2005年 01月 23日
本音の発言
NHK問題については不毛な記事が多く、切り口を変えたものがないかと思っていましたら、札幌から出てきました。調査報道について その2です。おもしろいことが書いてあります。
「実際はたとえば中川氏の番記者たちはおそらく『先生、ほんと迷惑でしたよね』『朝日はひどいですよね』とかやっているのです(想像ですが)。そして、たぶん朝日の番記者はおそらく『あれは社会部が勝手にやったんですよ』というようなことを言っているのだと想像します。」
こういうのを内部情報というのだと思います。記者である著者が、他の記者のことを書いています。もちろん、事実を述べているわけではないので、いわゆる「情報」とは違うのかもしれませんが、新聞記者のなかでも番記者と呼ばれる人たちの「生態」が生き生きと描かれていると思いました。
我々の周辺にも、いろいろな情報、特に権力を持っている人間が考えていることに関する情報を持っていることで、力を発揮している人がたくさんいます。不思議なことに、権力側の情報を持っていることと、権力を持っていることとは何の関係もないはずなのに、そういう人たちが偉そうに情報を開示することがあります。そして、その情報に導かれるように会議が進むことも多いのです。会議に参加している多くの人たちの心の中には、どうせ「お上」の結論は決まっているのだから、こちらがお上に出す提案もお上の意向に沿ったものを出すことで、会議を無駄にせずにすむという気持ちが働いているのかもしれません。
かくして、お上の情報を持っている人が大きな顔をするという状況が作られていきます。
しかし、やはりこの構造は危険です。権力側からリークされる「情報」はあくまでも、権力側に都合の良い情報だけであり、不利な情報は意図的に隠されているはずだからです。番記者という形で、お上と仲良くなったとしても、もらえる情報はリークしても良いというフィルターを通った後の「偏向した情報」なのです。もちろん、権力側と対立してしまったら、そうした偏向情報ですらもらえなくなるでしょう。しかし、情報がもらえなくなることを恐れるならば、番記者という存在では決して権力を批判するような記事は書けないということになります。提灯記事しか書けないのであれば、すでにジャーナリストとして破綻しています。権力からリークされた記事は、決して「特ダネ」ではありません。
高田さんは書きます。「今回の問題に限らず、この種のことが起きると、必ず、擦り寄る記者と徹底追及に回る記者とに二分されてきます。しかも圧倒的に『擦り寄り』が多い。そうしたことを、私はずっと批判しているのです。『追及・北海道警裏金疑惑』という本やその他の論文等でも言い続けていますが、『記者の役割は政治家や権力側と仲良しでいることではない』ということに尽きます」。
会議の席に「上の」情報をもたらす人の存在も同じだと思います。会議構成員の役割は大学当局や権力と仲良しでいることではない、はずです。
NHK問題は、単にNHKと政府・自民党との関係なのではないことがわかります。この問題には、日本全体を覆う、上意下達を達成させるシステムが持つ構造的な問題が象徴的に出ているだけで、我々も間違いなく同じ構造の中に組み込まれています。上からの圧力とそれに従う我々庶民の関係は、表には出さない形ではありますが貫徹されているのがいわゆる「日本の社会」というものです。多くの人は心の中では「そんなことは、昔からずっとあることだ」と思っているでしょうから、NHK問題で市民が盛り上がらないのも無理がないとも言えます。
しかし、逆に考えるとお上が下に圧力をかけることなどは当たりませすぎて、誰も疑問も挟まず、もちろん異議申し立てをすることなどできなかった一昔前から考えると、様々な形で内部告発ができるようになった状況は、ある意味で進歩だと言えると思います。
番記者や会議の席での情報通たちは、簡単にいうと権力側の内通者であり、正規なルートを経ずに権力側の情報を我々にもたらしてくれる彼らの存在をありがたがる我々のありようからたださない限り、権力にすり寄りその情報とともに虎の威を借りて偉そうにしている彼らの存在こそが、「見えない圧力」の実行部隊と言えるでしょう。
リークされた情報には、必ず受け取る側を操作しようとする黒い意図があることを再確認しておきたいと思います。
