5号館を出て

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大学院教育振興施策要綱

 MYさんのブログ経由で知ったのですが、「“徒弟制”一掃、文科省が大学院を抜本改革へ」というニュースがありました。

 この記事のどこを読んでも、講座制の廃止と助教授を准教授にするということ以外に、徒弟制度を「一掃」するための方法が書かれていないので、私には理解ができなかったのですが、「文科省は今後5年間かけて、大学院による教育課程や教員組織の見直しを支援するなど、教育基盤の整備を進める」というところに、徒弟制一掃の秘策があるということなのでしょうか。

 同じくMYさんのブログにあるリンクをたどると「大学院教育振興施策要綱」の策定についてというものに行き当たります。どうも読売の記事はこの大学院教育振興施策要綱を評価しての論評のようですので、こちらを読んでみることにしました。

 実施機関は平成18年度から平成22年度まで、ということは今年2006年度から5年ということですね。いちいち指摘するのも嫌になりましたが、この年号はいい加減になんとか西暦一本にならないのでしょうか。政治的にはどうなのか知りませんが、少なくとも教育的・科学的には世界標準に合わせたほうが便利です。こんなところにも、日本の政治の非科学性がにじみ出てしまうのが悲しいです。

 余談はさておき今回の施策要項の柱です。
◆大学院教育の実質化(教育の課程の組織的展開の強化)
◆国際的な通用性、信頼性(大学院教育の質)の確保
◆国際競争力のある卓越した教育研究拠点の形成
 今までずっと言われ続けていたものですので、とりたてて目新しさは感じられません。

 第四からは、具体的な取組施策が書かれています。

 大学院教育の実質化は、我々の周辺でもすでに始まっています。大学院組織が変わった理学研究科では、いままではそれほどまじめにやられているとは言えなかった大学院生の講義が増加するとともに、「本当に講義をする」という意味で実質化・強化されています。大学院生の間からは、これだといつ研究をしたらいいのか?という悲鳴も聞こえ初めています。教育(座学)と研究は多くの場合、相反するものであることを現場は知っていますので、研究をしたい学生(とさせたい教員)にとってはつらい状況になってきているかもしれません。

 さらに、その件を書面化するようにという強い指示があるようです。
・各大学院が人材養成目的を明らかにすることについて、平成18年度までに大学院設置基準(昭和49年文部省令第28号)上関係規定を置く
 教員組織体制の見直しのところで、ニュースでは「07年度からは、教授の職務を助ける役割だった助教授が廃止され、新たに学生の教育や研究を主な職務とする「准教授」が新設される予定で、こうしたことを契機に教授と院生らの硬直的な徒弟関係の改善が図られることになる」と書いてあることが、この施策には見あたりません。しかし、助手が廃止されてできる「助教」についての記述があります。
・新たな職として創設される「助教」について、「専任教員」に位置づけるとともに、教員組織については、各課程の人材養成目的に応じて、各大学が自由に設計できることを平成18年度までに大学設置基準(昭和31年文部省令第28号)上明確化する
 大学院教育が学部教育と同じように、きっちりとした基準で評価され、修士・博士などの学位論文の評価基準もきちんとルール化するように書いてあるのは、大学にとっては大変ですが、学生にとっては朗報だと思います。これからは、理不尽に落とされたり、訳もわからずに学位がもらえたりというような「大学院の謎」は減ってくることでしょう。
・授業及び研究指導の内容や学修の成果及び学位論文に係る評価の基準等をあらかじめ明示することについて、平成18年度までに大学院設置基準上関係規定を置く
 しかし、これは恐らく諸刃の刃となって、大学院における研究活動が低下することは避けられないと思います。それを覚悟の上での施策提示だと信じていますので、一度決めたならばあたふたしないことを予めお願いしておきたいと思います。
・平成18年度までに主専攻・副専攻制、ジョイントディグリーなどの複合的な履修取組に関する調査研究を実施し、その円滑な実施方策等について検討する

