2006年 10月 12日
ニセ科学に立ち向かう
気がついたら、もう明後日になっていました。ご本人のブログですでに告知されているように、菊池誠さんがCoSTEPで「ニセ科学に立ち向かう」というテーマで講義をしてくださいます。
明後日、午後1時から2時半まで、北大の情報教育館(放送大学が入っている建物です)3階にある多目的スタジオ型講義室で行われる予定です。本来はCoSTEP本科生のために企画された講義なのですが、菊池さんの講義を札幌で聞ける機会はそれほどないと思われますので、このブログを読まれた方で時間の都合のつく方は、お気軽に聴講していただいて結構です。部屋の広さに限りはあるというものの、150名くらいは入ると思いますので、まさか満員札止めになることはないでしょう(笑)。
菊池さんといえば、この春の物理学会でのシンポジウム「『ニセ科学』とどう向き合っていくか?」での活躍や、岩波の「科学」9月号の特集=疑似科学の真相/深層をよむ――なぜ信じてしまうのかで、「疑似科学の現在」という論文を書かれたり、つい先日の9月20日の朝日新聞の夕刊「科学批評室」でも、「ニセ科学 考え方伝える努力こそ必要」というエッセイを書かれるなど、「ニセ科学駆逐業界」での第一人者としてご活躍中です。
そのご本人の話を聞けるばかりではなく、場合によっては議論もできるとあっては、見逃せないチャンスだと思います。
菊池さんに講義をお願いしたのは私なのですが、実は菊池さんとは面識がありません。昨年の10月27日にこのブログに書いたエントリー「インテリジェント・デザイン」にコメントを寄せていただいた「きくち」さんというハンドルネームの方が、かの有名な菊池さんだとわかったので、これ幸いとその場で講義をお願いしましたところ、快くお引き受けいただけるということになり、実現にいたったのです。そのやりとりは、すべてコメント欄で公開されておりますので、興味のある方はごらん下さい。お願いした私としても半信半疑だったのですが、明日実際にご本人に会えることになったことに、今ひとつ現実感が持てておりませんです(汗)。
時としてCoSTEPは、「楽しい科学コミュニケーション」ばかりしている、と言われることもあるのですが、実は全然そんなことはありません。CoSTEPが表に出るところに、楽しそうなことが多いのは事実かもしれませんが、楽しい科学コミュニケーションを実現するためにも、いろいろと「楽しくない」こととも関わり合わなければならないという現実は、もちろんあるのです。
この「ニセ科学」などはまさにその最右翼で、一件楽しく役に立ちそうなことを主張していながらとんでもない大嘘であるというものが、たくさんあるのが現実です。そういうものを放置しておくと、被害者が出るばかりではなく、科学そのものに対する信頼感まで傷つけられるということにもなりかねませんので、菊池さんのおっしゃるようにコミュニケーターもニセ科学に立ち向かう必要があるということだと思います。
詳しい内容は当日の講義に譲るとしても、予習のための参考資料はここにたくさん用意されております。
寒くなってきましたけれども、北海道は食べ物がおいしく、風景もきれいな季節です。北海道の科学技術コミュニケーター挙げて、菊池さんを歓迎いたします。
よろしくお願いします。
明後日、午後1時から2時半まで、北大の情報教育館(放送大学が入っている建物です)3階にある多目的スタジオ型講義室で行われる予定です。本来はCoSTEP本科生のために企画された講義なのですが、菊池さんの講義を札幌で聞ける機会はそれほどないと思われますので、このブログを読まれた方で時間の都合のつく方は、お気軽に聴講していただいて結構です。部屋の広さに限りはあるというものの、150名くらいは入ると思いますので、まさか満員札止めになることはないでしょう(笑)。
