2006年 12月 12日
他人を見下す若者たち
今頃と言われてしまうかもしれませんが、先週からお風呂図書館(もちろん自宅です)の中で読んでいた本「他人を見下す若者たち」を読了しました。
なかなか、おもしろかったです
少し前まで私が考えていたことは、今の若者たちは実際に自分を試すことから逃げており、逃げている間はまだ試されていないわけですから、論理的には「自分には無限の可能性がある」と思うことも可能なわけで、その状態(昔ならば執行猶予と言っていたのでしょうが)をできるだけ長く続けようとしているのではないかということでした。
それはおそらく、この本で「仮想的有能感」という概念で語られていることと似たようなことだと感じました。つまり、確かにこの本の著者のいうような傾向は私が接している若者たちに広がっていると言って良いと思います。
しかし、今やそれは若者たちだけのことではなく、その気持ちのまま年を重ねた「おとな」もたくさんいる時代になってしまったようです。
若者特有の有能感あるいは傲慢さというものは昔も同じようにあったのでしょうが、それは様々な経験を積むうちに、年とともに自然に消えていくようなものだったのだと思います。しかし、今はその気持ちを持ち続けたまままま年を取る人が増えているということなのかもしれません。
しかも、みんなが被害者意識を持っているのです。
ここから抜け出すのはなかなか大変そうですが、ひとつのヒントは「不真面目のすすめ」かもしれません。
これについては、また改めて考えてみたいと思います。
なかなか、おもしろかったです
少し前まで私が考えていたことは、今の若者たちは実際に自分を試すことから逃げており、逃げている間はまだ試されていないわけですから、論理的には「自分には無限の可能性がある」と思うことも可能なわけで、その状態(昔ならば執行猶予と言っていたのでしょうが)をできるだけ長く続けようとしているのではないかということでした。
それはおそらく、この本で「仮想的有能感」という概念で語られていることと似たようなことだと感じました。つまり、確かにこの本の著者のいうような傾向は私が接している若者たちに広がっていると言って良いと思います。
しかし、今やそれは若者たちだけのことではなく、その気持ちのまま年を重ねた「おとな」もたくさんいる時代になってしまったようです。
若者特有の有能感あるいは傲慢さというものは昔も同じようにあったのでしょうが、それは様々な経験を積むうちに、年とともに自然に消えていくようなものだったのだと思います。しかし、今はその気持ちを持ち続けたまままま年を取る人が増えているということなのかもしれません。
いずれにせよ今後予想される社会は、個々バラバラの社会である。誰もが競争に勝ち抜くために、先手をうつかたちで、まわりの相手を軽蔑したり軽視したりするのである。それは人間同士の暖かみが伝わらない冷え切った社会である。学校でも会社でも、人は自分の幸せだけに関心を持ち、みんなで支え合う農耕社会的な要素をすっかり忘れてしまうだろう。いじめも、競争社会も、自己責任も、リストラも、刺客選挙も、使い捨て議員も、この原因でみんな説明できてしまうところが怖いですね。
しかも、みんなが被害者意識を持っているのです。
現在、多くの人達が、この厳しい世の中で自分だけが犠牲者で、ストレスを多分に受けていると思いこんでいる。家族ですらも母は娘に、「あなたがまじめに勉強しないから、私はストレスがたまって食事も十分にできない」と嘆く。娘は娘で「お母さんがあまりうるさいからストレスがきつくて下痢が続き、勉強どころでない」と言ってキレる。上司は、いたらない部下のせいで、自分がこんなにストレスに苦しめられていると思っており、部下は、上司がもう少しましだったら、俺たちの仕事のストレスは半減すると考えられている。親殺し、子殺しに親殺しの家庭内殺人、会社内殺人、すべての原因がここに見えてしまいます。
ここから抜け出すのはなかなか大変そうですが、ひとつのヒントは「不真面目のすすめ」かもしれません。
これについては、また改めて考えてみたいと思います。
ドキっとしますね。私も若くもないけど『傲慢&被害妄想人間』になっているかも・・・。
気をつけます。
気をつけます。
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今は研究実績はないけれど、きっと自分は何かできる、教授よりも優秀なハズだ、と思い込まなければやってられない、研究という商売もあります。若いヒトにあるのは未来だけですから。

>若いヒトにあるのは未来だけですから。
その未来の影が薄くなっていく30代に鬱病が広がっているのですね。
未来すらもなくなってしまって。
傲慢も裏を返せば、自分の存在への絶対的な肯定感が持てないところから生まれているような気がします。
その未来の影が薄くなっていく30代に鬱病が広がっているのですね。
未来すらもなくなってしまって。
傲慢も裏を返せば、自分の存在への絶対的な肯定感が持てないところから生まれているような気がします。

実験屋だと年令が重ねるにつれて未来は消えてゆきますが、ピンチを切り抜けた体験が増えてゆきます。本当に偉いヒトはビンチで追い込まれることはないんでしょうけども。ピンチを切り抜ける回数を重ねるごとに、ピンチで追い込まれても何とかなるという根拠のない自信が産まれてきて、何となく自分の存在が落ち着いてくるような気がします。

alchemistさんのコメントを読むと、何だか欽ちゃんが旗を持って中小企業の社長を励ますTVCMのようですね(笑)。案外ラボヘッドというのは町工場のオヤジ社長なのかもしれません。

はいな〜、零細企業のオヤジですわ。
色んな研究室を巡ってきましたけど、どこも大学院生まで入れても精々10人程度ですねん。一人一人を良く見ることができる規模ということですか・・・。そやから、ラボの出身者がうまく行ってると嬉しいし、トラブっていると聞くと辛いですね。外に出たヒトに何ができるワケでもないんですけどね。
色んな研究室を巡ってきましたけど、どこも大学院生まで入れても精々10人程度ですねん。一人一人を良く見ることができる規模ということですか・・・。そやから、ラボの出身者がうまく行ってると嬉しいし、トラブっていると聞くと辛いですね。外に出たヒトに何ができるワケでもないんですけどね。
by stochinai
| 2006-12-12 23:19
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