5号館を出て

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論文ねつ造:大阪府立大学

 意外と大きなニュースになっていないのは、研究者が論文をねつ造するなどということは、もはや日常茶飯事と化してきたことを意味するのかもしれません。

 しかし、今回の事件のニュースを読むと、私には追いつめられた大学院生と、業績作りに追われる教員の姿が見えてくるように思えます。

 前置きとして、データをねつ造したとされる大学院生が一昨年(つまり修士1年生の秋)の応用物理学会で奨励賞を受賞していたという話が大きいと思いました。学会の奨励賞などというものは、安物の賞状とあったとしてもちょっとした賞金をもらえるだけのものでしょうから、それをもらうためだけに論文のねつ造まではしないと思われるかもしれませんが、大学院生にとっては奨励賞をもらうことが、その先のキャリアに大きな影響を及ぼすものとして受け止められていたとしたら、状況は一変するのではないでしょうか。

 修士の1年生で賞をとったということは、たとえ4年生の卒業研究から継続して研究していたとしても、たかだか1年くらいの研究に対して賞が与えられたということになります。冷静に考えれば、よほどの天才的な学生ではない限り、その研究は指導教員の大きな貢献があってこそ成り立っているものなのに、それに奨励賞を与えるとは学会も酷なことをするものだと思いました。

 想像ですが、この学会で奨励賞をもらった学生は、その後順調に研究を続けていれば、有名な研究室でポスドクになれるとか、外国の著名な研究室に留学できるとか、**の企業に優先的に採用されるらしいとかいう「伝説」があったかもしれません。そうでなくとも、大学院を出たあとの就職が厳しい中で「学会の奨励賞」は、将来の研究職ポストを得るためには大きな勲章になるはずです。

 そんな状況の中で、奨励賞をもらってしまった学生は、その研究を「成功」させることができなければ、自分の将来が閉ざされてしまうという強迫観念を持ったのかもしれません。

 教授から与えられたテーマの実験には、教授の願望的な結果がともに伝えられることが多いと思います。つまり、教授の予想通りの結果が出たら「成功」でそうでなければ、「失敗」と学生が思いこんでも不思議はありません。

 教授は「実験は彼に任せていた。きれいなデータで全く疑わなかった。管理者としての私の責任」だと語っているそうですが、自分が期待していたデータを学生が持ってきたことで、目が曇ってしまっていたとも考えられます。学生は「理想的な特性を表す数値を約1千個捏造し、入力していた」ということです。先生の期待に沿ったデータを作ってあげたというところでしょう。

 もちろん、データをねつ造した学生が一番悪いし、それを見抜けなかった教授の責任も免れないとは思いますが、偶然に大きく左右されることも多い学問の結果が、未来の人生や経済的状況に直接跳ね返ってくるような状況がある以上、この手の「事件」はニュースにならないくらい、たくさん出てくるのは避けられないと思います。

 研究や教育に競争を持ち込むということが、こういう結果を招くであろうことは、わかっていたことです。こういう状況を、厳罰主義だけで乗り切れるかどうかを冷静に考えるべき時ではないでしょうか。
Commented by K_Tachibana at 2007-03-01 00:30 x
来週のメルマガに載せるつもりでいますが,以下のようなニュースも飛び込んできました.

●国立大学交付金、競争型に 規模より研究重視
http://www.asahi.com/life/update/0227/005.html

●大学に競争的予算配分導入も…経済財政諮問会議で議論
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070227ia24.htm

これと府大の事件とを重ね合わせると,どういうシナリオが描けるか,想像するに難くありません.

研究事件もローカルニュースレベルでは,枚挙にいとまがありません.県研究員の事件は徳島新聞の三面トップニュースで,四国放送のローカル番組でもトップで伝えていました.

