5号館を出て

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女性研究者に贈る週末DVD劇場:プルーフ・オブ・マイ・ライフ

 最近、週末や休日でもゆっくりとDVDで映画を見る時間がとれなかったりすることが多かったのですが、たまには無理してでも映画を見ようということで昨日のうちに1本借りてあったものを見ました。映画は「プルーフ・オブ・マイ・ライフ(原題: Proof 証明)」です。

 大学が舞台になる映画は、たとえ外国映画でもなんとなく共感の持てるシーンが多いものです。しかし、この映画はいちおうシカゴ大学が舞台になっているのですが、それほど大学のシーンは多くなく、ほとんどの場面が数学者の家の中で進行します。情報によると、もともとは舞台劇だったということで納得しました。舞台と同じように基本的に会話だけで進行する、心理映画です。

 引退しかけている天才数学者(アンソニー・ホプキンス)がボケ始めながらも「研究」を続けようとしているのですが、明らかに介護を要求するレベルにまで陥ってきます。もちろん妻もいません。すでに家を飛び出してニューヨークに出ている長女はあてにならず、自宅を出て隣町のエバンストンにあるノースウェスタン大学に進学したばかりの次女(グウィネス・パルトロー)は、父と同じ数学を専攻して才能の萌芽を認められながらも、結局家に帰って父親の世話をすることになります。

 父の介護のために、大学での研究をあきらめただけではなく、家に帰って父の介護をしながら自力で数学を勉強し、最後には父が望んでいた定理の証明をするのですが、父はすでにそれを評価する能力を失っていた上に、あっさりと死んでしまいます。彼女はその証明を書いたノートを鍵のかかった父の引き出しにそっとしまっておくのですが、父の指導を受けていた弟子に発見させるように仕向けます。

 証明の書かれたノートを「発見」させられた弟子や葬儀のために戻ってきていた姉は、その証明をしたのは彼女ではなく、狂っていたと思われていた父親が一時的に狂気から復帰して書いた最後の仕事だと疑うのです。

 一度、大学での数学の研究をあきらめることで研究をあきらめさせるということで一度殺されたグウィネス・パルトローは、その証明を自分がやったということを認められないことでもう一度殺されることになってしまいます。

 ここまで追いつめられたグウィネス・パルトローは、数学も故郷も捨てることを決心し姉とニューヨークへむかうことになるのですが、、、、、、。

 コンピューターや先端設備の研究室を必要としない数学研究というものが、いまでもほんとうにあるのかどうか私には良くわからないのですが、論理的に突き詰めていくことで何かを証明していくという作業は、基本的にはペンとノートがあればできる学問・研究であるという事情は今でも同じなのかもしれません。

 そうだとするとこの手の数学研究は、文献にアクセスすることさえできれば、それほどの研究費も必要とせず、内容の真偽もすぐにチェックすることができますので、昨今世界中で問題になっているねつ造とも無縁でいられるのではないかと思います。もちろん、数学の研究で生活ができるほど収入を得られる人ということになると、その数はかなり限られてくるとは思いますが、お金に縛られずに誰にも媚びることなく研究ができるのだとすると、研究費がないと手も足もでなくなっている、最近の実験系の研究者からみると、とてもうらやましくも思えます。

 現実問題として、数学科の学生数もそのようですし、数学の女性研究者というものはとても少ないのだと思いますが、実力さえあれば性別など関係なく実力を評価してもらえる分野としては、数学は意外とおすすめの分野なのかもしれないと思いながら見ていました。

 良い映画だと思いました。女性研究者の方には是非とも見てもらいたいと思います。
Commented by nami at 2007-04-03 16:40
誰もコメントしませんのでコメントさせてください。「この手の数学研究」は実際に数学の主流です。文献にアクセスできれば研究費に縛られずに好きな研究をできるのも事実です。問題は「文献にアクセスできれば」のところが特に中規模以下の大学で怪しくなりつつあるという点なのです。

内容の真偽がすぐにチェックできるかどうか、まあ論文によります。レフェリーに数ヵ月かかる論文もありますし、一目でリジェクトする論文もあります。著者の個性は証明にも反映されますので、映画のストーリーでも、証明が父の手になるものか、次女の手になるものか、その論理展開や文章の癖から判別できそうにも思います。
Commented by stochinai at 2007-04-03 21:57
 ありがとうございました。ほんとうの数学者に解説していただくと、映画のおもしろさも倍増します。それにしても、数学や理論物理の人って格好いいですよね。うらやんでも仕方がないですが、実験学者が肉体労働者に見えてきます。
Commented by nami at 2007-04-04 23:51
うう、格好いいですかねえ。数学でも演繹的に結果を出すばかりではなくて多くの実例の中から帰納的に追い詰める結果というものもありますから、実例を作っているときは(特に共同研究者と一日中黒板の前で議論しているようなときは)肉体労働のようなものです。そういう作業のなかから突然(本当に唐突に)ストーリーが見えて全てクリアになる、という経験はきっと一緒だと思います。
Commented by stochinai at 2007-04-05 19:19
 まあ、隣の芝生は青いといいますから、そうなのかもしれません。でも、やっぱり頭脳で勝負している人はカッコいいです。
Commented by yxt at 2007-09-11 15:46
次女はなぜ証明を自分で論文として発表せず引き出しに入れたのでしょうか。気になるので映画を見ることにします。
by stochinai | 2007-03-25 23:51 | 科学一般 | Comments(5)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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