菊池さんといえば、この春の物理学会でのシンポジウム「『ニセ科学』とどう向き合っていくか?」での活躍や、岩波の「科学」9月号の特集=疑似科学の真相/深層をよむ――なぜ信じてしまうのかで、「疑似科学の現在」という論文を書かれたり、つい先日の9月20日の朝日新聞の夕刊「科学批評室」でも、「ニセ科学 考え方伝える努力こそ必要」というエッセイを書かれるなど、「ニセ科学駆逐業界」での第一人者としてご活躍中です。
そのご本人の話を聞けるばかりではなく、場合によっては議論もできるとあっては、見逃せないチャンスだと思います。
菊池さんに講義をお願いしたのは私なのですが、実は菊池さんとは面識がありません。昨年の10月27日にこのブログに書いたエントリー「インテリジェント・デザイン」にコメントを寄せていただいた「きくち」さんというハンドルネームの方が、かの有名な菊池さんだとわかったので、これ幸いとその場で講義をお願いしましたところ、快くお引き受けいただけるということになり、実現にいたったのです。そのやりとりは、すべてコメント欄で公開されておりますので、興味のある方はごらん下さい。お願いした私としても半信半疑だったのですが、明日実際にご本人に会えることになったことに、今ひとつ現実感が持てておりませんです(汗)。
時としてCoSTEPは、「楽しい科学コミュニケーション」ばかりしている、と言われることもあるのですが、実は全然そんなことはありません。CoSTEPが表に出るところに、楽しそうなことが多いのは事実かもしれませんが、楽しい科学コミュニケーションを実現するためにも、いろいろと「楽しくない」こととも関わり合わなければならないという現実は、もちろんあるのです。
この「ニセ科学」などはまさにその最右翼で、一件楽しく役に立ちそうなことを主張していながらとんでもない大嘘であるというものが、たくさんあるのが現実です。そういうものを放置しておくと、被害者が出るばかりではなく、科学そのものに対する信頼感まで傷つけられるということにもなりかねませんので、菊池さんのおっしゃるようにコミュニケーターもニセ科学に立ち向かう必要があるということだと思います。
詳しい内容は当日の講義に譲るとしても、予習のための参考資料はここにたくさん用意されております。
寒くなってきましたけれども、北海道は食べ物がおいしく、風景もきれいな季節です。北海道の科学技術コミュニケーター挙げて、菊池さんを歓迎いたします。
よろしくお願いします。
本州在住の選科生です.
菊池さんの講義はぜひ生で受けたかったのですが,いろいろ所用があるのと物理的な距離の問題で受けられません.ぜひ,講義のときの様子などあとでブログでフォローいただけると幸甚です.
菊池さんの講義はぜひ生で受けたかったのですが,いろいろ所用があるのと物理的な距離の問題で受けられません.ぜひ,講義のときの様子などあとでブログでフォローいただけると幸甚です.
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受講生や修了生などからも報告があるだろうと期待されますが、私もそのようにしたいと思います。
参考資料として用意下さった中で、EM菌に対する扱いが気になって
います。→ニセ科学関連文書「科学とニセ科学」レジュメ2
詳しい事情はお話しないつもりです。
昨秋、あることからEMによるボカシ製造が授産施設の貴重な
収入源として関係者の大きな励みになっていると知りました。
通所者の手仕事の報酬は、お金の単位が違うかのように低い
らしいです。家庭の生ゴミが減り、施設が地域に溶け込む
きっかけにもなり、「三方良し」の状況でした。
理念をもって推進している人の善意を科学のモノサシが裁いていく
ことになるようで残念です。
日々の暮らしの一端がきちんとリサイクル・始末されていることで
それなりの評価がされるべきかもしれませんのに…
がんへの効能を謳うことは研究者にとって魔力なのでしょうか。
科学の側による判定が、EMを介した環境活動に波及して一切が
否定される風潮にはならないとは思いますが。
effectiveのはずが、考えようによっては当事者には微妙な
riskを孕んだ存在になってしまうのですね。
います。→ニセ科学関連文書「科学とニセ科学」レジュメ2