「実際はたとえば中川氏の番記者たちはおそらく『先生、ほんと迷惑でしたよね』『朝日はひどいですよね』とかやっているのです(想像ですが)。そして、たぶん朝日の番記者はおそらく『あれは社会部が勝手にやったんですよ』というようなことを言っているのだと想像します。」
こういうのを内部情報というのだと思います。記者である著者が、他の記者のことを書いています。もちろん、事実を述べているわけではないので、いわゆる「情報」とは違うのかもしれませんが、新聞記者のなかでも番記者と呼ばれる人たちの「生態」が生き生きと描かれていると思いました。
我々の周辺にも、いろいろな情報、特に権力を持っている人間が考えていることに関する情報を持っていることで、力を発揮している人がたくさんいます。不思議なことに、権力側の情報を持っていることと、権力を持っていることとは何の関係もないはずなのに、そういう人たちが偉そうに情報を開示することがあります。そして、その情報に導かれるように会議が進むことも多いのです。会議に参加している多くの人たちの心の中には、どうせ「お上」の結論は決まっているのだから、こちらがお上に出す提案もお上の意向に沿ったものを出すことで、会議を無駄にせずにすむという気持ちが働いているのかもしれません。
かくして、お上の情報を持っている人が大きな顔をするという状況が作られていきます。
しかし、やはりこの構造は危険です。権力側からリークされる「情報」はあくまでも、権力側に都合の良い情報だけであり、不利な情報は意図的に隠されているはずだからです。番記者という形で、お上と仲良くなったとしても、もらえる情報はリークしても良いというフィルターを通った後の「偏向した情報」なのです。もちろん、権力側と対立してしまったら、そうした偏向情報ですらもらえなくなるでしょう。しかし、情報がもらえなくなることを恐れるならば、番記者という存在では決して権力を批判するような記事は書けないということになります。提灯記事しか書けないのであれば、すでにジャーナリストとして破綻しています。権力からリークされた記事は、決して「特ダネ」ではありません。
高田さんは書きます。「今回の問題に限らず、この種のことが起きると、必ず、擦り寄る記者と徹底追及に回る記者とに二分されてきます。しかも圧倒的に『擦り寄り』が多い。そうしたことを、私はずっと批判しているのです。『追及・北海道警裏金疑惑』という本やその他の論文等でも言い続けていますが、『記者の役割は政治家や権力側と仲良しでいることではない』ということに尽きます」。
会議の席に「上の」情報をもたらす人の存在も同じだと思います。会議構成員の役割は大学当局や権力と仲良しでいることではない、はずです。
NHK問題は、単にNHKと政府・自民党との関係なのではないことがわかります。この問題には、日本全体を覆う、上意下達を達成させるシステムが持つ構造的な問題が象徴的に出ているだけで、我々も間違いなく同じ構造の中に組み込まれています。上からの圧力とそれに従う我々庶民の関係は、表には出さない形ではありますが貫徹されているのがいわゆる「日本の社会」というものです。多くの人は心の中では「そんなことは、昔からずっとあることだ」と思っているでしょうから、NHK問題で市民が盛り上がらないのも無理がないとも言えます。
しかし、逆に考えるとお上が下に圧力をかけることなどは当たりませすぎて、誰も疑問も挟まず、もちろん異議申し立てをすることなどできなかった一昔前から考えると、様々な形で内部告発ができるようになった状況は、ある意味で進歩だと言えると思います。
番記者や会議の席での情報通たちは、簡単にいうと権力側の内通者であり、正規なルートを経ずに権力側の情報を我々にもたらしてくれる彼らの存在をありがたがる我々のありようからたださない限り、権力にすり寄りその情報とともに虎の威を借りて偉そうにしている彼らの存在こそが、「見えない圧力」の実行部隊と言えるでしょう。
リークされた情報には、必ず受け取る側を操作しようとする黒い意図があることを再確認しておきたいと思います。
by stochinai
| 2005-01-23 23:39
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