2007年 05月 02日
競争的資金から奨学金
ブログ「大学を考える」で、衝撃的なニュース「競争的資金の一部を奨学金に」というエントリーを見つけました。
元記事は毎日新聞が配信したYahoo!ニュース「<教育再生会議>「競争的資金」の一部を奨学金に、提唱へ」です。ほんの数行の短い記事なので、具体的な内容は想像するしかないのですが、現行の大学院制度をひっくり返すくらいの変化が起こる可能性があると思います。
日本で「奨学金」というと、学生支援機構(旧育英会)などが行っている貸与(借金)という感覚になりますが、もしも競争的資金から奨学金が出るということになると、間違いなく貸与ではなく給付になるはずです(返還する場所がない)。金額がいくらになるとも書かれていませんので想像ですが、独身の大学院生が「学業に専念しながら」生活できるくらいの額である10万円くらいを考えているのではないでしょうか。
先日、報道された大学院の内部進学者を3割未満にするという提言と合わせて考えると、教育再生会議(=政府・文科省?)の考えていることがはっきりと見えてくると思います。
そもそも、この競争的資金というのは大学間に格差をつけるために配分されるものですから、ほんの一握りの卓越した大学に与えられるものです。今年から始まるグローバルCOEは、ちょっと前に出された「トップ30」相当のもののようなので、30大学くらいにしか配分されないと言われています。
そういう感じで、競争的資金を獲得した大学の大学院生だけに、返還しなくて良い奨学金が配分されるということで大丈夫なのでしょうか。そもそも競争的資金は安定して配分されるものでもないし、途中で打ち切られたり、配分されると思っていてもされないということもあり得るものです。そういう、くじのような形で配分される資金があたったところにいる大学院生には返還免除の奨学金が給付され、そうではないところに入った大学院生には今と同じ、決して返還が免除されない奨学金が貸与される、というような「不公平」があっても学生は納得してくれるでしょうか。
学生自信は、全国レベルで評価されることなく、当たりはずれが出てしまいます。
もちろん、「大学を考える」さんがおっしゃるようなことも起こるでしょう。
元記事は毎日新聞が配信したYahoo!ニュース「<教育再生会議>「競争的資金」の一部を奨学金に、提唱へ」です。ほんの数行の短い記事なので、具体的な内容は想像するしかないのですが、現行の大学院制度をひっくり返すくらいの変化が起こる可能性があると思います。
政府の教育再生会議は月内にまとめる第2次報告で、研究テーマごとに国が大学に支給する「競争的資金」の一部を学生への奨学金に充てることを可能とする新制度を提唱する。学生獲得の経済的支援を拡大し、大学ごとの競争を促す狙い。競争的資金というのは、科学研究費やCOE、グローバルCOE、特色ある大学院教育などを指すのだと思います。今でもこうした資金でポスドクやRA(リサーチアシスタント)が雇用されておりますが、それらはあくまでも「労働」に対する対価として支払われているものですから、大学院生の本務である教育を受け、研究をするだけで与えられる奨学金とはまったく性質の異なるものです。
日本で「奨学金」というと、学生支援機構(旧育英会)などが行っている貸与(借金)という感覚になりますが、もしも競争的資金から奨学金が出るということになると、間違いなく貸与ではなく給付になるはずです(返還する場所がない)。金額がいくらになるとも書かれていませんので想像ですが、独身の大学院生が「学業に専念しながら」生活できるくらいの額である10万円くらいを考えているのではないでしょうか。
先日、報道された大学院の内部進学者を3割未満にするという提言と合わせて考えると、教育再生会議(=政府・文科省?)の考えていることがはっきりと見えてくると思います。
そもそも、この競争的資金というのは大学間に格差をつけるために配分されるものですから、ほんの一握りの卓越した大学に与えられるものです。今年から始まるグローバルCOEは、ちょっと前に出された「トップ30」相当のもののようなので、30大学くらいにしか配分されないと言われています。
そういう感じで、競争的資金を獲得した大学の大学院生だけに、返還しなくて良い奨学金が配分されるということで大丈夫なのでしょうか。そもそも競争的資金は安定して配分されるものでもないし、途中で打ち切られたり、配分されると思っていてもされないということもあり得るものです。そういう、くじのような形で配分される資金があたったところにいる大学院生には返還免除の奨学金が給付され、そうではないところに入った大学院生には今と同じ、決して返還が免除されない奨学金が貸与される、というような「不公平」があっても学生は納得してくれるでしょうか。
学生自信は、全国レベルで評価されることなく、当たりはずれが出てしまいます。
もちろん、「大学を考える」さんがおっしゃるようなことも起こるでしょう。
「このテーマを研究する人には奨学金が出ます」どんどん格差を拡大していく政策の先には、ほんの数年後の大学の整理・再編が見えています。
「この研究室に所属する人には奨学金が出ます」
「この研究科に所属する人には奨学金が出ます」
国の考えていることは格差社会の拡大でしょうし、勝ち組は何でも得る そして勝ち組の意見しか反映しない政治なんでしょうね 暗澹たるものです
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もう既にCOEの資金は、多くの大学(たとえば京大とか)で院生の生活費などに使われているのではなかったでしたっけ?そのときにもつぶやきさんがおっしゃる疑問が既にあがっていたと思います。