詳しい事情はお話しないつもりです。
昨秋、あることからEMによるボカシ製造が授産施設の貴重な
収入源として関係者の大きな励みになっていると知りました。
通所者の手仕事の報酬は、お金の単位が違うかのように低い
らしいです。家庭の生ゴミが減り、施設が地域に溶け込む
きっかけにもなり、「三方良し」の状況でした。
理念をもって推進している人の善意を科学のモノサシが裁いていく
ことになるようで残念です。
日々の暮らしの一端がきちんとリサイクル・始末されていることで
それなりの評価がされるべきかもしれませんのに…
がんへの効能を謳うことは研究者にとって魔力なのでしょうか。
科学の側による判定が、EMを介した環境活動に波及して一切が
否定される風潮にはならないとは思いますが。
effectiveのはずが、考えようによっては当事者には微妙な
riskを孕んだ存在になってしまうのですね。

レジュメからは授産施設のあり方が否定される印象は持ちませんでしたが、もし自分が当事者だったら否定的ニュアンスの中で取り上げられているのを知ると複雑な気持ちになるかも、とも感じます。
けれどそうだからこそ、CoSTEPのような取り組みの中で語られるようになってきていると言うのは、重要なことだと思います。「コミュニケーション」とは相手がある、相手を意識した営みだろうと思うからです。
アトピーやがんの方につけ込むニセ科学がアンタッチャブルなものにされがちなのは、苦しんでいる患者さんの気持ちと向き合うのが難しいからというのもあるかもしれません。実際に試みるとかなり難しいのです。
法律・規制やジャーナリズムによる裁き、科学者コミュニティの内部で科学の作法にしたがって評価した結果を蓄積していくこと等に期待するだけでは限界があります。相手(例えば患者さん)との距離やコミットメントの取り方がドライなものにならざるを得ないからです。
そういう意味で、今回の講義そのものにも、参加される方々の受け止め方にも興味があります。
けれどそうだからこそ、CoSTEPのような取り組みの中で語られるようになってきていると言うのは、重要なことだと思います。「コミュニケーション」とは相手がある、相手を意識した営みだろうと思うからです。
アトピーやがんの方につけ込むニセ科学がアンタッチャブルなものにされがちなのは、苦しんでいる患者さんの気持ちと向き合うのが難しいからというのもあるかもしれません。実際に試みるとかなり難しいのです。
法律・規制やジャーナリズムによる裁き、科学者コミュニティの内部で科学の作法にしたがって評価した結果を蓄積していくこと等に期待するだけでは限界があります。相手(例えば患者さん)との距離やコミットメントの取り方がドライなものにならざるを得ないからです。
そういう意味で、今回の講義そのものにも、参加される方々の受け止め方にも興味があります。
菊池さんは、EMは実際に効果があるので「困る」という言い方で、強く排除はできないと思っておられるというようなことをどこかに書いていたと思います(すみません。本人にうかがうのを忘れてました。)
講義のあとに行われたディスカッションでは、コミュニケーターがニセ科学さらにはニセ科学にかかわった人々とどのように対応していったらよいのかという、きわめて現実的な課題もたくさん議論されました。
後で、レポート書きたいと思います。
講義のあとに行われたディスカッションでは、コミュニケーターがニセ科学さらにはニセ科学にかかわった人々とどのように対応していったらよいのかという、きわめて現実的な課題もたくさん議論されました。
後で、レポート書きたいと思います。

EMは効果がなくはないのですが、もちろん万能ではありません。以前の調査によれば、他の微生物資材に比べて特に優れているわけではなく、用途によってはむしろ劣るという結論でした。
EMの問題点はその「絶対視」にあり、これは提唱者である比嘉さんが万能性を謳ったうえに他人の検証を拒否すると明言していることと関係あると思います。比嘉さんが主張するほどの効果はないし、検証しないのは科学的ではありません。
