2006年 06月 08日
学歴難民クライシス
一昨日、歯医者に行った時に待合室にあるニューズウィークを見て、愕然としてしまいました。6月7日号(5月31日発売)の表紙に、小さな船の上で荒海にもまれる高学歴者たちの絵が描かれ、「学歴難民クライシス 就職できない一流大学卒が急増」と書いてあります。中には「世界にあふれる高学歴難民」というスペシャルレポートが載っています。
記事を読んでみると、京都大学の博士課程で動物生態学を研究した女性が、就職活動に失敗し社員7人のアパレル会社の事務員として働くようになったというエピソードから始まっています。モデルがいるのかもしれませんが、仮名の主が実在するのかどうかは不明です。
グラフによると、日本の大学進学率は今アメリカと並んでいるのですが、イギリスや韓国はそれをはるかに上回る勢いで進学率が増加しており、大学卒業者の就職難は世界的な問題になっているようです。
それでも、まだ大学卒ならばそれなりに自分を知り、マッチした会社を選ぶならばなんとかなりそうな状況なのかもしれませんが、大学院に関しては予想通り厳しいことが書いてあります。
また、大学で学生を見ていて、いささか不安に感じていることもズバリと指摘されています。
もちろん、大学が大学院で社会のニーズにあった学生の教育をできていないのも事実ですし(というか、そんなことを考えている博士課程後期の大学院はまだほとんどないと思います)、国の大学院重点化という大増員計画にも原因があります。
だからといって、現に大学院に在学している人やこれから大学院を目指そうという人は、こうした状況をしっかりと把握した上で、大学院在学中に自分で自分を民間企業にも売り込める人材として磨き上げていくしかないと思います。
月曜日に私は、大学院修士の1年生に「大学院での研究をどのように進めるか」という講義をすることになっています。私の主張は、毎年変わらないのですが「大学院では、基本的に研究のやり方しか学ぶことができないので、自分なりにそれを自分の価値を高めるために賢く利用しよう」ということです。
大学院問題は、国も大学も教員も学生も企業も、そして社会全体も、みんなが揃って責任を分かちあっているだけに、簡単に解決しそうもないということだけは間違いないようです。
記事を読んでみると、京都大学の博士課程で動物生態学を研究した女性が、就職活動に失敗し社員7人のアパレル会社の事務員として働くようになったというエピソードから始まっています。モデルがいるのかもしれませんが、仮名の主が実在するのかどうかは不明です。
グラフによると、日本の大学進学率は今アメリカと並んでいるのですが、イギリスや韓国はそれをはるかに上回る勢いで進学率が増加しており、大学卒業者の就職難は世界的な問題になっているようです。
それでも、まだ大学卒ならばそれなりに自分を知り、マッチした会社を選ぶならばなんとかなりそうな状況なのかもしれませんが、大学院に関しては予想通り厳しいことが書いてあります。
大学院進学者となると、さらにハードルは上がる、企業が知りたいのは、研究を通して見えてくる取り組み姿勢や思考能力。それをはき違えて自分の研究内容を詳細にアピールされても「いちいち理解できないし、鼻につくだけ」と、さきの採用担当者は言う。ここはかなりの偏見に満ちた文章だと感じますが、我々大学関係者以外の方が読んだ場合には「やっぱり」という感想を持ってしまうのではないかと不安になります。大学院卒業生は、これが社会の一般的な理解である可能性も織り込みながら、自分を売り込んで行かなければならないということです。
社会とのかかわりが人より少ない分、コミュニケーション能力に欠け、専門分野以外への視野が狭いのではないかという心配もつきまとう。その先入観をはね返すだけの力があり、さらによほどのプラスアルファがなければまず採用しないという。
また、大学で学生を見ていて、いささか不安に感じていることもズバリと指摘されています。
就職活動の逃げ道として進学を選ぶものも少なくない。労働政策研究・研修機構の05年秋の調査によれば「未内定・就職活動をしていない・停止した」と回答した大学生の51.5%が進学を希望していた。不況だと大学院進学や留学が増えるのはアメリカや韓国でも同じ世界的傾向だが、日本では90年代の不況期から顕著になってきた。リクルートワークスの大久保さんの言葉は辛辣です。
