5号館を出て

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高校単位偽装問題と日本的官僚システム

 ニュースを見るたびに、単位偽装をしている高校の数が増えて行くのを見て、驚いている人は意外と少ないのではないかと思います。若い人なら、かなりの数が実際に体験をしているでしょうし、今の高校生で受験科目以外の勉強も一所懸命してきたなどという学生に出会うことが、例外中の例外だというのが大学にいるものとして感じていることだからです。

 受験関係で高校から内申書を取り寄せると、単位の偽装までは見抜くことはできなくても、成績の偽装はごくごくあたりまえに行われていることはわかります。自分の生徒を大学に受からせてやりたいという高校教員の親心はわかりますが、高校ぐるみでやらなければ成績の偽装などはできるものではありません。ですから、履修していない単位を履修したかのごとくに偽装するということも、十分に想定されていた事態です。

 今回の件に関してはほとんどすべてが学校ぐるみで行われていたことは間違いないことですし、私は教育委員会、場合によっては文科省もその存在を知らなかったとは思えないのです。さらに、今大騒ぎしているマスコミだって、ずっと前からそういうことがあると知っていたのではないでしょうか。

 というわけで、私としては「なぜ今、このタイミングで騒がれ始めたのか」ということの方に興味があります。教育改革(再生の研究をしているものとしては、「教育再生」という言葉は嫌いです)を目玉にしている内閣ができあがったことと無関係ではないような気がしています。もしも、今回の単位偽装問題の責任が文科省にまで波及した場合には、文科省の頭越しに教育改革をやろうとして教育再生会議なるものを立ち上げた内閣には大きな追い風になるのでは、と邪推しています。

 さて、そもそもこの単位偽装というものが、どうしてこんなに簡単にしかも全国的に行われているのかということを考えると、高校も日本的な官僚組織の末端に位置することがしみじみと感じられます。

 日本の官僚システムは、優秀な末端公務員の存在によって支えられてきたのだと思います。末端にいる公務員の遵法精神は、熱心を通り越して異常なものに感じられることがしばしばありますが、逆に言うとこの末端の公務員が許可してくれた書類は、その後どこのレベルでも滞ることなく処理されていくだろうということは、想像に難くありません。

 自分の経験でいうと、科研費の書類などを提出するときに、「よくもそんなに細かいところまで」というくらい小さな点にいたるまで事務の方々によるチェックが入ります。私などは、時々イライラして「書類が不備で採択されないのは私の責任ですから、そのまま出してください」と思うこともありますが、許してもらえません。しかし、そのおかげで少なくとも書類上は一点の曇りもないものができあがるのですから、感謝以外の何ものでもありません。(どんなに形式上立派な書類ができても、採択されないのは私の責任なのですね(涙))。

 横道にそれてしまいました。そのように優秀な末端の公務員が、もしも邪悪な心を持ったらどうなるかという好例が、今回の高校単位偽装事件なのだと思います。校長を中心とする末端の公務員が共謀して偽装を行い、教育委員会に届けると、それはそのまま文科省までノーチェックで処理が進むということが明らかになったと思います。

 こういう末端の公務員に大きな裁量が与えられているというのは、公務員が国と一体となって国の利益のために骨身を惜しまずに働く存在であるということが前提とされて、はじめて成立するシステムです。その結果、極めて効率的な行政が行われるというわけです。

 逆に、ここに日本的官僚システムの大きな落とし穴があるわけで、昨今起きているほとんどの行政がらみの事件は、すべてがこの部分におけるほころびに端を発しています。日本型の官僚システムにおいて、末端の官僚のモラルが低下したり、面従腹背の行動を取り始めると、すべてが瓦解してしまうという脆弱さもあるわけです。

 高校単位偽装事件は、大学入学者数の実績を上げたいという校長と、その校長に評価されたいという教員と、生徒を大学に入れたやりたいという教員の親心と、できるだけ楽をして大学にはりたいと思う生徒という、反対勢力がほとんどいないところで起こったことですから、これだけ全国的に何年もあるいは十何年も続いていながら、修正されなかったのだと思います。