巷間言われるほどにEMは優れていないし、たとえば子供たちに川に投入させるなどは環境教育の名を借りた宗教と言われてもしかたがないでしょう。
それはそれとして、では実際に善意で使っている人たちにはなんと言えばいいのか。正直に書きますが、「こうすればよい」という答は僕にはありません。
EMの問題点はその「絶対視」にあり、これは提唱者である比嘉さんが万能性を謳ったうえに他人の検証を拒否すると明言していることと関係あると思います。比嘉さんが主張するほどの効果はないし、検証しないのは科学的ではありません。
巷間言われるほどにEMは優れていないし、たとえば子供たちに川に投入させるなどは環境教育の名を借りた宗教と言われてもしかたがないでしょう。
それはそれとして、では実際に善意で使っている人たちにはなんと言えばいいのか。正直に書きますが、「こうすればよい」という答は僕にはありません。

続き:
科学の問題として言うなら、「誰が使っているかは、ニセ科学かどうかの判断とは無関係」です。しかし、「ニセ科学対策」は社会的な問題であって、純粋に科学的な話ではありませんから、相手が誰であるかとか善意か悪意かとか、いろいろ考えてしまいます。
僕としては、比嘉さんは罪作りであるとしか言えません。
僕はEMを批判するけれども、EMを善意で使っている人については、悩ましいとしか言えないんですよ。それについての答などありません。個々に考えていただくしかない。
僕の文章を読んで、善意の人が傷つくかもしれないという懸念はたしかにあるのです。これは「水からの伝言」でも同じで、多くの人たちが善意で広めようとしている。では、批判しないほうがいいのかといえば、やはりそうではなく、批判は必要なのです。
ひとつだけはっきりさせておきたいのは、批判する科学者が悪いわけではなく、あくまでも問題の発端は万能性を謳ってニセ科学を広めた側にあるということです。
善意の人たちにがニセ科学にはまってしまうのは、僕たちにとっても非常に悩ましいことなのです。しかし、善意の人がはまるからこそ批判しなくてはならないという面もあるわけです
科学の問題として言うなら、「誰が使っているかは、ニセ科学かどうかの判断とは無関係」です。しかし、「ニセ科学対策」は社会的な問題であって、純粋に科学的な話ではありませんから、相手が誰であるかとか善意か悪意かとか、いろいろ考えてしまいます。
僕としては、比嘉さんは罪作りであるとしか言えません。
僕はEMを批判するけれども、EMを善意で使っている人については、悩ましいとしか言えないんですよ。それについての答などありません。個々に考えていただくしかない。
僕の文章を読んで、善意の人が傷つくかもしれないという懸念はたしかにあるのです。これは「水からの伝言」でも同じで、多くの人たちが善意で広めようとしている。では、批判しないほうがいいのかといえば、やはりそうではなく、批判は必要なのです。
ひとつだけはっきりさせておきたいのは、批判する科学者が悪いわけではなく、あくまでも問題の発端は万能性を謳ってニセ科学を広めた側にあるということです。
善意の人たちにがニセ科学にはまってしまうのは、僕たちにとっても非常に悩ましいことなのです。しかし、善意の人がはまるからこそ批判しなくてはならないという面もあるわけです
菊池先生のブログを訪問、例のカテゴリーが100エントリー
ある中で、幾つかコメントも追って拝見致しました。
私はEMについて全く第三者ですけれど、まずnanashi様の
コメントに感じ入りました。『「コミュニケーション」とは相手が
ある、相手を意識した営みだろうと思うからです。』に同感です。
「立ち向かう」場合は、相手を自分と反対のポジションにおいて
(黒⇔白、真⇔偽)、文字通り真っ向から攻めて?いけます。
善意の人に対して、という意味で「向き合う」ことには、相手の
置かれている環境、諸々の背景や動機に対する理解が重要ですね。
それぞれの立場や境遇の違いをどのように理解できるか、同情では
