2006年 11月 13日
報道されない自殺
警察庁の発表した「平成17年中における自殺の概要資料(pdfファイル)」によれば、平成10年に、いきなり8千人以上の増加を見て3万人を突破してから、昨年までずっと毎年3万人以上の方が自殺しています。ただし、今年は「6月までの半年間の自殺者数が前年同期比で1254人減の1万4828人と、上半期としては2年ぶりに減少した」(北海道新聞)のだそうで、「月ごとでは昨年9月以降6月まで10カ月連続で前年同月を下回っており、年間の自殺者数は2002年以来4年ぶりに3万人を下回る可能性が出てきた」という報道もあります。
いずれにせよ、いまだに年間3万人付近の高い水準にあることは間違いないようで、それは計算上は毎日100人近い人が自殺しているということになります。自殺対策支援センターによれば、「日本で自殺する人の数は、未遂者も含めれば一日1000人」だという恐るべき推測もあります。
一方、そのうちで報道されているものはどのくらいあるでしょう。
毎日のように、学校関係者や官公庁汚職関係者の自殺が大々的に報道されているので、急に自殺が増えているかのような印象を抱きがちになりますが、おそらく統計的に見て急に増えているということはないのかもしれません。
しかし、自殺の悲劇は統計で片づけれられるようなものではありません。
もし、3万人の自殺者が1万人減って2万人になったとすれば、政府や報道関係者は「喜ぶ」のかもしれませんが、総計3万人の年に亡くなった方でも、2万人の年に亡くなった方でも、その関係者にとって、事実のの重さに差はないでしょう。
前に私は「連鎖自殺を防止せよ」というエントリーでマスコミの報道に警鐘を鳴らしました。しかし、毎日100人もの方が自殺しているという現実の前では、自殺者の総数はマスコミ報道で動くようようなものではないと思えます。報道によって連鎖が起こっているかのように思われることもありますし、確かに明らかに影響を受けるケースもあるのでしょうが、それによって連鎖自殺が起こり自殺者が増えているという「事実」は誤認で、同じような理由で自殺した人のことが次々とニュースになるので、そう感じているだけなのかもしれません。(どなたかがコメントでそう書いておられました。その通りだと思います。)
マスコミで大きく報道される数人の陰で、それまでと変わらず毎日100人近くの報道されない自殺が続いているという現実を忘れてはならないと思います。
同じように、自殺を思いとどまるように報道したからといって、自殺を思いとどまる人はどのくらいいるのでしょうか。マスコミはそろそろ冷静になって、ことさらたくさん自殺のことを取り上げたり、また自殺をとどまるように呼び掛ける拙速な番組を次から次へと作ることを思いとどまってはどうでしょう。
自殺を防ぐことのできるもっとも力を持った人は、自殺したいと思っている人のそばにいて、その人ととつながりのある人だと思います。自分を愛してくれている人を実感した時、また自分の自殺によってその人達が深く傷つくことを知った時、人は思いとどまる方へと少しは心が揺れるかもしれません。
日本中のすべての場所で、身近で苦しんでいる人達に愛を表現するという行動こそが必要なのだと思います。それは、今日明日に急にできるようなことではないでしょう。我々が生活する日本という社会の構造を変える息の長い努力なしには、この問題は決して解決しないことだと思います。
この状況では、やはりどう考えても教育基本法は何の解決になりません。どういじっても、末端で苦しんでいる子ども達が救われることに貢献することはあり得ないでしょう。国民をだます、「やらせタウンミーティング」をやってまで教育基本法を変えることに情熱を燃やして、何を目指しているのでしょう。
そんなことではなく、今求められているのは国が政府が文科省が、すべての「子ども達を愛する」ことだと思います。
子ども達に国を愛しなさいと言う前に、国が子ども達を愛してやってください。
いずれにせよ、いまだに年間3万人付近の高い水準にあることは間違いないようで、それは計算上は毎日100人近い人が自殺しているということになります。自殺対策支援センターによれば、「日本で自殺する人の数は、未遂者も含めれば一日1000人」だという恐るべき推測もあります。
一方、そのうちで報道されているものはどのくらいあるでしょう。
毎日のように、学校関係者や官公庁汚職関係者の自殺が大々的に報道されているので、急に自殺が増えているかのような印象を抱きがちになりますが、おそらく統計的に見て急に増えているということはないのかもしれません。
しかし、自殺の悲劇は統計で片づけれられるようなものではありません。
もし、3万人の自殺者が1万人減って2万人になったとすれば、政府や報道関係者は「喜ぶ」のかもしれませんが、総計3万人の年に亡くなった方でも、2万人の年に亡くなった方でも、その関係者にとって、事実のの重さに差はないでしょう。
前に私は「連鎖自殺を防止せよ」というエントリーでマスコミの報道に警鐘を鳴らしました。しかし、毎日100人もの方が自殺しているという現実の前では、自殺者の総数はマスコミ報道で動くようようなものではないと思えます。報道によって連鎖が起こっているかのように思われることもありますし、確かに明らかに影響を受けるケースもあるのでしょうが、それによって連鎖自殺が起こり自殺者が増えているという「事実」は誤認で、同じような理由で自殺した人のことが次々とニュースになるので、そう感じているだけなのかもしれません。(どなたかがコメントでそう書いておられました。その通りだと思います。)
マスコミで大きく報道される数人の陰で、それまでと変わらず毎日100人近くの報道されない自殺が続いているという現実を忘れてはならないと思います。
同じように、自殺を思いとどまるように報道したからといって、自殺を思いとどまる人はどのくらいいるのでしょうか。マスコミはそろそろ冷静になって、ことさらたくさん自殺のことを取り上げたり、また自殺をとどまるように呼び掛ける拙速な番組を次から次へと作ることを思いとどまってはどうでしょう。
自殺を防ぐことのできるもっとも力を持った人は、自殺したいと思っている人のそばにいて、その人ととつながりのある人だと思います。自分を愛してくれている人を実感した時、また自分の自殺によってその人達が深く傷つくことを知った時、人は思いとどまる方へと少しは心が揺れるかもしれません。
日本中のすべての場所で、身近で苦しんでいる人達に愛を表現するという行動こそが必要なのだと思います。それは、今日明日に急にできるようなことではないでしょう。我々が生活する日本という社会の構造を変える息の長い努力なしには、この問題は決して解決しないことだと思います。
この状況では、やはりどう考えても教育基本法は何の解決になりません。どういじっても、末端で苦しんでいる子ども達が救われることに貢献することはあり得ないでしょう。国民をだます、「やらせタウンミーティング」をやってまで教育基本法を変えることに情熱を燃やして、何を目指しているのでしょう。
そんなことではなく、今求められているのは国が政府が文科省が、すべての「子ども達を愛する」ことだと思います。
子ども達に国を愛しなさいと言う前に、国が子ども達を愛してやってください。
by stochinai
| 2006-11-13 22:09
| 教育
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