「民間企業で大学院が評価されないのは常識のはずなのに、それでも受けに来る志望者は何を考えているのか、企業は理解に苦しんでいる」アメリカなどでは高学歴になればなるほど就職には有利になると聞いていますので、この言葉は、日本企業の後進性を示しているとも言えるのですが、企業側に言わせると「日本の高学歴者は使えない」のだそうです。雇う側がそう言っているのでは、どうしようもありません。
もちろん、大学が大学院で社会のニーズにあった学生の教育をできていないのも事実ですし(というか、そんなことを考えている博士課程後期の大学院はまだほとんどないと思います)、国の大学院重点化という大増員計画にも原因があります。
だからといって、現に大学院に在学している人やこれから大学院を目指そうという人は、こうした状況をしっかりと把握した上で、大学院在学中に自分で自分を民間企業にも売り込める人材として磨き上げていくしかないと思います。
月曜日に私は、大学院修士の1年生に「大学院での研究をどのように進めるか」という講義をすることになっています。私の主張は、毎年変わらないのですが「大学院では、基本的に研究のやり方しか学ぶことができないので、自分なりにそれを自分の価値を高めるために賢く利用しよう」ということです。
大学院問題は、国も大学も教員も学生も企業も、そして社会全体も、みんなが揃って責任を分かちあっているだけに、簡単に解決しそうもないということだけは間違いないようです。
「研究のやり方」を学ぶことで、先行文献の検索やデータ収集に強くなったりとか、仮説を実験で検証可能なカタチに落とし込む方法とか、実験のスケジューリングや、結果をまとめて一つのストーリーを作る作業が、何の役にも立たないとは言えないと思います。
製薬会社のMRになるとしても、実験の経験が役に立たないとは言えない。製品をうまくプレゼンする資料を作成するのに、研究現場を知っていることはある程度役に立つかもしれない。
しかし、修士卒が2年後からスタートして追い越せるとは思えない。10年やれば差はなくなるでしょうが、それだけでしょう。
仕事に役立つように大学院生活をデザインするには、先に仕事の現場を知っている必要があると思います。インターンシップが役に立てばいいのですが。
製薬会社のMRになるとしても、実験の経験が役に立たないとは言えない。製品をうまくプレゼンする資料を作成するのに、研究現場を知っていることはある程度役に立つかもしれない。
しかし、修士卒が2年後からスタートして追い越せるとは思えない。10年やれば差はなくなるでしょうが、それだけでしょう。
仕事に役立つように大学院生活をデザインするには、先に仕事の現場を知っている必要があると思います。インターンシップが役に立てばいいのですが。
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私も大学院で研究ができるようになることが無駄だとは決して思いません。修士卒が2年前に就職した同期よりも優れた「能力」を身につけることができないとしたら、「大学院は無駄」と言われても仕方がないように思います。
まずは、院生自身が将来何になりたいのかを見据えた上で、自分を磨くということがポイントではないでしょうか。
まずは、院生自身が将来何になりたいのかを見据えた上で、自分を磨くということがポイントではないでしょうか。
確かに、インターンシップを修士や学部の時にやっておくとイメージがつかみやすそうですが、就職につながらないかもしれない学生を、企業が相手にしてくれるでしょうか。

大学院でやるべきことは「自分で考える」ということですね。ウチのような職業学校では学部時代は覚えることに逐われて考えるという習慣はつきません。また下手に考えたりしていると、教科書を読むことすらできなくなります。他の学部は知りませんが。
