5号館を出て

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気に入らない遺伝子を消して作る生物

 私もこのニュースを聞いた時にエッと思ったのですが、Salsaさんがエントリーを立ててくださいましたので、それにトラックバックする形で書いてみます。

 【CNNより】プリオンを持たない牛

 Salsaさんが引用していたニュースはCNN.co.jpの「『プリオン』を持たないウシの飼育に成功、日米研究者」ですが、朝日コムにもあります。「プリオン持たない牛の飼育に成功 BSE解明に有用」です。そして、原著論文の要約はこちら「Production of cattle lacking prion protein」です。

 実は話は簡単で、最近の遺伝子工学と生殖工学の技術を使うと、比較的簡単に目的の遺伝子の機能を失わせた動物や植物を作り出すことができます。ノックアウトとかノックダウンという言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、遺伝子を追い出したり壊したりという意味です。

 プリオンが原因と言われているウシの病気で恐れられているBSE(狂牛病)の原因は、どんな動物でももともと持っているプリオンというタンパク質が、病気の原因になる異常プリオンと接触して異常プリオンに変わってしまうことだという説が現在、もっとも有力です。このプリオンタンパク質というのは酵母でも見つかっており、かなり多くの生物が持っているものなのですが、その機能が良くわかっておりません。

 最近は機能のわからないタンパク質があった場合には、その遺伝子のはたらきを壊してみて何が起こるかを見るということが普通に行われます。もちろんプリオンに関しても、その遺伝子のはたらきをなくしたマウスがすでにたくさん作られているのですが、とりあえず生命に別状がないことは確かなようです。脳のはたらきにちょっと問題があるかもしれないという報告はありますが、重大な変化は見出されていません。

 マウスはなかなかBSEのようなプリオン病にかかりにくいので、比較的容易にプリオン病であるBSEにかかりやすいウシを使って、プリオン遺伝子を壊して(正常な)プリオンタンパク質を持たない動物を作ったというのがニュースになった報告です。このウシは正常プリオンを持っていませんから、異常プリオンを注射してもBSEにはならないことが予想されており、少なくともタンパク質のレベルではそれが証明されています。

 さて、この結果を我々はどう解釈したら良いのでしょうか。もちろん生物学的には、論文に書かれているように、BSEがどのように起こるのかという研究に役立つ結果なのですが、その一方では、たとえ異常プリオンにさらされてもBSEにならないウシを作ったということで、それがBSE問題で悩んでいるウシ畜産業界には光明になるかもしれないという解説がなされています。

 さすが北海道が誇る科学技術コミュニケーターのSalsaさんはここで立ち止まるのです。
 BSE対策というだけで(←この理由が大きいか小さいかはさておき)、牛のプリオンを無くしていいのかしらとも思ってしまう。プリオンに詳しいわけではないが、BSEとしてはやっかいであっても、無くすことで別の病気になったりしないのかと頭をよぎります。

 それにしても人間の都合でどこまでやっていいのか、基準の持ち方が難しいと思う今日この頃ですぅ。

 このニュースを伝えるのに、マスコミはどちらかというと「遺伝子工学・生殖工学によってBSEの心配のないウシが作り出されました」という明るい面を強調するニュアンスで書いているような気がしました。もちろん、そういう可能性もあるのですが酵母から人間までが持っている遺伝子であるならば、それが無用の長物であるわけはないのではないか。そのような、ひょっとすると大切な遺伝子を壊した動物を作っても大丈夫なのか、という感覚はとても健全なものだと思います。特に、科学技術を解説することのできる能力を持ったコミュニケーターとしては、あらゆる科学技術のニュースを批判的に読み解くことが要求されているのだと思います。

 科学技術は人間の生活を豊かにするという目的に沿った結果と裏腹に、時には予測できない副産物として人を不幸にすることもあり得るものです。

 科学技術コミュニケーターは科学技術の素晴らしさを伝えるだけではなく、その危険性も正しく伝える人でなければならないでしょう。さらには、たとえ相手が家畜だからといって、やはりそこにやっていいことと、やってはいけないことがあるのではないかという指摘も大切なポイントだと思います。

 こう考えると科学技術コミュニケーターの大切な役割のひとつが「悩む」ということだということがはっきりしてきます。

 全世界の科学コミュニケーターの皆さん、事実を前にまず悩みましょう!
Commented by Salsa at 2007-01-03 03:34 x
あけましておめでとうございます。新春TBありがとうございました。原著論文探したのですがよくわからず、その上BESとプリオンの説明もせずに、結局バトンをつぶやきさんに渡してしまったようで恐縮しております。毎度すみません。今年もよろしくお願いいたします。

>>科学技術コミュニケーターの大切な役割のひとつが「悩む」ということだと

 イタイところというか、ずばりというか、言い当てられていて驚いております。そうなんです、悩むんです。改めて思うのですが、「科学技術コミュニケーター」は答えを出す役柄ではなく、たくさんの人に考えてもらい、「答え」を持ってもらう役なのかもしれませんね。なので、コミュニケーターが率先して「悩む」ことが大切なのでしょうね。
 また、研究者の立場、消費者の立場、牛(自然)の立場でそれぞれ考えていては答えに到達しないだろうとも思っており、もう一段別の階層でも問題を整理する能力が必要だなとも感じております。
Commented by もも at 2007-01-03 09:07 x
いつもお邪魔虫です。今年も楽しみにしております。
昨夜、国営放送の中国・チベット間の高速列車の映像を見て、悩みました。便利だ、乗客の笑顔も素晴らしい。でも、これでいいのか、と。大自然のなかを最先端の列車が走り抜ける矛盾。そのひずみは、どこかに現れるはずではないかと。
先生の今年のご活躍を、楽しみにしております。
一年間、お元気でありますように。
Commented by ヨシダヒロコ at 2007-01-03 12:04 x
そういえば、前から「絶景」ブームにあれ?と思っていたのですが、絶景は観光地化しないほうがいいすね。
Commented by stochinai at 2007-01-04 20:20
 Salsaさん、今年もよろしくお願いします。
 今年は、コミュニケーター本格始動の年ということにしましょう。

 ももさん、いつも励まされております。
 大自然を簡便に楽しめるようにしてしまうのが、人間の過ちなのでしょうね。苦しんだ人だけ楽しめるというふうにはできないものでしょうか。

 ヨシダヒロコさん、世界遺産もそうですけれども、手つかずの自然の保護はとても難しいですね。知られなければ保護されることもないけれども、知られると破壊者も殺到することになります。結果的に、どちらが保護することになるのかと考えると、本当に人間というのは手に負えない愚か者だという気になってきます。
by stochinai | 2007-01-02 23:55 | 生物学 | Comments(4)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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