私個人としては、院生を無給で使い捨てするより、相当ましな提案のように思います。
もし、研究だけそうしたお金での誘導がだめだ、というのであるならば、現在話題になっている、スポーツにおける特待生制度だってだめだと思います。
そして、国の制度がだめだというのなら、例えば、北海道大学は各研究室からのお金をプールして、適切に配分するなど現場レベルで何らかの対応をするように働きかけるなどの手はあると思います。
大学間格差への懸念は分かりますが、院生の経済格差を考えると、お金がもらえる研究室にいけるほうがまだましだし、現に一部の優秀な学生は、お金がもらえる外国の研究室に進学しています。
アメリカ型のこうした競争的資金からの給費がだめだというのなら、イギリスのwelcome trustのように、公募型の制度を考えるという手もあるかも知れませんが、学生獲得にお金を「禁じ手」にしてしまうのは惜しいかもしれません。乱文になりました。
私個人としては、院生を無給で使い捨てするより、相当ましな提案のように思います。
もし、研究だけそうしたお金での誘導がだめだ、というのであるならば、現在話題になっている、スポーツにおける特待生制度だってだめだと思います。
そして、国の制度がだめだというのなら、例えば、北海道大学は各研究室からのお金をプールして、適切に配分するなど現場レベルで何らかの対応をするように働きかけるなどの手はあると思います。
大学間格差への懸念は分かりますが、院生の経済格差を考えると、お金がもらえる研究室にいけるほうがまだましだし、現に一部の優秀な学生は、お金がもらえる外国の研究室に進学しています。
アメリカ型のこうした競争的資金からの給費がだめだというのなら、イギリスのwelcome trustのように、公募型の制度を考えるという手もあるかも知れませんが、学生獲得にお金を「禁じ手」にしてしまうのは惜しいかもしれません。乱文になりました。
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enoki
at 2007-05-03 01:19
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stochinai at 2007-05-03 01:30
おっしゃるとおりCOEではRAという形で、事実上院生の「生活費」補助が行われているのは事実だと思います。北大でもあります。それが、スポーツ特待生制度と違うのは、学生の能力にお金が払われるというしっかりとした評価システムができておらず、たまたま「お金のあるCOEに関係した研究室にいた学生」にお金がばらまかれるシステムになっていることだと思います。
**よりまし、という議論はあまりにも粗雑だと感じます。私の言いたかったことは、たとえどこの研究室、どこの大学にいたとしても、研究室ぐるみではなく、個々の学生自身を評価するシステムがないと、どこにいるかわからない若い才能を発掘するのは無理だということです。そのシステムがないと、現状維持以上の発展は期待できないと思います。
学生の獲得はお金ではなく、学生の才能を評価することによって達成するというシステムにすべきだと強く信じています。
お金の力で獲得した学生に、何を期待できるのでしょうか。才能で獲得した学生に、お金を上げるというのが正しい順序ではないですか。
**よりまし、という議論はあまりにも粗雑だと感じます。私の言いたかったことは、たとえどこの研究室、どこの大学にいたとしても、研究室ぐるみではなく、個々の学生自身を評価するシステムがないと、どこにいるかわからない若い才能を発掘するのは無理だということです。そのシステムがないと、現状維持以上の発展は期待できないと思います。
学生の獲得はお金ではなく、学生の才能を評価することによって達成するというシステムにすべきだと強く信じています。
お金の力で獲得した学生に、何を期待できるのでしょうか。才能で獲得した学生に、お金を上げるというのが正しい順序ではないですか。
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ふぁーまいん
at 2007-05-03 03:27
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学生の才能の評価はどうやってやるのでしょうか。研究室主宰者の恣意ですか? 私はばらまき型の方が「公平」だと思います。
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KK
at 2007-05-03 06:13
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学生の才能の評価は本来大学(学部や大学院)の成績で行うべきと思いますが、はっきりいって現状では難しいと思います。
資金を獲得した大学が各大学毎に独自の基準を作って、(一律ではなく)優秀な学生に優先的に資金援助を行うというのが現実的な運用案でしょうか。
資金を獲得した大学が各大学毎に独自の基準を作って、(一律ではなく)優秀な学生に優先的に資金援助を行うというのが現実的な運用案でしょうか。
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K_Tachibana
at 2007-05-03 10:34
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私もKKさんの運用案に賛成です.それが難しいなら,ふぁーまいんさんのご提案のように,恣意的な評価ではなく「ばらまき」型にしたほうが,公平でしょう.できない評価ならやらないほうがよいのです.