 そして、本来ならば監視をしなければならないはずの教育委員会も文科省も、日本型官僚システムにどっぷりつかって、それを発見できなかった(あるいは見逃してきた)ということは、もはやこの国は、「日本型官僚システム」ではやっていけないということを証明していると思います。

 改善のためには、研究費不正使用問題や論文ねつ造問題と同じように、第3者機関による監視システムがなければダメだと思います。

 また、各種裏金事件のように末端公務員が平然と違法行為を行う背景には、遵法していてはやっていられないという明らかな「法の理不尽さ」もあると思います。第3者による監視とともに、アホな規則も正していかなければ現場の支持は得られません。

 現場が動きやすいルールと厳格な監視、この二つが様々な事件にピリオドを打つための特効薬だと信じます。

【付録】
 北海道日本ハム・ファイターズが優勝してしまいましたね。ここ数日は、まったく「信じられな~い」展開でした。
Commented by 現場人 at 2006-10-27 00:14 x
政府、官僚、議員をはじめとした、マスコミへのリークは霞ヶ関や永田町では常套手段であることは常識だそうです。そういった攻勢の中で、うまく切り抜けられる人がこういう世界でのしあがる人みたいです。メール問題でも露呈したように、民主党が弱いのはこの点だと思います。(強いのは小沢党首くらい?)逆に強い(うまい)のは小泉元首相であったり自民党であると思います。
それはさておき、現場から見ると、「遵法していてはやっていられない」というのが正直な気持ちです。遵法と杓子定規の紙一重の世界で悩む日々です。科研費不正使用問題では、「検収(=現場に行って納品確認)センター」なるものが言われていますが、運営費交付金・人件費・定員削減が至上命令の中で、ただでさえ業務を効率化していかなければいかない中で極めて非現実的な内容だと思っています。(指令を出している文科省の見解は「研究機関として説明できる体制をとって下さい」でした。法人化による責任の押し付けを垣間見た感がありました。)
Commented by さなえ at 2006-10-27 08:13 x
>遵法していてはやっていられないという明らかな「法の理不尽さ」もある<と確かに思います。昨今の公務員叩きは、糞も味噌も(失礼)という少々常軌を逸しているところも見受けられます。知人が国家公務員ですが2年ごとの引っ越し、過酷な勤務、それなのに収入は信じられない安さ。仕事の質や量とバランスが全く取れていません。国のためという気持ちで入ってくる人も多いでしょうに、やってられないと倫理が緩む方向にマスコミも私たちも追いやっているところがあるような気がします。日本人は嫉妬心が強いのでしょうか。悪いことは悪い、でも良い点は認めるべきですよね。
Commented by a at 2006-10-27 10:11 x
高3の娘を持つ母親です。幸いにも娘の通う高校では、履修不足は起こっていないようです。それでも、他校に通う友達と連絡を取り合ったりしているようです。ただ、何となく進学校ならどこでもやっているような風潮になるのは非常に危険だと思います。数はどんどん増えていますが、では一体全国の高校の何割程度なのかということは全くわかりません。犠牲者が高校生なのは明確ですが、膨大な履修科目をクリアしながら、受験勉強も頑張っている子供たちが大勢いることもわかって欲しいと思います。
Commented by mm at 2006-10-27 19:09 x
鹿児島県立鹿屋高校の校長が、生徒に説明して曰く「君たちのためにやったんだよ」て。
法令違反を犯して「君たちのため」て言われても、しかも苦しむのは生徒ですし。
「見つからなきゃズルしてでも先へいく」病が、日本にはびこってますね。
Commented by とおりすがり at 2006-10-27 21:05 x
「君たちのためにやったんだよ」
解釈はいくつかあると思います。
1.本当にそうだった(生徒の希望の進路をかなえてあげたい。)
2.保身のための言い訳(有名大学への進学実績をあげて手柄にしたい。本音を隠すための口実)
2の人もいれば1の人もいると思います。日本社会全体にはびこる学歴社会という現実と、学習指導要領という建前の矛盾が露呈した結果であると思います。
そもそも世界史だけ何で必修なんでしょうか?必修って何なのでしょうか?国家の教育政策のため?そういった本質的な議論をマスコミがせず、政府が打ち出す政策にどっぷりつかって、現場の規則違反を杓子定規にあげつらう姿勢には、「公務員叩き」が目的としか思えない部分もあり疑問を覚えます。現在、日本史の必修化も議論されていますが、「自国の文化・歴史の理解」という建前に、「ナショナリズムの高揚」という本音も透けて見えます。新たな学習指導要領ができた時は批判しているマスコミも、何年かして同じ履修逃れみたいな問題が出てきたら、同じように政府の考えにどっぷり漬かり、同じ批判を繰り返すのでしょうか。
Commented by stochinai at 2006-10-27 21:34
 高校側では違法行為だと知ってやっていた。