・講義と実習など複数の授業の方法を組み合わせた授業科目が導入しやすくなるよう単位の計算方法について平成18年度までに大学院設置基準上明確化する

・修士課程及び博士課程(前期)の修了要件について、各課程の目的に応じて、修士論文の審査又は特定課題の研究など一定の学修成果の審査を課すことを平成18年度までに大学院設置基準上明確化する
 さらに今までも奨励されていたことですが、標準修業年限内に博士の学位を授与することができるようする規定を作らなくてはなりません。
・各大学院における学位授与の円滑化に関する取組や学位授与状況を調査・公表する等により、学位授与の円滑化に関する積極的な取組を促す

・成績評価基準等を明示し、当該基準に従って適切に課程の修了の認定を行うことについて、平成18年度までに大学院設置基準上関係規定を置く

 その他、学生に対する経済的支援や、若手教員等に対する教育研究環境の改善、産業界との連携、人文・社会系分野大学院の強化、大学院評価、国際貢献、など具体性ははっきりしないものの一応各方面に気を配っております。

 しかし、なんといっても現在走っている21世紀COEが終わった後はどうなるかという疑問に答えている次の一文に日本中の大学の目が釘付けになったことと思います。
・平成19年度からポスト「21世紀COEプログラム」を実施し、すべての学問分野を対象として、世界最高水準の卓越した教育研究の実施が期待される拠点を重点的に支援する
 基本的に歓迎できるアイディアが示されていると思います。後は、理念をどうやって現実化していくのかというところをしっかりと見守りましょう。

 現場の教職員ばかりではなく、もっとも大きな影響を受ける大学院生諸君からの積極的な発言が、実現を監視する役割を果たすと思います。日本の悪い文化の一つとして、出る杭は打たれるというものがあり、他人からの評価が将来を決める若い人には苦しいところかもしれませんが、このIT時代ですから適度な匿名性を保ちつつ言いたいことはどんどん言ってください。
Commented by K_Tachibana at 2006-05-01 01:45 x
この読売の記事ですが,以前傍聴した文科省の委員会で議題に上っていましたが,私自身が研究現場にいる訳でないのでそのままスルーしてしまっていました.

若手の使い走りとなっている講座制を切り崩し,教授,助教授,助手のフルラインそろえることを強制する制度を改めて,早期に研究に向いているか教育に向いているかを判断して進路を決めてください,というのがその場での話でした(文科省の委員会の議事録は,どうもウェブに公開されてないようです).

さして目新しい話でもないので他紙は取り上げてないのでしょうが,現場からの生の声はどんどん言っていったほうがよいと思います.研究現場と社会をつなぐ科学コミュニケーションも大事ですが,現場の声を文科省に正しく伝えることも大事だと思います.
Commented by stochinai at 2006-05-01 21:29
>早期に研究に向いているか教育に向いているかを判断して進路を決めてください,というのがその場での話でした
 「助教」になって、準教授・教授へのルートを選ぶか、教育系にはいるかという意味なのでしょうか。
 すっきりと教育と研究を分けるというのなら、それはそれで私も同意できないわけではないのですが、教育が雑用だと言ってはばからない多くの「研究系の研究室」では、「労働者としての学生の調達」ができなくなるということで学部教育からは手を引く考えはないようです。
 そこに教育軽視の研究系大学「教育」の問題の根があると思うのですが、今回の大学院教育振興施策でも、そのあたりの事情については見て見ぬふりということなのでしょうか。
Commented by K_Tachibana at 2006-05-01 23:21 x
>「助教」になって、準教授・教授へのルートを選ぶか、教育系にはいるかという意味なのでしょうか。
そういう意味で言っていました.抜本的にどうしたらよいのか,代替案を出して言っていかないと,中途半端なものになる可能性があると思います.
Commented by at 2006-05-02 01:30 x
教育の評価が授業の「コマ数」であるなら、それは幻想ではないでしょうか。
ただでさえ、教育に対する評価が誰にも出来ないのですから、少なくとも生物系では、
1st autherの論文が2年に1本も出ないけど、教育が出来るから地位の向上
なんていうのは、まずありえないことでしょう。
ついでに、今の評価体型には特許も入れられているようですが、こういう記事もあります。
http://blog-tech.rikunabi-next.yahoo.co.jp/blog/hirabayashi/107
特許申請は「検証されてから出すもの」じゃない…
いっそのこと、大学院に教育、特許、市場ニーズ調査を専門に教え、各学部に
卒業生からなる専門コンサル部署を置くことで解決したほうが良いんではないでしょうかね。
Commented at 2006-05-02 03:06 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by inoue0 at 2006-05-04 11:27
>文科省によると、1988年に約8万7000人だった日本の大学院生数は、昨年は約25万4000人に増加している。