あと,資金を獲得した大学と獲得していない大学の格差をなげく前に,既存の国立大学法人の方々は市民のニーズを考えたマーケティングをきちんとやっていますか?学習意欲,研究意欲のある有職者をどんどん取り込めるようなカリキュラムがあれば,私だって学費を払って社会人学生したいと思っています.大学は(とくに国立大学法人は)あまりにも文科省や財務省ばかりを見て,市民を見なさすぎだと思います.
あと,資金を獲得した大学と獲得していない大学の格差をなげく前に,既存の国立大学法人の方々は市民のニーズを考えたマーケティングをきちんとやっていますか?学習意欲,研究意欲のある有職者をどんどん取り込めるようなカリキュラムがあれば,私だって学費を払って社会人学生したいと思っています.大学は(とくに国立大学法人は)あまりにも文科省や財務省ばかりを見て,市民を見なさすぎだと思います.
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実験器具オーナー
at 2007-05-04 00:52
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私も「ばらまき」型の方がまだマシだとおもいます。自分達が所属する大学内のことですら的確な評価(いわゆる教員評価)ができないのに、何を根拠に競争資金を配分するかどうかを決めるつもりでしょうか?教育再生会議が科研費やJSTの競争資金と同じような「名ばかりの」ピアレビュー制度を念頭においているのであれば、結局は恣意的な評価で決められてしまうでしょうね。
6月号の論座に、『大学院は出たけれど』がありました。この記事には全面的には賛成できませんが、いったい大学院は何の為の?組織か、、それが曖昧なんですね、、養成機関としてだけではなく進路まで考えたものとなると、高等就職機関ですが、教員スタッフに就職口まで指導させると言われても基礎研究分野ではどうなんでしょう。
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inoue0 at 2007-05-04 12:09
別のエントリにつけるべきコメントかもしれませんが。
Ph.D取得まで学部4年、院5年という修学年限が長すぎるんです。分野にもよるでしょうが、両方合わせて5年とか6年くらいで、Ph.D取得までもっていくことも可能ではないでしょうか。
それだけ短ければ、教育ローンだって返済可能ですし、よしjんば専門分野の職がなくても、リターンマッチで別分野で勝負することもできます。
Ph.D取得まで学部4年、院5年という修学年限が長すぎるんです。分野にもよるでしょうが、両方合わせて5年とか6年くらいで、Ph.D取得までもっていくことも可能ではないでしょうか。
それだけ短ければ、教育ローンだって返済可能ですし、よしjんば専門分野の職がなくても、リターンマッチで別分野で勝負することもできます。
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adhoc
at 2007-05-04 17:50
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大学院教育はトップ30にのみ認め、院生の生活費まで含め充実した補助をするという方向は良いと思います。30というのも多すぎでこの半分ぐらいでいいかもしれません。現状では、どこもかしこも大学院重点化をやらされて、このままでは共倒れです。大学院をやらない米国型カレッジ名門校こそ、地方国立の生き残る道だと思いますが。
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adhoc
at 2007-05-04 18:06
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問題は、教員が大学院所属になっていて、大学院縮小がそのまま教員ポストの縮小、リストラに直結することです。教育再生会議には、給料下げられてもいかまわないから、大学教員の院所属から学部所属への格下げを認める改革方向を打ち出して欲しいと思っています。それで初めて、カレッジ型学部教育で質を向上させるという選択肢が可能になります。
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実験器具オーナー
at 2007-05-05 10:42
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adhocさんのおっしゃることが、教育再生会議の真の狙いだとおもいます。とにかく、「大学院の定員が多すぎる→博士号の乱発→ポスドク増大→博士号取得者の大量失職→博士号の価値低下→理系離れ」という流れを断ち切りたいのでしょう。その点では大いに評価できますが、学部教育に対して余りに配慮が足らないと思います。大学院中心の大学と学部中心の大学を同じ土俵で評価(しかも研究業績のみ)しようとしているところに問題ありです。大学の理系教員の多くは、できれば研究のみをしていたい訳だから、住み分けをはっきりさせないと誰も教育しなくなるでしょう。
by stochinai
| 2007-05-02 22:03
| 大学・高等教育
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Comments(13)