2006年 10月 05日
美しい国を愛する
ネットを見ていたら「美しい国(うつくしいくに)」を逆さまに読むと、「にくいしくつう(憎いし、苦痛)」となるという話がありました。元ネタは中日新聞らしいのですが、今の日本には「美しい国」を作ると言われて素直に納得できない人はたくさんいるのだろうと思わせられる「落ち探し」の話だと感心しました。
もちろん、国は美しいほうが良いに決まっていますが、権力を持った方が美しい国を作ろうと言うとき、そこに美しくないものを排除あるいは撲滅して、美しいものだけを残そうということを意味しているのではないかと、ついつい思えてなりません。
そうなると、国の政策に楯突く不満分子などは美しくないものの最右翼ということになるのかもしれません。激しい言い争いというものは、たとえそれが「正しい目的」のために行われていたとしても、やはり美しいものではありません。もちろん、冷静に穏やかに議論がなされていれば、醜いというところまではいかないとはいかないにしても、もしも政府がある数の国民にとって理不尽と思われる政策をとろうということになると、どうしても「美しくない」抗議がいつまでも続くことになるのではないでしょうか。
そうなったときに、「美しい国」を作ろうという言葉は、いつまでもしつこく抗議を続ける人間に向けられて、君たちの行為は日本を美しくするための妨害にしかならないという非難の声が上がるのではないかと危惧します。そういうバッシングを過去に何回も見たことがあるような気がします。「和をもって尊しとなす」という言葉を思い出します。
もちろん世界が平和で、国内外に争いもなく、景色が風光明媚で美しければ、地球は美しいところだと思いますし、そうした美しいところを愛することは全然難しいことではないと思います。他人に言われるまでもなく、誰でもが美しい地球を愛するようになると思います。では、日本だけが美しくなれるでしょうか。地球全体が美しくならなければ、日本を美しくするなどいうことは不可能なのではないでしょうか。
つまり日本を美しい国にするというスローガンは、必要ないと思います。誰でもが、日本を愛することができるような状況が作られれば、国も国民も自然に美しくなると思います。そして、日本が美しくなるためには、日本を囲むアジアの国々が美しくならなければなりませんし、世界全体が美しくならなければなりません。そのためには、不幸な人がいなくなるような地球を作らなければならないのだと思います。
現実のように一握りの幸せな人間と数多くの不幸せな人間がいる状況は美しくないし、不幸せな人々は決して国や地球を愛することなどできないと思います。
安倍さんには広い視野を持って「世界中の人を幸せにして美しい地球を作る」ことを目指すと言って欲しかったです。幸せな人が1人でも多くなればそれだけ日本も世界も美しくなるはずです。
もちろん、国は美しいほうが良いに決まっていますが、権力を持った方が美しい国を作ろうと言うとき、そこに美しくないものを排除あるいは撲滅して、美しいものだけを残そうということを意味しているのではないかと、ついつい思えてなりません。
そうなると、国の政策に楯突く不満分子などは美しくないものの最右翼ということになるのかもしれません。激しい言い争いというものは、たとえそれが「正しい目的」のために行われていたとしても、やはり美しいものではありません。もちろん、冷静に穏やかに議論がなされていれば、醜いというところまではいかないとはいかないにしても、もしも政府がある数の国民にとって理不尽と思われる政策をとろうということになると、どうしても「美しくない」抗議がいつまでも続くことになるのではないでしょうか。
そうなったときに、「美しい国」を作ろうという言葉は、いつまでもしつこく抗議を続ける人間に向けられて、君たちの行為は日本を美しくするための妨害にしかならないという非難の声が上がるのではないかと危惧します。そういうバッシングを過去に何回も見たことがあるような気がします。「和をもって尊しとなす」という言葉を思い出します。
もちろん世界が平和で、国内外に争いもなく、景色が風光明媚で美しければ、地球は美しいところだと思いますし、そうした美しいところを愛することは全然難しいことではないと思います。他人に言われるまでもなく、誰でもが美しい地球を愛するようになると思います。では、日本だけが美しくなれるでしょうか。地球全体が美しくならなければ、日本を美しくするなどいうことは不可能なのではないでしょうか。
つまり日本を美しい国にするというスローガンは、必要ないと思います。誰でもが、日本を愛することができるような状況が作られれば、国も国民も自然に美しくなると思います。そして、日本が美しくなるためには、日本を囲むアジアの国々が美しくならなければなりませんし、世界全体が美しくならなければなりません。そのためには、不幸な人がいなくなるような地球を作らなければならないのだと思います。
現実のように一握りの幸せな人間と数多くの不幸せな人間がいる状況は美しくないし、不幸せな人々は決して国や地球を愛することなどできないと思います。
安倍さんには広い視野を持って「世界中の人を幸せにして美しい地球を作る」ことを目指すと言って欲しかったです。幸せな人が1人でも多くなればそれだけ日本も世界も美しくなるはずです。
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GORO
at 2006-10-05 23:21
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私も「美しい国」というフレーズには違和感を覚えました。あまりにも抽象的すぎて、具体的にどうするのかが見えてこなかったからです。美しくない物があるとすぐに「臭い物にフタ」をするような感覚では決して「美しい国」を作ることはできないと思います。「クサイ臭いは元から断つ」という強い姿勢で国づくりに臨んでくれることを願わずにはいられません。
・・・と言っている私の文章もずいぶん抽象的ですけどね。(^^;
・・・と言っている私の文章もずいぶん抽象的ですけどね。(^^;
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alchemist
at 2006-10-06 09:45
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空き地さえあれば、様々な不統一なデザインの(あるいはデザイン以前の)マンションを立て狂っている町は私には美しくは見えませんけど、開発業者やそこに金を貸し込んでいる銀行屋さんには涙が出るほど美しい光景なのでしょう。
国立水俣病研究所の周辺の春は満開の桜で通りすがりの者には美しい光景ですが、公害の被害者・家族には涙なしに語れない風景なのでしょう。
そのようなてんでバラバラの美しさを積算したのが美しい国であるとすれば、美しさは限りなくゼロに収斂しそうな気がします。
国立水俣病研究所の周辺の春は満開の桜で通りすがりの者には美しい光景ですが、公害の被害者・家族には涙なしに語れない風景なのでしょう。
そのようなてんでバラバラの美しさを積算したのが美しい国であるとすれば、美しさは限りなくゼロに収斂しそうな気がします。
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stochinai at 2006-10-07 10:29
「美しい」ということに科学的客観性はありませんから、それを政策課題にするというのはやっぱり無理があると思います。逆に、なんんとでもなる解釈を意図的に利用することを目指しているのだとしたら、批判されるべきだと思います。
by stochinai
| 2006-10-05 21:14
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Comments(3)