5号館を出て

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セクハラと著作権

 昨日の朝日新聞土曜版 be on Saturday の b-usiness 版に「ブロガーのための著作権講座」という記事が載っていました。うれしいことに、これはネットでも公開されています。とりあえず、冒頭にある三カ条を引用させて頂きます。
           三カ条

一、 記事の掲載は「公正な引用」の範囲内で
二、 家族・友人でも写真掲載には許可が必要
三、 マンガのキャラクターなどの掲載は不可
 とりあえず、今日は一の引用について考えてみます。

 著作権法違反という言葉は毎日のように聞くのですが、率直にいって「わかりにくい」というのが一般的な感想だと思います。私も毎日のように、他の人が書いた記事などから引用を繰り返していますので、ひょっとしたら著作権を侵害していることになるかもしれないと心配することはあります。幸いなことに、今まで著作権に関するクレームを頂いたことはありませんが、ある日いきなり抗議をいただく恐れはあるという覚悟は持ち続けておりました。

 そのわかりにくい著作権ですが、最後の一文を読んでなるほどと感じたことがあります。それは、「著作権法は『親告罪』なので、被害を受けた人が告訴しなければ罪に問われません」というところです。これを読んだ時、著作権問題はセクハラ問題と同じように考えて対応すれば良いということになるのではないかと思ったのです。

 セクハラもなかなかわかりにくいもので、まったく同じ言葉を発したり同じ行動を取った場合でも、いわゆるセクハラ親爺がやった場合には大騒ぎで抗議をされることがある一方では、イケメンの若者がやった場合にはむしろ喜ばれるというようなことがあるのは事実です。

 同じように、文章引用に際しての著作権の場合も、著作権者が権利を侵害されたと感じる場合もあれば、著作を引用して頂いて光栄だと感じる場合もあるはずです。見た目には、同じ量の文章が同じように引用されていたとしても、前後の文脈の問題で不快に感じることもあれば、快感になることもあるでしょうし、何より引用している人間が好きか嫌いかというところがもっとも大きな要因になるような気がします。というわけで、結局セクハラと同じように著作権者と引用者の間に良好な人間関係があるかないかで、訴えられるかどうかの差が出てしまうというのが現実ではないでしょうか。

 こういうあいまいなことを許したままで法律で取り締まるということ自体にも問題があるとは思いますが、相手が不快であるという意志を表明した後に速やかに適切な対応をすることで、訴追にまで至らずにすませることができるという意味においては、いたずらに恐れて萎縮する必要は全くないと思われます。

 セクハラの場合には嫌だと言われたらすぐやめること、著作権侵害の場合には抗議があったらすぐに削除すること、とりあえずの対応はこれでいいのではないでしょうか。

 著作権者の意見を正しく反映させるためには、適切な引用はむしろ必要なことです。伝聞体で書かれることや、不必要に前後を削除して引用されることは、著作権者にとっても不利益になることが多くなることを考えると、むしろ引用はどんどんすべきだと思っています。そういう意味では、あまり益があるとは思えないセクハラとは全然違いますね。
Commented by nanashi at 2006-09-18 10:45 x
情報技術の発達と共に、著作権について知っておくことはますます重要になるのでしょうね。
気になるのは"著作権者にとって不利益"の判断基準です。
個人対個人のケースや芸術的な著作物の引用の場合と、社会の公器であるマスコミの引用に同一の基準が適用されるのかどうか・・・です。
なぜならば、強大な権力を持つマスコミに対して個人が批判が出来るよう状況が、場合によってはつぶされかねないからです。杞憂であれば良いのですが。
もちろんマスコミの人たちの仕事に対して対価を払うことは必要だと思います(私個人としては、新聞代やNHKの受信料を払うくらいしかできませんけど)。

マスコミ同士の相互批判が成立しない問題も世の中にはありませんか(例えば、事件・事故の被害者などへのワイドショー的取材攻勢をマスコミ自らセーブできないのは何故でしょうか)。
ブログに限らず、力を持っている人や組織に対して、人格攻撃ではなく建設的な批判や分析が出来ることは重要だと感じます。それが出来ないことによる閉塞感や問題を先日の大学での捏造問題で改めて感じました。
Commented by stochinai at 2006-09-18 16:41
 nanashiさん、私も同じような危惧を持っています。著作権や個人情報の保護という名目で、一般市民ではなく巨大な権力を持った組織の犯罪が隠されるということがしばしば見受けられます。権力のない個人を守るという名目で法律が作られ、結果的にそれが権力の悪を守ることに使われるのです。
 大学にある学生相談室やセクハラ相談室も、結果的には大学の悪を隠蔽するように機能しているというのもよく聞く話です。
 要するに、権力に市民と同じ権利を与えてるのは不公平なのですから、権力側の権利を制限するように作られた法律が良い法律だと思います。そういう意味で日本国憲法は権力(国)の権利を制限した素晴らしい法律だと思います。だから、政府が改正したがるのですね。良くわかります。
Commented by とおりすがり at 2009-11-28 13:43 x
>大学にある学生相談室やセクハラ相談室も、結果的には大学の悪を隠蔽するように機能しているというのもよく聞く話です。

先日、阪大医学部でセクハラの隠蔽がありましたが、
相談室も結局は証拠を集めて加害教員を擁護するために
医学部の教員で構成されるセクハラ調査委員会に加担しただけです。
by stochinai | 2006-09-17 23:50 | コンピューター・ネット | Comments(3)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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