 最大の問題はこれじゃないかと。修士と博士を合計した延べ人数でしょうから、単純に人数が3倍になったわけではないのでしょうが、それにしても若者人口が減っている中でこの増加は異常です。
 大学院定数の総量規制をすべき段階に来ていると思いますね。院卒者の需要がそんなに多いわけがないのだから。
Commented by stochinai at 2006-05-05 15:53
 ここのところで、研究の手足としての大学院生が欲しい大学側と、できるだけたくさんの学生を激しく競争させて一番上のクリームだけをスキミングしようとたくらむ政府の「利害」が一致したとみるべきではないでしょうか。政府が、学生を減らすなら教員も減らすと言っていることとも関係があると思います。
 大多数の「普通の大学院生」をどうするか、という視点が欠けた政策がうまく機能するとは、やはり思えません。
Commented by inoue0 at 2006-05-06 08:44
 それはそうと、院生って本当に「手足」になってますか?私は疑問に思う。確かに手足となって役立つ人もいるでしょうが、研究の足を引っ張っていていない方がいい人だって多いでしょう。
 研究を効率的に進めたいなら、院生という無責任な奉仕活動者を募集するんじゃなくて、有償でポスドクや常勤の研究員を雇うべきでしょう。少々カネがかかっても、給与を払っている人の方がずっと信頼できます。
 タダほど高いものはない。
Commented by stochinai at 2006-05-06 09:07
 確かに現時点で「手足」になるような優れた人材は減っているかもしれませんが、独裁的な教授にとっては学位と引き換えに脅すことができる存在としてはまだ便利に「利用」できる存在になっているケースは多いと思います。(そういう指導教員ほど、「院生は使えない」と文句を言いますのでわりとわかります。使おうと思っていない人は、文句も言いません。)
 また、多くの院生が手足にならなくなった時期と、大学院生の数が水ぶくれしだしたタイミングは一致しているような気がします。
>少々カネがかかっても、給与を払っている人の方がずっと信頼できます。
 その通りなのですが、人をやとって研究するだけなら大学院という教育機関でやる必要はまったくありませんよね。
Commented by hal at 2006-05-06 17:00 x
エントリー本文のように、大学院教育が変わりつつあります。とらなくてはいけない講義も増え、これまでのようにラボの「仕事」だけではなくなりつつあります。これは院卒が必ずしも研究者を目指すというわけではなくなっていることと符合しているようであり、世の中との折り合いという意味ではある程度妥当かなとも思います。学生も、研究自体に興味があるわけではなく、就職を有利にするために進学(特に有名大学の大学院への進学)するケースが多数である上に、実際の就職先も専攻分野とはかけ離れた営業や販売も現実にはかなりありますので。
一方で、ポスドクや研究員を雇える大学のラボは全体からすればわずかです。大多数のラボでは大学院生どころか卒研生でさえ頼みの戦力でしょう。実習ではなく研究をする以上やはり、かつては将来のためのOJTとして行われていた(徒弟制のような)「仕事」をすることになります。しかし、それは必ずしも学生たちが「学びたい・習いたい・将来役立つ」ことではないかもしれない、というわけです。
Commented by hal at 2006-05-06 17:06 x
そこで、次のような問題が生じます。こうしたラボでは、どのように教育と研究の折り合いをつけるのか(つまり学生院生への教育効果を最大化することは、研究のレベルの向上と維持とは相反する)?一線の研究はごく一部の大学や国研でのみやれば良いのか?さらには、そうしたなかで教員の流動性など本当に実現できるのか?
実際、私のように平均的な地方大学にいると、デキの良い学生院生を(研究はほどほどに、一方で「お勉強」はいっぱいさせて)一流と目される大学の修士博士に送り出す(予備校もどきの)ことが、「学生にもっとも良い教育」になりかねない現実があります。
5号館のつぶやきさんは(北大なので余裕があるのかもしれませんが)、「労働力としての学生」をまったく期待せずに「普通の大学院生」からなる「大学院という教育機関」の環境では、どのような教育と研究がなされるべきだとお考えですか?
Commented by stochinai at 2006-05-06 18:21
 うわあ、ものすごい直球を投げられてしまいましたね。コメント欄でお答えするのは、難しいですので別にエントリーを立てたいと思います。