 違法だが、生徒のため、自分のため、世の中のために「正しい」とおもってやっていた。

 しかし、教育委員会が悪いとか、文科省が悪いとか、政府が悪いとかいう言動はほとんどなかった。今もほとんどない。

 発覚したら、ひたすらに謝っている。

 これでは、今後も状況が変わるとは思えません。

 もう一回、敗戦の体制崩壊からやり直さないとダメな気がしますが、やり直してもダメな気もします。

 ため息しか出ないのですが、、、、。
Commented by j-sakanoue at 2006-10-28 00:57 x
目先のことしか考えない学校関係者どもも悪いが・・・(あとはリンク先を見てください)
Commented by ZZZ at 2006-10-28 01:27 x
高校側の立場、今のマスコミの論調を見ると、ひたすら謝るしかないのが現状であると思います。四面楚歌でどこからも完全な悪玉ですから。制度や政府などが悪いなどと批判した瞬間、マスコミ・政府・文科省などから袋叩きにあって、抹殺されるのがオチだと思います。米国の大統領や日本の前首相みたいな善悪二元論に日本全体が陥っているのが問題だと思います。
私は、問題が起こった高校の出身でありましたが、世界史は1年生の時に習いました。理系で、変わり者と言われましたが好きだったので受験も世界史を選択しました。高校の世界史では、中国の革命はすべて政治の腐敗や制度疲労による農民反乱から起こったと習いました。こういったいたちごっこの歴史は繰り返されているわけですが、今後も体制崩壊とはいかなくても歴史上明らかなように何らかの動きがあると思いますし、それを信じたいと思います。よりよい世の中になるように、メディアリテラシーをつけ、貴重な1票を投じたいと思います。
Commented by 通行人 at 2006-10-28 03:31 x
このままでは、マスゴミ得意の弱いもの(進学校、受験勉強)いじめのせいで、今回の問題は付け焼刃の対応で終わる気がします。

今、叩かれてる学校が何か言えば、親の敵のように叩かれるでしょうし、文科省としては、このまま矛先が向かわないのを願ってやまないでしょうから。

何が真の問題なのかをしっかり議論してほしいです。

大学入試の問題、高卒資格の問題、昨今の結果・効率化重視の風潮、地方進学校の置かれた状況…。いろいろあると思います。

官僚の方々の能力は高いと思うので、よりよいカリキュラムの創生を願います。

ちなみに、高校に限らず、現代史(この100年程度)の学習やメディアリテラシーの学習こそ、必要な気がします。
いずれは、みな選挙権を得るのですから。
Commented by nanashi at 2006-10-28 06:42 x
この問題でまず責任を負うべきは校長です。政府、文科省、教育委員会が悪いという校長がいたとしたら、それは民主政に唾する行為だと感じます(もちろんZZZさんのご指摘のような側面で合理的な戦術がとられているのが現実に近いと思いますが)。

それが「制度設計」の観点から酷なのだから、政府、文科省、教育委員会の責任も追及すべきだ、という議論ならばよく分かります。

けれどももし後者の観点から問題を議論するのであれば、そのような制度設計に良くも悪くも影響を与えるのは本来国民です。
批判のための批判をして政治を堕落させるのも、ベターな代案を提示してより良い制度設計を目指すのも、国民次第です。批判のための批判の方が楽ですが、これもまた民主政に対して唾する行為だと感じずにはいられません。

