5号館を出て

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国立大学の入学寄付金

 昨日の朝日新聞の教育欄に「法人化で財政難 実質学費に」というタイトルで、長崎大学歯学部で集めている寄付金の例が出ていました。もちろん、私大ではニュースになることもない普通のお話なのでしょうが、国立大学で入学時に寄付金を募るということはあまり聞いたことがありません。

 長崎大学の歯学部の例は極端なのかもしれませんが、歯学部には1979年の開設当初から「歯学部教育後援会」というものがあり、お金を集めていたようです。加入は任意というものの、加入率は8割を越え、入学直後に6年分として8万円の支払いを求めているとのことです。この金額が、昔からのものなのかそれとも法人化に伴って値上がりしたのかは書いてありません。

 さらに、長崎大学では全学生を対象にした「長崎大学後援会」というものが、2000年に発足しており、歯学部学生にも6年分1万5千円の支払いを求めているとのことで、後援会の二重取りではないかという不満の声が出ているということです。6年で1万5千円なら、普通の学生は4年で1万円ということかもしれません。

 法人化によって大学に交付されるお金が毎年1%ずつ減らされています。大学としては経営の効率化や定員削減で対処するにも限りがありますので、なんとか収入の道を考えていると思いますが、この入学時に徴収する寄付金というのは回収率を考えるとかなり「おいしい」ものに違いありません。

 長崎大学の一般学生向けの後援会でも回収率(加入率)が55%ということですから、強制ではないといってもかなりの圧力になっていることは間違いなさそうです。歯学部の8割以上というのは事実上の強制と言っても良いレベルです。

 こういう話が流れると、他の国立大学でも雪崩を打って追随することはほぼ間違いないのではないかと思われます。

 我が北海道大学でも、今は同窓会員に寄付を募ることを始めたところですが、昨今の同窓会の凋落ぶりを見ると、同窓会経由でお金を集めるのはかなり難しいと思われます。

 いろいろ始めようとしている「商売」にしても、運営費の足しになるほどの利益を上げるのは夢のまた夢という感じもしますので、当面の日銭稼ぎとしてはこの「後援会方式」がブームになることは間違いなさそうです。

 後援会費のずるいところは、あくまでも任意加入のものと位置づけられていますから、入学者募集要項などには書かれていないことだと思います。1000円や2000円くらいならまだしも、数万円から10万円近くも徴収するということになると、授業料だけでも苦しい学生にとっては「聞いてないよ~」と逃げ出したくなる金額かもしれません。

 まあ大学も苦しいので助けてくださいという意味で、頭を下げて寄付を募るということならば理解もできるのですが、学生を人質に取った形で父母に後援会への協力をお願いするということは、強制とまではいかなくてもかなりの圧力にはなると思います。

 そうであるならば、学生募集の段階で「本学は入学した学生の父母に、後援会に加入していただくくことを希望しています。ついては、4年分*万円に対する準備をお願いいたします」くらいの注意をしておかないと、詐欺的行為だと言われかねません。

 それにしても、どうしてこんなに金・かね・カネの話ばっかりになっちゃったんでしょうね、国立大学は。
Commented by alchemist at 2006-05-23 18:33 x
普通のヒトに寄付をする習慣がない上に寄付をしにくいような税制を採用している国ですから、どうしても他人の弱味に付け込んで寄付を募ることになるのではないでしょうか?
大学の理事サンに、米国の大学の理事は無給の上に世界各国から寄付を集めるために飛び回ってくれます・・・と云ってみましたが、笑われただけでした。
Commented by inoue0 at 2006-05-23 18:45
歯学部と医学部だからまだ値上げ余地があるんで、文学部や経済学部だと、国公立といえども、地方私立大学とあまり変わらない(年額54万円、入学金27万円)のです。通信制大学という強敵もいます。
 私は、学費は必要ならいくら値上げしてもいいと思う。しかし、それならば、教育の機会均等を妨げないよう、無利子かそれに近い教育ローンも用意すべきでしょう。
Commented by ecoeco at 2006-05-24 14:28 x
>それにしても、どうしてこんなに金・かね・カネの話ばっかりになっちゃったんでしょうね、国立大学は。