●不法投棄で法学部教授逮捕 六法全書、衣類…計67キロ
http://www.saga-s.co.jp/view.php?pageId=1618&blockId=350500&newsMode=article

●ごみを捨てた法学部教授逮捕
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200702280042.html

●県保健環境センター 県研究員がセクハラ 女性臨時職員に
メールや性的発言 停職1ヵ月懲戒処分
2007/02/27 徳島新聞

▼徳島県保健環境センターの50代男性の専門研究員兼科長。



Commented by inoue0 at 2007-03-01 06:52
>研究や教育に競争を持ち込むということが、
 結果に対する褒章で差がつくならまだましですが、研究費の段階で差がつくんでは、一種の出来レースにしかならないでしょう。ある講座でしかできない実験なら、研究者の力量もアイディアも関係ない。
 何度も議論されてますが、一定水準を満たした講座には(その規模に応じて)平等に資金をばらまく方が、いい結果が出ると思います。大学の研究は、有望なシードを作ればいいのであり、それを育てて刈り取るのは企業の仕事です。
Commented by K_Tachibana at 2007-03-01 12:34 x
inoue0さんに同意します.
「選択と集中」の名の下に競争原理をもちこんでも,結局は過去の結果の出た人にしか予算が寄せられるだけなら,大学から本当にイノベーティブな研究はうまれないと思います.
Commented by DrBlack at 2007-03-02 07:07 x
私はこの3月で大学教員を辞めますが、今の大学のあり方(表面的な米国の猿まねの競争市場主義)ではイノベーティブな研究は望めません。最近の株式会社立の大学では専任教員の不足が指摘されています。私自身は競争原理導入傾斜研究費予算配分で大学ではマックスの研究費もらったほうですが、これはおかしいと思います。
Commented by stochinai at 2007-03-02 19:54
 みなさんがおっしゃるとおりなのですが、不思議なことに大学の中で「競争は効果がない」という声がそれほど大きくならないのです。抵抗勢力というレッテルを貼られたくないのか、自分だけは生き残れば良いと思っているのか、気にもしていないのか。