ちなみに、代案を出したら、その代案には必ず批判されるべき点がでてきます。どのような素晴らしい政治家が政治をしていても、欠点のない政策はありえません。それを認めて議論を始めない限り、議論が盛り上がらずに白けてしまうと思います。結局オーウェルの「動物農場」のような結末に至ってしまうな、と、先が読めてしまうから。
Commented by MANTA at 2006-10-28 21:10 x
私はこの問題が現役生だけではなく卒業生に対してどう適用されるのかが気になっています。卒業取り消しにならないとはいえない、とおもうのですがいかが… 大学卒業間近の学生がある日、高校卒業すら取り上げられるかもしれません。
http://blog.so-net.ne.jp/goto33/2006-10-26
http://blog.so-net.ne.jp/goto33/2006-10-26-1
Commented by あひゃの at 2006-10-28 22:54 x
nanashi氏のいってることが意味不明なのは私だけでしょうか?
Commented by nanashi at 2006-10-29 01:04 x
あひゃのさん
私の文章の書き方がおかしい・私の考え方そのものにおかしなところがあるせいで意味不明なのだと思います。ご指摘はわだかまりを持たずに真摯に受け止めます。ありがとうございました。
Commented by stochinai at 2006-10-29 11:37
 コメント欄は書き直しができないので、なかなか扱いが難しいですね。どちらかというと、書いたものというよりは話し言葉に近い存在になることが多いように思います。
 そういうふうにざざっと読んだものですから、私にはnanashiさんの言いたいことが、なんとなくわかったような気がしました。
Commented by こども省 at 2006-11-01 21:44 x
いつもながら勝手なTBに対し,コメントを有難うございます。
私の場合,世界史の先生が諸国の栄枯盛衰をすべて「完膚なきまでに…」でまとめてしまったことしか記憶に残っていません (^^;。まあ,それが人間の歴史なのだということだけは教わった気がします。
先日某週刊誌の読書欄に,文学部の教授が昔は新入生に「村上春樹だけが文学でない」と言えたのに今はそれさえも読んでいないという話をしていたという笑い話が出ていましたが,専門分野の細分化とその進歩・変化の加速で,異分野・異世代では会話が通じなくなる度合いがひどくなる一方だと感じています。
蛇足ですが,開設されている「はてなダイアリー」も時々チェックした方がよいかも知れません。
Commented by stochinai at 2006-11-01 23:11
 はてなダイアリーは、はてなのIDを取るために勝手に作られてしまったもので、存在すら忘れて放置しておりました。見苦しいので空っぽにしておきました。ご指摘、ありがとうございました。
Commented by maha-rao at 2006-11-20 17:43 x
「膨大な履修科目をクリアしながら、受験勉強も頑張っている子供たち」だなんて、試験さえ受かれば人間としての基本的な素養が無くてよいのか。あまりにも近視眼的な見方。こんなことだから、ろくに歴史も知らずにニッポンチャチャチャなどとやっているやからが蔓延するのだ。卒業時に第3者機関による検定試験を実施して歴史に無知な卒業生がひとりも出ないようにすべきだ
Commented by stochinai at 2006-11-20 19:04
 第3者機関が卒業検定試験をやるという意見には賛成です。ついでに、それで大学入学も許可してしまえば良いと思います。ほんとうならば、強制しなくても歴史を学ぼうという意欲が出てくるような雰囲気(文化)が必要なのだと思うのですが、、、、。
Commented by のりねこ at 2007-01-15 13:49 x
一番問題なのは…

> すぐに善悪一元論に陥って、
> 他のことが見えなくなってしまう、日本全体の状況。

ではないでしょうか。
これでは、この国の将来は非常に危険だと言わざるをえないと思います。

これに関連して、ZZZさんのコメントを
新たに自分のブログに引用させていただいたので、
報告させていただこうと思って、コメントいたしました。
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/12_9185.html
Commented by stochinai at 2007-01-15 21:20
 のりねこさん、コメントおよびトラックバックありがとうございます。この件に関しては、まだ済んでいないはずなのにほとんどニュースにもならなくなってしまいました。この国では、問題を解決することではなく、問題をあげつらって大騒ぎすることだけで、ガスが抜けてしまうのかもしれません。我々は、政治屋から見ると、扱いやすい国民となめられていそうですね。
by stochinai | 2006-10-26 21:26 | 教育 | Comments(20)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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