なく思いやりを持てるか、難しいと思います。
「直接対決」には専門知識(ここでは科学)という武器が不可欠、
で、非専門者は菊池先生のおっしゃる社会問題という側面から援護
できるか、共に向き合うことに努めるか何らかの途がありそうです。
つぶやき様がご配慮下さったお陰で、菊池先生のご意見をこちらで
知ることができました。ブログの応答も含めて懐の深さを感じており
ます。全般そして末文に共感・納得致します。
ある中で、幾つかコメントも追って拝見致しました。
私はEMについて全く第三者ですけれど、まずnanashi様の
コメントに感じ入りました。『「コミュニケーション」とは相手が
ある、相手を意識した営みだろうと思うからです。』に同感です。
「立ち向かう」場合は、相手を自分と反対のポジションにおいて
(黒⇔白、真⇔偽)、文字通り真っ向から攻めて?いけます。
善意の人に対して、という意味で「向き合う」ことには、相手の
置かれている環境、諸々の背景や動機に対する理解が重要ですね。
それぞれの立場や境遇の違いをどのように理解できるか、同情では
なく思いやりを持てるか、難しいと思います。
「直接対決」には専門知識(ここでは科学)という武器が不可欠、
で、非専門者は菊池先生のおっしゃる社会問題という側面から援護
できるか、共に向き合うことに努めるか何らかの途がありそうです。
つぶやき様がご配慮下さったお陰で、菊池先生のご意見をこちらで
知ることができました。ブログの応答も含めて懐の深さを感じており
ます。全般そして末文に共感・納得致します。
続き : 手段はともかく、例えば生ゴミの活用自体は良いことです
のに、本当に難しいです。
ただ後段に至り、菊池先生の取り組みや経緯を良く把握していないと
ニセの種類に混乱してきそうな気も致します。私が鈍いせいだったら
お許し下さい。所謂インチキ・詐欺の類は論外で、悩ましいグレー
ゾーン。『万能性を謳う』から批判の対象のようで、誤った使い方を
広めることがニセ度を高めることになっているように受け取られない
でしょうか。「雉も鳴かずば…」ということではないのですね。
もし出発点に殊更排除すべき問題がない場合、相手が軌道修正できる
道筋が示されるよう願われます。一度レッテルを貼られるとマスコミ
等に安易に分類され、灰色から黒を篩い落とし難くなると思います。
何故グレーであるか焦点をあてて下さることで、一般の人にとって
判断するのに難しい点が見えやすくなると考えます。
世論は是か非か二極に流されがちです。
科学者の範疇を越えるとしても、「社会」のありように関わられる
一層のご尽力を望むものです。
EMの話を発展させる場ではないと存じますし、微妙なこともあり、
いずれ別な機会に…
のに、本当に難しいです。
ただ後段に至り、菊池先生の取り組みや経緯を良く把握していないと
ニセの種類に混乱してきそうな気も致します。私が鈍いせいだったら
お許し下さい。所謂インチキ・詐欺の類は論外で、悩ましいグレー
ゾーン。『万能性を謳う』から批判の対象のようで、誤った使い方を
広めることがニセ度を高めることになっているように受け取られない
でしょうか。「雉も鳴かずば…」ということではないのですね。
もし出発点に殊更排除すべき問題がない場合、相手が軌道修正できる
道筋が示されるよう願われます。一度レッテルを貼られるとマスコミ
等に安易に分類され、灰色から黒を篩い落とし難くなると思います。
何故グレーであるか焦点をあてて下さることで、一般の人にとって
判断するのに難しい点が見えやすくなると考えます。
世論は是か非か二極に流されがちです。
科学者の範疇を越えるとしても、「社会」のありように関わられる
一層のご尽力を望むものです。
EMの話を発展させる場ではないと存じますし、微妙なこともあり、
いずれ別な機会に…
by stochinai
| 2006-10-12 21:27
| CoSTEP
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Comments(9)