2007年 02月 21日
社説を盗用した新聞社は廃刊してください
先ほどラジオでNHKのテレビニュースの音声だけを聞いていたら、新潟日報の社説に朝日の社説から盗用した記事があったということを言っていました。
驚いてグーグルニュースを見てみたら、そのニュースは載っておらず昨日のニュースとして山梨日日新聞社が、昨日記者会見をして同新聞の社説に、神戸新聞と西日本新聞の社説からの盗用があったという記事がありました。(しばらくして、ポツポツと出てきているようです。)
この国では、新聞すらもここまで墜ちてしまったのか、という思いがします。
朝日新聞のような大新聞者でも、つい最近カメラマンによる記事の盗用事件があったと報道されていました。カメラマンに記事を書かせることが妥当かどうかはさておき、天下の朝日新聞が配信する記事に盗用があったということは事実です。その時はなんとなく。記者の不適切行動(記事のねつ造、やらせ、盗用)などは、ある意味での「ノイズ」として避けられないのかもしれないと思っておりました。
しかし、新聞社の顔である社説に盗用があるということになると、これは次元の違う話と言わざるをえません。社長が辞めるくらいで済むことではないと思います。
私などはまだまだ古い人間ですから、報道に関しては新聞が一番正しくて、次がラジオ報道、そしてテレビ報道、週刊誌はウソを書くことも多い、というような浅はかな認識をもっております。それがあるからこそ、朝日新聞を20年以上も定期購読し、NHKの受信料を年間分一括払いするなどという「優等生」的な行動を取っているのです。
今回の事件は、地方新聞の力がなくなってきて、論説委員ですら社説を書く力がなくなってきたということを意味するのだと思います。社説を書く力のない論説委員しかいない新聞社など、存在意義はありません。社説をコピペするだけなら、我々のようなブログでも十分にできます。さらに、多くのブログでは、コメントをつけて非常に有意義な批評活動も行っています。
自力で社説も書けないような新聞社は、マスコミから退場してください。
また今回の事件を見て、地方紙がこのような状況にあるということは、全国紙やNHKなどにも同じ波が襲っていると考えるべきだと思います。全国紙やNHKの皆さんには、今回の事件(この先、まだまだ続々と類似の事件が告発されてきそうな気がします)が)を他人事として考えずに、ジャーナリズムとは何なのかという原点に立ち返って再出発することをお願いしたいと思います。(民間放送と地方紙は、、、、。)
とりあえず、新聞は権力の監視装置としての原点に戻ること、それからNHKは政府の命令放送などを断固としてはね返すこと、そうした国民の側に立った姿勢を取り戻すことなくしては、ジャーナリズムとして衰退の一歩をたどるだけだと確信します。
今のままでは、マスコミは静かに無視されて殺されてしまうでしょう。そして、それは決して我々にとっても幸せなことではないと思うのです。
驚いてグーグルニュースを見てみたら、そのニュースは載っておらず昨日のニュースとして山梨日日新聞社が、昨日記者会見をして同新聞の社説に、神戸新聞と西日本新聞の社説からの盗用があったという記事がありました。(しばらくして、ポツポツと出てきているようです。)
この国では、新聞すらもここまで墜ちてしまったのか、という思いがします。
朝日新聞のような大新聞者でも、つい最近カメラマンによる記事の盗用事件があったと報道されていました。カメラマンに記事を書かせることが妥当かどうかはさておき、天下の朝日新聞が配信する記事に盗用があったということは事実です。その時はなんとなく。記者の不適切行動(記事のねつ造、やらせ、盗用)などは、ある意味での「ノイズ」として避けられないのかもしれないと思っておりました。
しかし、新聞社の顔である社説に盗用があるということになると、これは次元の違う話と言わざるをえません。社長が辞めるくらいで済むことではないと思います。
私などはまだまだ古い人間ですから、報道に関しては新聞が一番正しくて、次がラジオ報道、そしてテレビ報道、週刊誌はウソを書くことも多い、というような浅はかな認識をもっております。それがあるからこそ、朝日新聞を20年以上も定期購読し、NHKの受信料を年間分一括払いするなどという「優等生」的な行動を取っているのです。
今回の事件は、地方新聞の力がなくなってきて、論説委員ですら社説を書く力がなくなってきたということを意味するのだと思います。社説を書く力のない論説委員しかいない新聞社など、存在意義はありません。社説をコピペするだけなら、我々のようなブログでも十分にできます。さらに、多くのブログでは、コメントをつけて非常に有意義な批評活動も行っています。
自力で社説も書けないような新聞社は、マスコミから退場してください。
また今回の事件を見て、地方紙がこのような状況にあるということは、全国紙やNHKなどにも同じ波が襲っていると考えるべきだと思います。全国紙やNHKの皆さんには、今回の事件(この先、まだまだ続々と類似の事件が告発されてきそうな気がします)が)を他人事として考えずに、ジャーナリズムとは何なのかという原点に立ち返って再出発することをお願いしたいと思います。(民間放送と地方紙は、、、、。)
とりあえず、新聞は権力の監視装置としての原点に戻ること、それからNHKは政府の命令放送などを断固としてはね返すこと、そうした国民の側に立った姿勢を取り戻すことなくしては、ジャーナリズムとして衰退の一歩をたどるだけだと確信します。
今のままでは、マスコミは静かに無視されて殺されてしまうでしょう。そして、それは決して我々にとっても幸せなことではないと思うのです。

最近マスメディアの自殺が目につきますが、そこに我々消費者がどの程度関与しているかは検証されなければならないと思うのです。
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地元住民です。昨夜の全国ニュースに出て驚いたところです。購読はしていませんが記事や連載を頼まれたことがあって残念です。実名が出ていますが,昨年11月に新潟市で開催された「原子力委員会政策評価部会 ご意見を聴く会」にも『有識者』として参加していて,いろいろな意味で社会的責任がある立場なのに。
http://aec.jst.go.jp/jicst/NC/senmon/seisaku/siryo/kikukai2/kikukai-si.htm
http://aec.jst.go.jp/jicst/NC/senmon/seisaku/siryo/kikukai2/kikukai-si.htm

かつて日本経済新聞の論説委員だったこともある、月刊「FACTA」の編集長が、社説についてブログにこんなことを書いていました。
http://facta.co.jp/blog/archives/20061217000294.html
http://facta.co.jp/blog/archives/20061217000294.html
消費者の責任はもちろんあると思いますが、そこに話をもっていくと「一億層懺悔」になってしないそうで、、、。
自分で文章を書けない「有識者」とは、かなりのブラックジョークですね。
内部の人間が社説無用論を説いているのは驚きました。誰も読まないなら、盗用してもばれないと思うかもしれません。これは、かなり前から新聞は死んでいたと判断すべき資料のひとつですね。
自分で文章を書けない「有識者」とは、かなりのブラックジョークですね。
内部の人間が社説無用論を説いているのは驚きました。誰も読まないなら、盗用してもばれないと思うかもしれません。これは、かなり前から新聞は死んでいたと判断すべき資料のひとつですね。
by stochinai
| 2007-02-21 22:28
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Comments(4)