そういう教科書受け売りの世界から離れてようやく大学院で疑問を持つことから始めます。日本の大学院生が外国の企業では評価されても、日本の企業には評価されないのは、日本の企業は日本人が何ごとについても考えたり疑問を持ったりすることを嫌っているからではないか、という疑問を持っています。
そういう教科書受け売りの世界から離れてようやく大学院で疑問を持つことから始めます。日本の大学院生が外国の企業では評価されても、日本の企業には評価されないのは、日本の企業は日本人が何ごとについても考えたり疑問を持ったりすることを嫌っているからではないか、という疑問を持っています。
企業が採りたがらない理由はともかく、大学院卒の需要が定員にくらべて少ないのであれば、まずは大学院定員削減というのが正しい方策でしょう。
今日の講義では、現実を把握することと、そうした大学院に在学していながらも、自分を磨き生き延びるためにはどうしたらよいかを考えてもらいました。大学が悪い、社会がわるい、政府が悪いというのが事実だとしても、それとは別に個々人は生き延びて行かなければならないということだと思います。
そのためには大学院でもできることがあると思います。ただし、自覚して意識して流されずに生活する必要があります。
大学院の定員に関しては、文科省が厳しく監督しているという「噂」があります。大学院では定員を満たすことは至上命令であると信じられているようです。定員を減らしましょうとか、定員に満たなくても良いから不合格にしましょう、などという提案が通る雰囲気は限りなくゼロに近いのが私の感じている印象です。つまり、「正しい方策」を受け入れる気配がないのです。残念ですが。
そのためには大学院でもできることがあると思います。ただし、自覚して意識して流されずに生活する必要があります。
大学院の定員に関しては、文科省が厳しく監督しているという「噂」があります。大学院では定員を満たすことは至上命令であると信じられているようです。定員を減らしましょうとか、定員に満たなくても良いから不合格にしましょう、などという提案が通る雰囲気は限りなくゼロに近いのが私の感じている印象です。つまり、「正しい方策」を受け入れる気配がないのです。残念ですが。

1970年代後半から80年代前半にかけて、オーバードクターが激増した時代は、大学院の合格者を定員以下に押さえることで対応できました。
当時、文部省は大学の定員管理については煩かったようですが、大学院についてはそれほど煩くなかったそうです。重点化して以来、大学院の定員管理について煩くなっています。例えば、運営交付金の次年度繰り越しが定員割れが大きい時は認められません。
当時、文部省は大学の定員管理については煩かったようですが、大学院についてはそれほど煩くなかったそうです。重点化して以来、大学院の定員管理について煩くなっています。例えば、運営交付金の次年度繰り越しが定員割れが大きい時は認められません。

結局カネのために学生を利用しているということなのですね。

学生サンにさんざん自分で考えろよ、どんな偉いヒトの下に行ったところで、そのヒトがノーベル賞を受賞するということと君は関係ないんだよ・・・といってるんですけどね、講義で。
でも、流行のところに集まるんですよね。あ〜あ、いくら流行だって、あれじゃ潰れるだろうな・・・・と思ってみてます。
でも、流行のところに集まるんですよね。あ〜あ、いくら流行だって、あれじゃ潰れるだろうな・・・・と思ってみてます。
>結局カネのために学生を利用している
と言われても仕方がない面はありますが、そのお金が給料を上げるために使われるわけでもなく、そのお金をもらって誰が得するのかもわからないのです。だから、そんなお金はいらないって言ったっていいのだと思うんですけど、誰もそう言い出さないのが不思議と言えば不思議です。
と言われても仕方がない面はありますが、そのお金が給料を上げるために使われるわけでもなく、そのお金をもらって誰が得するのかもわからないのです。だから、そんなお金はいらないって言ったっていいのだと思うんですけど、誰もそう言い出さないのが不思議と言えば不思議です。
>どんな偉いヒトの下に行ったところで、そのヒトがノーベル賞を受賞するということと君は関係ないんだよ・・・と
その通りなんですけど、私のような小者が言うとただの負け犬の遠吠えになってしまいます。