 少なくとも教育費用が競争によってまかなわれるようになるのはおかしいということはわかると思うので、ただ単にかかわりあいになりたくないという人が多いのかもしれません。
Commented by inoue0 at 2007-03-02 21:37
 実験結果を操作するぐらいは見抜けなくても仕方ないと思うのですが、そもそも「実験をしていない」のを、どうして同じ研究室の人たちが気がつかなかったんでしょうか?
 電子工学の研究室なんて入ったこともないから事情はよくわからないんですが、結構おおがかりな装置を動かして薄膜を成長させると聞いてます。とすると、誰がどれだけ実験してるかなんて筒抜けでは?
Commented by stochinai at 2007-03-02 21:50
 他の研究室の助手の方達から激しい追求があったと、どこかで読んだ記憶がありますので、おそらく身近の人々はみんな気がついていたのでしょうね。逆にいうと、教授が身近ではなかったということかもしれません。
Commented by DrBlack at 2007-03-03 07:55 x
確かに、あの研究成果はおかしい、できすぎだ、あまりに綺麗過ぎる、と実際に現場でやっているとわかります。ただ、今まではそれが取り上げられて賞をとるなんてなかった。ところが今は過剰な競争原理で、なんでもかんでも目立つものはいいじゃないか、となったんでしょう。アルアル事件を笑えません。そして論文や学会で、徹底的に批判をするような自由な土壌が不可欠でしょう。海外のラボでやっていたときの自由な風土を味わうと日本は難しいと思ったのが20年前ですが、20年たって高齢化でこうなったんでしょうか。
Commented by okeat at 2007-03-03 21:36 x
私は民間企業の技術者であるが、最近の論文捏造事件の記事を読むたびに、学生時代の苦々しい思い出が蘇る。公になりはしなかったが、教室内での予定調和的なデータ捏造など日常茶飯事であったし、当時はネットなどもなかったため、海外のマイナー論文の改変コピーなども普通に行われていた。正直、なにを今更という感を実はこの世界を知っている者の多くが持っているのではないだろうか?
企業に於いては、商品化という前提があるため、安全性、製造管理等での手抜きは日常的に起こり得ても基礎データの捏造などということはやった所で意味もなくすぐ発覚するため基本的にはありえない。しかしながら、研究員が学位申請をするときなどには同じ様な事は少なからず起こっており、事実上黙認しているのが実情であろう。左様に学問の世界に性善説持ち込むのは意味の無い事と私は思っているが、このような実態が公になり象牙の塔の住人の仮面が剥がされて行くことは結果的には良い事であろうと思う。所詮、真に意味のある成果は時間という風雪に耐え得たものだけであるという事は今も昔も変わらないという事を信じていたいと思う。
Commented by stochinai at 2007-03-04 00:01
 結局、我々という人間は監視の目がなければ不正をやるものだと覚悟しなければならないのだと思います。試験監督がいなければ、ある割合の学生は確実にカンニングするというのと同じことだと思います。ほとんどの学生はしませんが、かなりしっかり見張っていてもカンニングしようとするやつもいます。外国のことはわかりませんが、我々日本人はそれをする国民です。競争が激しくなれば、不正をやろうとする人間が増えることも事実だと思います。
 それを防ぐには、無用な競争をさせないことと、しっかりと機能する「監視の目」があれば良いのだと思います。監視の目としてもっとも効果的なものは、自分を含めてすべての人間が監視をする体制があることだと思います。国民総スパイということではなく、国民のすべてが隣の人が何をしているかを理解し合うことが、「監視」にもなるのではないでしょうか。
 私にとってのサイエンス・コミュニケーションは、そうした「監視してもらう」ということも含まれています。
Commented by inoue0 at 2007-03-04 05:52
 ナイーブな意見かもしれませんが、実験結果に成功も失敗もないのではないでしょうか。
 ある物質を合成しようという明確な目的があって、実験した結果、それに失敗したとしても、特定ルートが不可能であるという否定的証明にはなってるのですから、実験結果に意味がないわけではない。それが公開されれば、後に続く人が同じ失敗をしないで済みます。
 学位取得段階では、せいぜい、オーソドックスな研究手法をマスターしているかを見るべきで、きれいなデータが出ているかどうかなどはどうでもいいんじゃないか。
 Ph.Dは、研究者の出発点につく資格証明以上でも以下でもないんですから、その程度で与えていいんじゃないかと思うのです。
Commented by 一研究者 at 2007-03-04 12:27 x
stochinaiさまの仰るとおりだと思います。
監視の眼がなければ我々は・・・というのは、とても悲しい教訓のような気がしますが。

ところで教育に競争をというのは、大学で崩されて以降、高中小幼とさらに拡大しつつあります。ややはなれる話で恐縮ですが、4月に小中で全国学力テストがありますよね。これもまさに競争原理の無用な導入だとわたしは思っているのですが、札幌でもやるのですか?市長はたしか、旭川学テ裁判のときの弁護人だったと思うのですが・・・
Commented by stochinai at 2007-03-05 00:53
 関連のエントリーを書きましたので、ご覧頂けると幸いです。博士論文に関しては、オリジナリティがなくてもいいじゃないかというinoueさんのご意見に、特に反対はありません。しかし、ねつ造は読者に迷惑をかけますので、やっぱりダメですよね。

 一研究者さん。学力テストに関しては、北教組はできれば阻止したいと言っていますが、昔みたいに実力闘争をやるとは言っていないみたいです。市長さんが弁護人だったかどうかは知りませんでしたが、市長とか知事になると、なかなか「過激な」行動は取りにくそうです。それは、さておき今朝の朝日新聞に載っていた学力テストと個人情報という視点は、もっと議論されても良いと思います。文科省が言っていることが事実であるならば、無記名でやるべきものだと、私も思います。
by stochinai | 2007-02-28 21:44 | 大学・高等教育 | Comments(13)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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