これまでお金のことを真剣に考えてこなかったからでしょうね。
Commented by stochinai at 2006-05-24 14:41
 なるほど、それは一理ありますね。
Commented by alchemist at 2006-05-24 18:56 x
外国と比較しても仕方がない。でもまあ、研究ができるだけマシ・・・というあたりで負け犬やってたら、研究もできなくなりそうで焦ってるんじゃないですか?
Commented by alchemist at 2006-05-24 19:02 x
お〜っと、ちょっと誤解招きそう。
研究者なんて国内外のことを知ってますから、こんなに研究費が少なければ(人口比にして、日本より高等教育に使う予算が少ないのは韓国くらいですね)研究業績も上がらないなあ・・・というのは判っているんですが、でもお上が出す気がないし、国民も期待してないみたいだから、研究費の額に応じた程度で細々とやろうかな・・・ってのが負け犬の内容です。
Commented by stochinai at 2006-05-24 20:32
 まあ自虐的に言うとそうなるでしょうが、日本の研究者には優秀な人が多いですから、金が無いなら無いなりにその状況で信じられないほどのコストパーフォーマンスを示す研究をやる人も多いですね。先日のどこかの調査でもそんな結果が出ていたと思います。

 つまり、大きな研究費もさることながら、実は研究費に恵まれなくとも、安定した職からはオリジナリティあふれる研究が芽生えてくる可能性が高いということも示されていたと思うのですが、どうでしょうか。

 一握りのスーパー研究者を除いた研究者の多くは、少しくらい給料は安くてもいいし、研究費も潤沢でなくとも良いから、安定して長期間研究ができる環境が欲しいと思っているのではないでしょうか。そういう施策ってどこかで出てきていましたっけ?
Commented by inoue0 at 2006-05-24 21:44
 知人(今年度にPh.D取得予定)が理研のポスドクに応募したら、「3年期限」というのは最大3年ということで、実際は1年おきに業績査定があり、そのたびに契約更新をするんだそうです。
 呆れましたね。1年ごとに結果が出るような研究を求められたら、研究員は確実に結果の出る研究しかしません。安全パイを求めてしまう。
 ある程度の生活保障があってこそ、チャレンジングで独創的な研究が生まれるのだということが理研ほどの組織ですらおわかりになっていない。
Commented by stochinai at 2006-05-24 23:17
 今はほとんどどこでも同じようなシステムになっているようですが、実際にはほとんどのケースで自動的に期限いっぱいまで継続することになるようです。しかし、それでも雇われている人間にとっては不快なプレッシャーになっていると思います。そもそもこの制度は、ポスドクに自由に研究させるというよりも、ボスの言うことをきかせて自由にしたいという意識から作られたものだと思います。
Commented by alchemist at 2006-05-27 15:56 x
むしろ、日本の制度の欠陥は上限3年と決まったら、それ以上の融通がきかないことでしょう。米国ではボスの裁量でどうにでもなります。
Commented by stochinai at 2006-05-27 20:57
 まったくその通りだと思います。日本では、「不公平」がないようにという制度が隅々まで行き渡っているようで、くだらないまでにあらゆることを公平にしようとして、たくさんの人が不幸になっています。そうまでして公平にするのって、意味あるんでしょうか。
 自分が不幸なのだから人も不幸にしたいと思う考え方と、自分が不幸になったのだから人は不幸になって欲しくないという考え方とどちらを選びますか。

Commented by 日本人 at 2006-05-28 20:57 x
当然前者です。
Commented by stochinai at 2006-05-28 22:04
 はははは、そう言うと思った。
Commented by alchemist at 2006-05-29 12:50 x
任期制の導入もお題目である能力主義から逸脱して画一的な管理を可能にする方向に暴走しているように見えます。能力主義を標榜するならば年令制限なんか必要ないはずなんですね。
なんだか、障害者の自立支援というお題目の法律が、せっかく自立に向けて努力しているその足を引っ張る方向に作られているのと似てますね。
外でポストドックで暮らしていた頃、毎年の契約更新ですが、基本的にちゃんと仕事やってる限り、来年も更新できるし、業績次第でプロモーションもあり得るという点では制度に対する信頼はありました。日本の制度がそれと同程度の信頼を寄せられているかどうか今一つ確信が持てないところが不幸の始まりのような・・・。
Commented by stochinai at 2006-05-29 22:36
 日本の人事制度はどんなにいじっても、きちんとした審査機関と審査制度がありませんので、いつも最後のところで情実が支配するようになってしまうような気がします。きちんと審査できる人と組織があれば、制度なんてどうでも良いのだと思います。
by stochinai | 2006-05-22 22:56 | 大学・高等教育 | Comments(15)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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