気持ちとしては分からないでもないですが、そういうところで牛後に甘んじる学生が多いことは事実かもしれません。俺がやって鶏頭になってやるという学生だけがノーベル賞を取る可能性があるのだと思いますが、大学としてそのような学生を育てているかというと、それもまた疑問符がついてしまいますね。
alchemist研とかでオリジナリティあふれる研究をやっている学生を高く評価する環境が欲しいと思います。
その通りなんですけど、私のような小者が言うとただの負け犬の遠吠えになってしまいます。
気持ちとしては分からないでもないですが、そういうところで牛後に甘んじる学生が多いことは事実かもしれません。俺がやって鶏頭になってやるという学生だけがノーベル賞を取る可能性があるのだと思いますが、大学としてそのような学生を育てているかというと、それもまた疑問符がついてしまいますね。
alchemist研とかでオリジナリティあふれる研究をやっている学生を高く評価する環境が欲しいと思います。
>どんな偉いヒトの下に行ったところで、そのヒトがノーベル賞を受賞するということと君は関係ないんだよ
付け加えると、世間の評価って表層的で移ろいやすい。そんなものに流されている限り、満足できる仕事はできません。
ぜんぜん知られていない研究者でも、自分の目で見て、いい研究をしていると思ったら教えを請いに行くべきでしょう。
付け加えると、世間の評価って表層的で移ろいやすい。そんなものに流されている限り、満足できる仕事はできません。
ぜんぜん知られていない研究者でも、自分の目で見て、いい研究をしていると思ったら教えを請いに行くべきでしょう。

ははは・・・パクリです、シンダーマンのサイエンテイストゲームの。あちらの国で住んでいた頃、何度も読み返しましたから(あ、日本語の訳本、ね)。
同級生に、オリジナリテイの高いヤツがいて、今も非常にユニークな仕事やっています。正統的に流行の分野でやるならあれくらいじゃないと・・・って感じで見ています。それが出来ないのならゲリラですね。まあ、当方はゲリラだけでやってきたような・・・。
科学者としての生き延び方には色んな方法があるのでしょうけど、依らば大樹の蔭ってのはなさそうな気がしています。
あ〜あ、もうすぐ講義です。それも大学院の。院生になってまで講義聞いてお勉強するヒトの気がしれない。
同級生に、オリジナリテイの高いヤツがいて、今も非常にユニークな仕事やっています。正統的に流行の分野でやるならあれくらいじゃないと・・・って感じで見ています。それが出来ないのならゲリラですね。まあ、当方はゲリラだけでやってきたような・・・。
科学者としての生き延び方には色んな方法があるのでしょうけど、依らば大樹の蔭ってのはなさそうな気がしています。
あ〜あ、もうすぐ講義です。それも大学院の。院生になってまで講義聞いてお勉強するヒトの気がしれない。
私も持ってます、「サイエンティスト・ゲーム」。私の本は実験室においてありますが、誰か読んでるのかな?
院生を学生化しようとしているのは政府の政策だと思うのですが、制作を変更したのならば、後々までめんどう見て下さいよね。
院生を学生化しようとしているのは政府の政策だと思うのですが、制作を変更したのならば、後々までめんどう見て下さいよね。

大学院は本来研究職志望者が行くべきところで、むやみに定員を増やして猫も杓子も大学院という状況を作ったのが失敗だったんでしょうね。
アメリカでも本当に高学歴が歓迎されているのか、実は一部の業界だけの話ではないのか、一度しっかり検証してみる必要があるでしょう。
院卒は使いにくいという企業担当者のコメント、院修了者としてまさしくその通りだと思いますね。
アメリカでも本当に高学歴が歓迎されているのか、実は一部の業界だけの話ではないのか、一度しっかり検証してみる必要があるでしょう。
院卒は使いにくいという企業担当者のコメント、院修了者としてまさしくその通りだと思いますね。
by stochinai
| 2006-06-08 22:08
| 大学・高等教育
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