 少し時間をください。
Commented by inoue0 at 2006-05-06 23:37
>かつては将来のためのOJTとして行われていた

 院生の大半が、論文執筆を最終目的とするアカデミアの研究者になっていた時代なら、まさしくそれがOJTだったわけですが、今や、研究者といっても企業研究者の方がずっと多く、彼らの研究目的は論文執筆ではなく製品の開発です。
 しかも、企業研究者にすらならない人が大半を占めるのですから、
「研究をさせること}≠「OJT」
となってしまった。こうなると、一生懸命に論文を書いても、アカデミア以外ではそれは評価されませんから、骨折り損ということになります。
Commented by hal at 2006-05-07 00:00 x
>inoue0さん
つぶやきさんからのお返事(別エントリー)をいただく前に、私がさらに書くのも何ですが、コメントさせてください。
企業であれ少なくとも研究に関わるのなら(あるいは学生によってはまったく異なる業種に就職するのであっても)、一生懸命に研究に勤しみ論文を書くことは貴重な経験であり、決して「骨折り損」ではないと思います。
大学は職業訓練のための専門学校ではありません。知の創造の場であり、大学院生もその作業の主要メンバーです。確かに院生は自分の利益のための教育を受けるために入学しているのですが、短期的にではなく長期的な展望に立てば、人生において十分にペイすると信じたい。
Commented by 吉田 at 2006-05-21 21:58 x
あんた、北大?

そうなら、日帝侵略学徒じゃん!

ちゃんと、アイヌ人の骨や略奪したものかえしなさいよ!

この、日帝の手先!

Commented by stochinai at 2006-05-21 23:02
 過去に北大の研究者が行った過ちについては、私もいろいろと考えることもありますが、議論するのでしたら未来に向かって実りの多いものになるようにしたいと思います。吉田さんの主張なさりたいことに、共感する部分もありますが、ミソもクソも一緒にするような姿勢ではせっかくの主張も冷静に受け止めてもらえないことになります。
 萱野さんの遺志を無駄にするようなことはなさらないでいただきたいと思います。
Commented by ame at 2006-06-04 03:44 x
> 企業であれ少なくとも研究に関わるのなら
現状の「余剰博士問題」をよく観れば、この仮定は無茶です。
そして、そういう「卒業後研究に携わる」という仮定こそが、
学生にとって、「骨折り損」という評価の元になっているのですよ。

気づいていながら、気づいていない振りをして、「信じたい」
などといっているのは、疑問を感じます。
Commented by stochinai at 2006-06-04 07:20
 これはhalさんのご意見に対するコメントだと思いますが、halさんは「気づいていない振り」をしているというよりは、そういう現実を認めたくないという気持ちなのだと思います。大学で教えている身として、私もその気持ちに共感するところはあります。
 しかし、ameさんがおっしゃるように現実は、はるかに厳しいのだと思います。
Commented by hal at 2006-06-04 11:34 x
ameさん
私は、「企業であれ少なくとも研究に関わるのなら(あるいは学生によってはまったく異なる業種に就職するのであっても)、」と書いたのですよ。
「関わるなら」間違いなく貴重な経験であるし、「関わらなくても(それがたとえ洋菓子職人の職であっても)学生の資質によっては」骨折り損ではなく何かしら得るものがあるはずだ、ということです。
学生が骨折り損だという評価をする元になっているのは、自然科学研究に携わること自体に彼ら自身がその人生の上での意味を見出していないことと、大学を専門学校のような職業訓練の場(医歯薬系ではそういう風潮があるのかもしれませんが)としてしか評価しないことにあると思います。
これは、銀行に勤めるために、リベラルアーツカレッジでギリシア語と数学を学ぶよりも駅前の法経専門学校に行く方が良いと思うようなもので、アメリカ文化のうち良くない一面だけが日本に移入されて広まった結果でしょうか・・・。「職人に教育なんぞいらねぇ、小学校出てたら十分だ」という考えがあった時代もありましたが、教育に過剰投資ということはありません。
by stochinai | 2006-04-30 23:47 | 大学・高等教育 | Comments(19)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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