュアで優勝したロシアの選手の親は貧乏ながら空き瓶を集めをしてまでスケート学校のお金を工面していたとか。スポーツに限らず、子供の能力を信じて全力投球できる親の存在もすごいとは思いますが、逆に子供の将来を半ば強制的に親が固定してやいないかと不安がないわけでもありません。
英才教育を受けた子供たちが将来それなりの成果を得られない場合、その責任を親たちはどう負うのかというのが気になるところです。(話がおもいっきりずれてしまいました)

知り合いにもやはりホームスクールで育ち、15才で大学に入学。現在23才でドクターコースに在籍中という女性がいますが、アカデミックの世界においてもアメリカの層の厚さを感じます。
by stochinai | 2006-02-19 23:57 | 教育 | Comments(7)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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